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存在論的、郵便的: ジャック・デリダについて
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- 本の長さ344ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1998/10/30
- 寸法13.9 x 2.5 x 19.7 cm
- ISBN-104104262013
- ISBN-13978-4104262014
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 新潮社
- 発売日 : 1998/10/30
- 言語 : 日本語
- 本の長さ : 344ページ
- ISBN-10 : 4104262013
- ISBN-13 : 978-4104262014
- 商品の重量 : 1 g
- 寸法 : 13.9 x 2.5 x 19.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 55,352位 (本の売れ筋ランキングを見る)
- フランス・オランダの思想 - 37位
- 倫理学入門 - 139位
- 哲学 (本) - 786位
- カスタマーレビュー:
著者について

1971年東京生まれ。批評家、作家。ZEN大学教授。株式会社ゲンロン創業者。博士(学術)。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』、最新刊に『平和と愚かさ』など。
カスタマーレビュー
日本からのトップレビュー
- 星5つ中5つ
政治的な真面目さ
2026年2月26日に日本でレビュー済みこの本を上梓した頃の筆者よりだいぶ年を取ってしまった。あの若さでこれほど濃密な、そして苦渋に満ちた思考をした東浩紀に恐ろしさを覚える。『構造と力』と比較されることが多い本書だが、そもそも比較されるべきものではない。『構造と力』は軽薄なジョーク本だが、こっちは地を這いつくばるようなド真面目本である。
さて、本書の中心は第二章と第四章であるが、郵便的脱構築を形式的に理解したければ第二章だけで事足りる。個人的にはこの第二章が白眉だと思う。
第四章はフロイトを経由して、郵便的脱構築の詳細が語られていくが、ここでは第二章と「伝達経路」の位相が変わるので注意が必要。第二章では、幽霊は間主観的な伝達経路に宿っていたが、ここでは無意識の伝達経路における幽霊が語られる。そして、デリダの郵便的脱構築の実践が、精神分析の臨床における転移の話に接続されるが、ここから急に話が政治的になっていく。なので私にとっては非常に読解が困難だった。哲学の話ではないと納得するのにかなり時間がかかった。
東にとっても最も重要であろう第四章が、私には響かなかった理由はこうだ。
無意識を導入すると、自分が思ったことにさえ幽霊が宿り、訂正可能性に開かれる。いわば徹底した自己懐疑であり、デカルトの欺く神を想起させる事態だ。しかし、この自己懐疑は、思った内容はいくらでも疑うことができるが、思いそのものは不可謬であるというデカルトの洞察をも同時に招き入れてしまう。
そうすると、少なくともひとつは脱構築不可能なものがあるという否定神学から、結局は逃れられないのではないか。つまりcogitoは脱構築不可能ではないか。
しかし、これは水掛け論である。東=デリダはデカルトの洞察を吟味することなく、「cogitoは幽霊の効果に過ぎない」と言えばよい。
ただ、それは哲学ではなく、政治だろう。そもそも郵便的脱構築は、否定神学を乗り越えるために彫琢された。その動機からして真理の探究ではなく、論駁のためのソフィスト的言説なのだ。
転移により論敵に無意識の介入を行い、否定神学という真理病を治療する。否定神学がいくら正しい真理であろうとも、それは宗教的かつ形而上学的な「あってはならない論理」というわけだ。
東浩紀がなぜ哲学“風”なのかわかったような気がする。ただ、そのことによって彼の仕事の価値が減じるわけではない。彼の著作はだいたい面白い。本書もかなり面白いし、多くの人におすすめできる。ただ、その政治性において私の趣味に合わなかっただけだ。
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現代フランス思想本
2023年7月2日に日本でレビュー済みおすすめします。
4人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しくださいコミュニティガイドライン新しいタブで開きますに照らしてこのレビューが適切かどうか確認します。 そうでない場合は削除されます。
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ようやくわりと分かった。
2014年1月21日に日本でレビュー済み先月・今月となされた、本人によるネットの動画の番組を見て
ちんぷんかんぷんだったこの本の内容が、ようやくわりと分かりました。
専門的な教育を受けた人にとってはどうなのか知りませんが
ぼくのような普通の人が、この本の内容を理解するのは難しいと思います。
動画の説明のようなものが必要なのです。
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20世紀にデリダは死んでいる。東氏は今を生きてほしい。
2023年1月14日に日本でレビュー済み形而上学と相対主義、そのどちらでもない道を求めた後期デリダのお話。
しかし郵便的脱構築という最終的なデリダの戦略は、結局、過去が無意識化に沈澱してそれが現在の認識に影響を与えているというような、至極当然のお話を難しく言い直しているだけのような気がしてならない。
また、社会への関わりについてだが、つらつらつらつら難しく言っているが、結局最終的な目的は、現在の社会的通念を相対化することではないか?
