無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

著者の本をもっと見つけたり、似たような著者を調べたり、おすすめの本を読んだりできます。

著者の本をもっと見つけたり、似たような著者を調べたり、おすすめの本を読んだりできます。

著者の本をもっと見つけたり、似たような著者を調べたり、おすすめの本を読んだりできます。
欲しかった本です
状態は十分でした
コミュニティガイドライン新しいタブで開きますに照らしてこのレビューが適切かどうか確認します。 そうでない場合は削除されます。
丸山圭三郎自らが『生命と過剰』(第一部1987・54歳)を殊更に愛着が強いと語るのは、丸山思想の骨格を示し得た作品だからだと思う。2ポイントを紹介しますが、詳しい内容は本書をお読み下さい。
(1)私たちの言語=意識が、国家公教育・マスコミ文化・辞書に登録済みの「既成の意味」の支配下にある故に、私たちの表層の意識に映った外界は、「厳然と独立した実体の世界」であるかのように見え、コトバはこれに貼り付けられるレッテルとしての「一義的指標やシグナル」となっているが、それらは私たちの生きた意味世界のごく一部にしか過ぎない。深層の意識においては、コトバの意味は二重、三重に多義的でよじれ合っているのである(第三章「言語=意識の重層性」p127)。
丸山はフロイト、ラカン、ユング、ベルグソンらの考え方を検討したのちに、意識の深層部分を、個人の欲望の集積場(幼児からの様々な体験において「ノモス・秩序化」からはみ出し共同幻想化されることがなかった私的幻想)と、家族・親族・民族など集団の記憶の堆積場(個体発生以前の原体験が継承されている)に分けて、下意識と潜意識と名付ける。そして、私たちの意識・下意識・潜意識・に共通する記憶は「演じられる記憶」(身体に覚え込まれてしまった記憶)ではなく、「表象される記憶」であり、構造をもつと言う。これに対して、キーワード<欲動>はランガージュ以前の無意識であり無構造である(1989年に『欲動』を出版)。
(2)丸山は、自らの思想のキーワード<シンボル>概念を「過剰としての<非在の現前>である」と定義し、ヒトという種の元々の本能図式(食物ひとつをとってみてもそうだが、生命保存のために何が危険で何が安全か、何がよくて何が悪いかなど、それぞれの生物種が身に持っている身分け)にそもその存在しない<意味=現象>すなわち<非-存在、non-etre>を現前させるものであると説明し、それは人間特有の「過剰」としてのコトバがあるからだと言う。私たちが、身の延長としての<時間意識や空間意識>を持つのも、コトバによって過去と未来、背後のあそこと前方のあそこ、つまりは「来し方と行く末」を差異(差延)化するが故なのだという訳である(第五章「人間存在と二重分節」p175)。
丸山は『生命と過剰』をライフワークとして深めつつ押し進めて、『欲動』『生の円環運動』として表出し、『モノ・モルタリス』(死すべきヒト、「生命と過剰・第二部」)が出た翌年、死した。丸山圭三郎の思想は私たちの身に円環しているのではないかと思う、彼は生前、自分には終局(テロス)はないと言っていたことでもあるのだから。
コミュニティガイドライン新しいタブで開きますに照らしてこのレビューが適切かどうか確認します。 そうでない場合は削除されます。
神々の死。
実体論批判
近代批判の限界
実体論とは何か
実体論の弊害
関係論がはらむ問題。
存在と言語
現前の記号学
意識の表層から深層へ
存在喚起機能としてのコトバ。
言語=意識の重層性
意識的か偶然か
自己増殖するコトバ
詩的言語
ラング/パロールの位相とランガージュ。
唯言論批判
言語相対論をめぐって
東洋の唯言論。
人間存在と二重分節構造
生への関与性
二つのゲシュタルト
逆ホメオスタシス
言分けられる身。
無意識という名のコトバ
シニフィアンの連鎖
ソシュールとラカンのシニフィアン
連合・連辞関係とシーニュの連鎖
コトバの産物である無意識。
パラグラマティスム
アナグラムが示唆するもの
意味の不在と主体の壊乱。
フェティシズムと永遠回帰。
コミュニティガイドライン新しいタブで開きますに照らしてこのレビューが適切かどうか確認します。 そうでない場合は削除されます。