★天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのもの① | RADIANCE☆魂の輝き

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06 4月 天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。

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ある読者の方から、天皇の行う儀式「大嘗祭」が悪魔崇拝そのものであるとのメールをいただきました。 (上の画像は「大嘗祭」の一場面)
 
「大嘗祭」というのは、新しい天皇が即位した後、一番最初に行う「収穫祭」のことです。
 
大嘗祭 – Wikipedia
 
その読者の方の話によると、1990年に発刊された「噂の真相」という雑誌に、この「大嘗祭」についての詳細が書かれてあったとのことで、早速、その雑誌のコピーを送っていただきました。
 
で、今回はその雑誌の記事をそのままここに掲載します。
 
これまでこのブログを長く読んできて下さった方なら、以下の記事を読めば「大嘗祭」が悪魔崇拝そのものであることがすぐにお分かりいただけることと思います。
 
また、このブログを余り読んでいない方にとっても、以下の記事を読めば、天皇がいかに頭のおかしな人物であり、「大嘗祭」がいかに税金のムダ使いであるかがお分かりいただけると思います。(実際、この「大嘗祭」のために税金を使うことは違憲であるとの説もあるそうです。)
 
なお、以下のリンク記事を読んでいただけば、この「大嘗祭」が悪魔崇拝に他ならないことをさらに具体的に理解できることと思います。
 
〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
 
〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。
 
この世の神はとかく悪魔だらけ。ヨガ、アセンション、アガルタ関連の話には要注意です。
 
神社仏閣に潜む悪魔たち。またはアガルタから悪魔のメッセージを伝える人たち。
 
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■神秘のヴェールに覆われた大嘗祭における秘儀の真相
 

1989 年、昭和天皇の死で凍りついたメディア状況の中で、「自粛ムード」を批判し、その空虚な実態を暴き続けた『噂の真相』が、翌年、明仁天皇の即位に際して天皇家最大の秘密である「大嘗祭」に迫った。
 
編集部が未だこれを超える天皇論は存在しないと自負する慧眼の批判研究。
 
18.36.46
 
■秘儀を否定する宮内庁の異例の見解
 
皇室の公的行事として強行することが決定されたのみで、中身については一貫して秘密裡に準備進行されていた天皇明仁の大嘗祭、その式次第がこの10月19日、宮内庁より公表された。
 
延々4 時間にも及ぶ記者会見を関いて発表された儀式の概容は、ひとことでいえば、予想通り登極令を焼き直しにした神道色まるだしの中身、という表現で十分なものだろう。それよりもこの会見で注目されたのは、記者の質問を受ける形で宮内庁幹部が大嘗祭における〈秘儀〉の存在を正式に否定したことの方である。
 
「特別の秘儀はなく、天皇が神前で読みる御告文にもそのような思想はない」
 
かねてより国会答弁等では〈秘儀〉に対する否定的見解をのべたこともある宮内庁だが、マスコミに対して、しかも具体的な根拠を提示する形で「ない」と断言したのはきわめて異例といえるだろう。
 
これは言い換えれば、宮内庁が直接的に対応せざるをえないほど、「秘儀の存在」がある種のリアリティをもって語られはじめていることの裏返しに他ならない。
 
実際、昭和天皇の死去以降、まず、宗教学、民俗学、歴史学といったアカデミズムからのアプローチが盛んになり、大嘗祭が近づくにつれて、及び腰ながらも〈秘儀〉を活字にするマスコミも登場するようになった。また、海外のメディアまでがこの〈秘儀〉に強い関心を示しはじめている。
 
そして何より、我々の問で、様々な風説がまことしやかに流布しはじめているのだ。日く、
 
「天皇は大嘗祭で窓きものがついたようにトランス状態になる」
 
「深夜、大嘗宮の中で女性と性的な行為をするらしい」
 
「昭和天皇のミイラと一緒に寝る儀式がある」
 
「稲穂に天皇が精液をかける儀式が大嘗祭の骨子だ」

 
■霊魂が新天皇に付着する!?
 
単なる無責任なデマ、としか思えないこれらの風説は、あながち無根拠というわけでもない。むしろ、ある種の本質をいいあてているとさえいえる部分もあるのだ。
 
大嘗祭の中心儀礼は大嘗宮に建てられた悠紀殿・主基殿の閉ざされた内陣に、夕刻から朝にかけて新天皇が引き縫ってとり行う儀式である。
 
この中で行われている儀式として明らかになっているのは、秋にとれた穀物を皇祖である天照大神に供え、共にこれを食べる〈福鋲供進の儀〉以外にない。
 
これをうのみにすれば、大嘗祭は毎年秋に行われる新嘗祭と全く同一の内容、つまりは瑞穂の国・稲作国家の祭紀王たる天皇による単なる収穫儀礼、ということになる。
 
しかし、にもかかわらず、大嘗祭は天皇としての神格を継承させる一世一代の儀式なのだ。加えて、大嘗祭では新嘗祭の約三倍以上もの長時間にわたって新天皇が悠紀殿・主基殿両殿内陣に引きこもることになっている。だとすれば新嘗祭と同一の中身のはずがない。
 