郵便モデルによって、何が運ばれてくるか分からない可能性(あるいは運ばれてこない)、それを前提とした認識のあり方は、全く相対主義的だ。
ニーチェが力相関的なものごとの生成について説いたが、それはあくまでも力に相関した通常考えられる真っ当な認識モデルである。
しかしデリダは郵便モデルを提唱するが、その認識の根拠は郵便的脱構築だと言うだけで、ではその郵便的脱構築は個々人によってどのような根拠をもって発生しているのか、全く触れられていない。
認識の根拠は郵便的脱構築なんです。だから私のなかではその認識は正しいのです。あなたの認識はまた別ですけど。…という、結局根拠のない相対主義を感じる。
郵便的脱構築の発生根拠はまさしく語りえないものであり、これについて語るのは形而上学である。
つまり、デリダはこれ以上語り得ない。
議論はもう詰んでいる。
無意識や他の要因が認識に影響を与えている、その現象をデリダは郵便的脱構築と呼んだ。ただそれだけのことだ。
フッサールやハイデガーやフロイト達先人の功績を利用し、社会の認識の相対化を目論んだデリダは、20世紀的普遍主義や絶対的なものを壊すことには成功したが、そのあとにはただ荒涼とした社会が残り、長くそこから復興できずに苦しんでいる。
いずれにしても、ポストモダンは難解な語り口で細かいことを語りすぎた。そういう脳トレ的なゲームとしては面白いのかも知れないが、もっと哲学は役に立つものであるべきだ。
東氏はとても優秀だ。それはポジティブに評価している。ただ、この論文の時代が悪かった。
その能力を活かしてもっと別の哲学を研究してほしい。
今やっている仕事やこれからの仕事に期待している。
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こうも語るということはしんどいものか。。。
2008年9月5日に日本でレビュー済み時間のない方は最終章だけでもいいと思います。
語りえないものを言葉にするということがどれだけし
んどいかがよくわかります。
東氏も「わかるひとにはわかる」と本当は言いはなって
おしまいにしたいかもしれないですが、実に辛抱づよく
つきあってくれます。
ようやく「郵便的」という隠喩までたどりついて、さて
ここではじめて「わかるひとにはわかる」というしかな
いところまできたことになるのでしょうか。
いやいや。。。ネタバレはさけますが、著者は最後まで
謙虚な人だなあと思います。真摯とはこういうことです。
デリダやラカンはさておき、「構造と力」や柄谷をよんでないと、
通りが悪い部分があるかもしれません。でも問題なし。
固有名の指示問題(「記述の束」説、「指示の因果説」等)を
あつかった部分は、すっとばしすぎて言語哲学をかじった方で
ないと難解かもしれない。。。でも大丈夫。読んでみて下さい。
「郵便的」という隠喩はとてもリアルで響く。
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なにが彼をそうさせるのか?それを問う私は・・
2009年6月10日に日本でレビュー済み東浩紀の仕事は一貫している。彼は二十歳に下ろした批評「ソルジェニーツィン試論」から「存在論的、郵便的ージャック=デリダについて」を通過し、現在(とはいえもう過去の)の「思想地図ーアーキテクチャ」に至るまで、その一貫した仕事は、端的には人間、情報(より広範囲の)、構造(やや反復だが)に対しての興味に貫かれているといえるのではないかと思う。その中で本書は彼の中心的出発点であるといえる。(それは有る意味では、終点でもある。)
どういうことか。彼は、当初、博士論文において「デリダとメディア」(「自由を考える」参照)との関連で様々な文献を調査していた。その中で、博士論文として書き下ろしたのが本書であるが、本書を読めばいかにハイデッガーーデリダーフロイトにおいて東浩紀ー哲学者が見いだす存在論的脱構築、郵便的脱構築が我々の認識、欲望、構造に由来しているかがわかるはずだ。だがしかし、その徹底して形式的に語ろうとする彼もまた認識、欲望、構造によって本書を終了するわけだが、そのレビューは他のレビュアーに任せるとしよう。