神との〈共食〉以外に何か儀式が隠されているのではないか、そんな疑惑が大嘗祭に関して浮かびあがってくるのも当然のことだろう。
 
そして着目されたのが、内陣の構造、だ。両殿内部には天皇と神の席がしつらえられており、ここで対座して〈共食〉をすることになっている。
 
ところが、これが中心儀礼の割には部屋全体から見ると片隅に追いやられており、内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳の寝座、つまりベッドなのだ。
 
そしてこのべッドを使って〈秘儀〉が行われている、というのが最も有力な説として浮上してきた。
 
この〈寝具の秘儀〉を最初に指摘したのはご存知のように民俗学者・折口信夫である。
 
折口は講演「大嘗祭の本義」で寝具を天孫降臨神話でニニギノミコトがくるまって地上に降り立ったとされる〈マドコオフスマ〉に見たて、このベッドの布団に天皇がくるまる儀式の存在を唱えたのである。
 
さらに折口がこの〈マドコオフスマの儀〉に必要不可欠な要素として提示したのが、〈天皇霊〉の存在だ。
 
大嘗祭で布団にくるまっている聞に〈天皇霊〉が天皇の肉体に付着し、そのことによってはじめて完全な天皇になる、というのである。
 
つまり、天皇の肉体は霊魂の容れ物にすぎず、大嘗祭は霊魂が新天皇の肉体を借りて復活する、神性の継承儀式であると主張したのだ。

 
(註: この〈天皇霊〉とはすなわち悪魔のことなのでしょうか。)
 
前述の「トランス状態」の風説は、この〈天皇霊〉が付着する時間を指している、といえなくもない。
 
実際、狂信的な神道家の間では天皇の霊能力なるものが本気で信じられているらしく、例えば、昭和の大嘗祭で福岡が主基斎田に勅定、された際、すべての祭事をとりしきったといわれる古神道家・川面凡児などは天皇が大嘗祭はおろか、毎日朝夕に「イメ」なるトランス状態に陥るといっている。
 
(註: 要するに、毎日、悪魔と交信しているというわけです。)
 
天皇の霊魂がたえず霊界と現界を往来し天皇は霊界をも統治しているという説である。
 
さすがにここまでマッドな説になると、まともにとりあげられることはないが、本質的には〈天皇霊〉論もこの種の奇説と同一なのだ。
 
そして、儀式の意味づけを行った折口の意図とは全く関係なく、〈天皇霊〉の存在そのものが、今や神道界では常識となっているという。
 
(註: 天皇がこの世で最大の霊力を持っているとの疑いは、私もこれまで何度も書いてきました。例えばこちら。私はこの折口氏のことは全く知りませんでしたが、彼と同じことを類推せざるを得ない幾つもの状況証拠があちこちから見付かっていたわけです。)
 

■新天皇は前天皇の死体と同衾か
 
(註: 同衾とは一緒に寝ること。つまり、前の天皇の死体(ミイラ)といっしょに寝るという儀式があるとのこと。)

 
折口の〈マドコオフスマ〉〈天皇霊〉を深化発展させる形で、その後〈秘儀〉に関する様々な考察が登場した。
 
〈先帝同衾〉説もそのひとつである。他ならぬ折口信夫自身が「大嘗祭の本義」講演の翌年、「古代人の思考の基礎」と題された講演でこの説を開陳している。
 
折口によれば、古代には生死を明確にする意識がなく、平安期でも「生きてゐるのか、死んでゐるのか、はっきりわからなかった」。
 
生き返るのか、別の肉体に魂が移るのかを判別する必要があったのだ。そこでもとの天皇霊のついていた肉体(=先帝の死体)と新しく霊のつくべき肉体(=新天皇)を「一つ会で覆うて」復活のための儀式を行ったのだという。
 
その後、生死の区分が明確化してくるにつれて二つの肉体を別々の場所に置くようになる。
 
もともとは一つしかなかったと思われる大嘗宮主殿が悠紀殿と主基殿に分かれてくるのはそのためで、片方に前天皇の死体を置き、もう一方に新天皇が入る。
 
表は別々となるが趣旨は同様で、復活とそれを果たせない場合は〈天皇霊〉の移動が行われる、というのが折口の唱える説の概容だ。
 
この〈先帝同衾〉説は当時からかなり広範に流布されていたらしく、折口以外にも「天照大神の死骸(いったいそんなもの、がどこにあるんだろうか?)と同衾する」といった説を唱える神道家もいたという。
 
現代でもこの〈先帝同衾〉を支持する学者は多く、谷川健一、山折哲雄など、民俗学・宗教学もこの説に立っている。ことに山折は比較王権の視座から、フランスやダライ・ラマの場合にも同様の例があったとし、〈先帝同衾〉説を補強している。
 
(註: 出ましたね。ダライ・ラマといえば「チベット仏教」、「チベット仏教」といえば悪魔教です。)
 