つまり、デリダの理論を通過し、無限の脱構築の世界に突入した彼は、極めて形而上学的な議論(デリダが形而上学的言説を脱構築しようとも我々の愚かな能力は再び形而上学する)の果てにポストモダンの社会を見事に描いてみせている。(かなり消極的にではあるが)改めて簡単に述べるなら、デリダの理論を有る意味では終点とし、開かれたポストモダンを新たな出発点(それも有る意味では終わりである)としたと言える。以上のことを受けての議論は「動物化するポストモダン」「東浩紀コレクション」「思想地図」等々のすべての著作において明確に具現化している。そういった現代において、人文学が行き着いた先は自らの開かれた限界だったわけだ。(もしかすると、これはデリダが考えていた脱構築の意味とは違うかもしれないが、)その現実を見つめつつ彼の行動を見ればすべてが理解できるではないだろうか。(価値観は共有できないにしても、彼の議論は現実的だ。)
本書は、今後も東浩紀を追うために重要な書物となるだろう。
また、本書における議論が世界レベルの論考なのかせいぜい島国の一部の人間における趣向品のなのかはレビュアーには判断しかねる。
ただ、私は彼が日本にいることに感謝したいと思う。
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明快すぎるが故に気をつけて
2015年10月21日に日本でレビュー済み他の方のレビューでもありますが、浅田彰氏の『構造と力』に比類する傑作です。
デリダの難解な理論を独自の論で見事に読み解いています。
〆の一文、「それゆえ突然ながらこの仕事はもう打ち切られねばならない」。
デリダの著書は、あえて不完全に留められています。
それは、「脱構築」を語る以上、体系や構造を構築してはいけないという意図によるものと思いますが、
東氏はこの本において、脱構築論を快刀乱麻で解き明かしつつ最後はきっちりと「脱構築」を継承しています。
粋です。
ただ、原著や他の解説書に比べて非常にわかり易いため、脱構築やデリダの事をあまり知らないままに読むと東氏の理論に引っ張られてしまいそうです。
この本はあくまでも「デリダの解説書」ですので、この本一冊で脱構築を理解することはお勧めしません。
明快すぎるが故に注意が必要です。
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最高のデリダ入門書!
2013年10月11日に日本でレビュー済み浅田彰氏の『構造と力』以来の快挙です。著者のデリダ理解は群を抜いてすばらしく、読み応え十分の書物です。デリダ思想の入門書としても最高の出来ではないかと思います。いろいろなデリダ思想の解説書や入門書がありますが、これほど懇切丁寧に、しかも啓発的に書かれた書物はありません。私が特に感心するのは、丁寧・分析的に読み解いていることです。このような卓越した読解力がなければデリダの解説書は書けないはずです。もうひとつ私が感心したのは、一般論としてデリダ思想を語るのではなく、自分の視点と読解で論述を進めていることです。これがこの書物の魅力のすべてではないかと思います。抜群に面白い本です。最近初期デリダの集大成ともいえる『散種』の日本語訳が出版されましたが、東氏の解説のおかげでかなり読みやすくなっています。著者は散種を書物の読解可能性として読み解きました。散種は、「書物外」として、実体もなく存在し、エクリチュール(記述)から生まれるものである。パロール(発話)は、語り手である主体を特定化し、語り手なくして発話そのものが成立しないのに対し、エクリチュールは書き手である主体を離れて、単なる読解可能性としての「散種」を書き手の意図とは無関係に読み手に生じさせること、つまり散種とは、エクリチュール以外からは生まれ得ないことをデリダは説いたのであり、東氏が言いたかったこともこの点にあると思います。西洋形而上学が依拠してきたロゴス中心主義の脱構築をデリダが散種の読み取りから試みたことを東氏は指摘したのです。しかし、散種によって真理が読解可能性のみとして存在することは理解できますが、東氏がジョイスから引用しているwarという単語は、「英語」か「ドイツ語」のいずれかの読解可能性を示していますが、答えは決められないことが散種として読み取り得るとしても、わたしたちは、どちらかの可能性しかあり得ないことを言語的知識として知っています。散種は無限の読解可能性を示したものではなく、微妙な差異、わずかの「ずれ」でしかないのではないでしょうか。デリダの散種についてはドゥルーズの『差異と反復』との親近性を感じさせます。
東氏から学ぶことは尽きないものがありますが、残念なのはこの書物以後、東氏のデリダ論が書かれていないことです。文芸評論家としての道を歩む東氏ですが、ぜひまたこの書物に続くデリダ論や現代思想論を読みたいと心より願います。現代日本における卓越した若き論者のこの書物を思想に関心をもつすべての人に薦めます。
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