もっとも、物理的に考えれば、〈崩御〉からかなりの時間を経過している大嘗祭で前天皇の死骸と共寝する、というのは不可能に近い。
 
折口〈先帝同衾〉説を真正面から継承しているひとりである歴史学者の洞富雄も、これは模擬儀礼であるとしている。寝座の側に靴をおいてあるのもそのためで、前天皇、が寝座に績たわっていると想定して行われる儀式、というわけだ。では、前出の「ミイラ」の風説はやや飛躍しすぎ、なのだろうか。
 
しかし、一方ではこの〈先帝同衾〉が大嘗祭ではなく、〈崩御〉の直後に実際に行われているのではないか、との噂もある。この〈先帝同衾〉に直接的なイメージを与えているのが、〈残〉の儀礼である。
 
天武天皇の時には二年二カ月にも及んだと記録されている、この儀式は復活儀礼としての性格が色濃く漂っており、昭和天皇の〈崩御〉の際も、〈殖宮の儀〉として死後13日目から40 日目までの長期にわたってとり行われた。
 
むしろ大嘗祭よりも、この聞に実際に前天皇の死骸と寝る秘密の風習が、天皇家には残っているのではないか、というのだ。
 

(註: 実はミイラと「密教」も密接な関係があります。詳しくは後にご説明します。)
 

■大嘗祭の本質は性的行為なのか。
 
〈マドコオフスマ〉の延長線上に浮かびあがるもうひとつの〈秘儀〉説に(聖婚儀礼)がある。〈聖婚〉というのはもってまわったいい方であり、要するに大嘗祭で天皇による性的行為がおこなわれる、というものだ。
 
大嘗宮正殿の中にまで入れる人間はきわめて限定されている。そのしつらえを見ると、御座(天皇の席)と神座をのぞけば、関白の座と宮王の座、そして数人の采女の座しかない。
 
しかも内障にまで入れるのは天皇と采女の代表ひとりで、残りの人間は外陣にとどまることになっている。
 
そして内陣と外陣はカーテンによってさえぎられている。大嘗祭とは、また、男女が二人きりで夜をすごす儀式でもあるわけだ。
 
この采女を性行為の相手として見るのが、歴史学者の岡田精司らである。采女とは「宮中で炊事・食事などをつかさどった女官、大化以前は地方の一家族の子女から選んで奉」(岩波古語辞典〉られた女性である。
 
つまり、子女と性交することで、豪族に服従を誓わせた服属儀礼との説だ。
 
同じく采女を性行為の対象として見る西郷信網は、その根拠として「国造が新任の日に、神官の采女と称して百姓の女と婚」したという「淫風」が平安初期まで続いていたことをあげている。
 
一方、性的行為の相手を神だとする説もある。穀神に擬せられた王と穀母神に扮した花嫁が交わり、豊穣を祈るという習慣が古代オリエントをはじめ、日本以外でも広くおこなわれていることは、文化人類学の成果としてすでに明らかにされているところだ。
 
(註: この古代オリエントで行われた儀式のことを「悪魔崇拝」と呼びます。)
 
吉本隆明も神の代理としての女性と「性行為」を行うことで〈対幻想〉を〈共同幻想〉として同致させようとする模擬行為と見ている。
 
いずれにしても、大嘗祭がある種の性的な意味合いをおびている、とする研究は少なくない。実をいえば、折口信夫もまた、性交儀礼の存在を示唆しているのだ。
 
(註: チベット仏教でも密教でも、本物の女性と性交する儀式と、空想で性交をする儀式と両方行いますね。詳しくはこちらこちら。なので、この説がかなり信憑性の高いものであることが分かります。)
 
しかし、同じ折口の「天皇霊」論がいたるところで紹介・引用されているにもかかわらず、この部分は完全に黙殺されている。そして、たしかに折口の展開した説は、マスコミやアカデミズムが黙殺せざるを得ないほど大胆なものだった。
 
折口が性行為を示す場所として推定したのは自らが着目した悠紀殿・主基殿内陣の寝座ではなく、両殿の北にある廻立殿だった。
 
天皇は両殿に引き箆もる儀式の前に、ここで「小忌の湯」という湯を使い、体を清めることになっている。つまりシモジモ風にいえば風呂場だ。
 
そして「西官記」「江家次第」等にはここで天皇が〈天羽衣〉をまとっているという記述が登場する。折口はこの〈天羽衣〉があろうことかフンドシであるとし、廻立殿の儀ではじめてこれを解き、性の解放をするという。
 
そして、フンドシを解くのが、丹波から送りこまれた処女であり、天皇はこの処女と性交する、と説くのである。

 
(註: 結局、悪魔教はいつもこういう性的なところに行き着きます。ちなみに、「丹波」とは以下の地域を指します。)
 
18.51.09
 
いったい何が学説的根拠となっているかは不明だが、ある神道研究家の一人はこんな感想をもらす。
 
「天皇の儀式では中心の儀礼よりも、その直前の儀礼が全体の本質をあらわしていることが多い。即位礼の本質を賢所大前の儀が表わしているように。そういう意味では廻立殿の儀が性交儀礼としての大嘗祭の性格をあらわしている可能性はあるだろう」
 
(つづく)