仏像
青銅製銅箔。クシャーナ朝時代のもので、上部が釈迦三尊像になっている。パキスタンはペシャーワル郊外のシャージーキーデリー出土。画像は大英博物館展示のレプリカ。

ヴァーカータカ朝時代(250–500年)の作。グプタ美術の傑作とされる。インドのマハーラーシュトラ州北部に所在。

仏像(ぶつぞう)とは、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像。
仏(仏陀、如来)の原義は「目覚めた者」で、「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」の意である。初期仏教において「仏」とは仏教の開祖ガウタマ・シッダールタ(釈迦)を指したが、大乗仏教の発達とともに、弥勒仏、阿弥陀如来などの様々な「仏」の像が造られるようになった。
「仏像」とは、本来は「仏」の像、すなわち、釈迦如来、阿弥陀如来などの如来像を指すが、一般的には菩薩像、天部像、明王像、祖師像などの仏教関連の像全般を総称して「仏像」ともいう。広義には画像、版画なども含まれるが、一般に「仏像」という時は立体的に表された丸彫りの彫像を指すことが多い。彫像の材質は、金属製、石造、木造、塑造、乾漆造、鉄筋コンクリート造、FRP製など様々である。
仏像を専門にする彫刻家は仏師と呼ばれる。日本では隋の時代の仏像は遣隋使も持ち帰って来ない程の作品だったが、唐の時代に入ると仏師の腕が上がり数多くの傑作となる作品が造られた。遣唐使が数多くの唐の仏像を持ち帰り、同時に仏教が広められ、後にも様々な仏師により数々の作品が誕生し、現在に至る。
成り立ちと歴史
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元々、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。
また、原始仏教は宗教的側面もあったが、四諦や十二因縁という自然の摂理を観ずる哲学的側面の方がより強かったという理由も挙げられる。さらに釈迦は「自灯明・法灯明」(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)という基本的理念から、釈迦本人は、自身が根本的な信仰対象であるとは考えていなかった。したがって初期仏教においては仏像というものは存在しなかった。
しかし、釈迦が入滅し時代を経ると、仏の教えを伝えるために図画化していくことになる。
仏陀となった偉大な釈迦の姿は、もはや人の手で表現できないと思われていた。そのため人々は釈迦の象徴としてストゥーパ(卒塔婆、釈迦の遺骨を祀ったもの)、法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの))や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹、仏舎利など、形がある物を礼拝していた。インドの初期仏教美術には仏伝図(釈迦の生涯を表した浮き彫りなど)は多数あるが、釈迦の姿は表されず、足跡、菩提樹、台座などによってその存在が暗示されるのみであった。
仏像の誕生
[編集]仏像が造られる以前、釈迦牟尼(しゃかむに)の存在は法輪・菩提樹・仏足石などによって象徴的に表現されていた。
ところが、西北インドのガンダーラ地方(現在はパキスタン)と北インドのマトゥラー地方に仏教が伝わると、仏像が盛んに造られるようになったことから、この2つの地域に仏像の起源は求められている[2]。ガンダーラとマトゥラーのいずれにおいて仏像が先に造られたかについては、長年論争があり、決着を見ていない。
ガンダーラ
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ガンダーラでは、インド文化を基盤にヘレニズム文化の影響を受けて、ギリシャ的な風貌を持つ仏像が造られた[2]。次第に釈迦の修行時代を示す王冠菩薩や、弥勒(みろく)菩薩を示す束髪(そくはつ)菩薩などの菩薩像が生まれ、さまざまな仏像が出現するようになる[2]。 ガンダーラの仏像の特徴は額・眉間に白毫(びゃくごう)があり、背後に丸い円盤のような光背を付けているなどが挙げられる[2]。
また、ガンダーラでは仏塔の周囲に仏像を安置する仏龕(ぶつがん)が作られるようになるが、時代の経過と中央アジアに仏教が伝わるにつれて、仏塔と仏像を祀る祠堂(しどう)が誕生する[3]。そうしてついには、仏像崇拝が仏塔崇拝よりも興隆するのである。
ガンダーラの仏教美術は、仏塔や石窟寺院とともに、ガンダーラから中央アジアを経由して東アジアへ伝えられた[3]。
ガンダーラ仏教美術の時代背景
紀元前330年頃にアレクサンドロス3世(大王)の遠征軍がペルシャを越え北インドまで制圧し、ギリシャ文化を持ち込んだ。その後も紀元前2世紀にはグレコ・バクトリア王国のギリシャ人の支配を受けるなど、西方文化の流入は続いた。つまりガンダーラの仏教美術とは、ギリシャ美術、ペルシャ文化に仏教が融合した結果であった。
元々仏陀像は釈迦の像に限られていたが、仏教の展開に応じて、色々な像が生まれ、光背はペルシャ文化の影響と見られ、仏教はギリシャ文化の影響からか、偶像崇拝的性格を持つようになった。ガンダーラにおいても銘文から弥勒菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩などであることが明らかな作例が確認されている[4]。
マトゥラー
[編集]仏像が盛んに造られるようになったのは、紀元後1世紀頃からインドを支配したクシャーナ朝の時代であることはほぼ定説となっている。クシャーナ朝のカニシカ王は釈迦の教えに触れて仏教の保護者となった。王は自国の貨幣に釈迦像と仏陀の名を刻印した。また当時の都であったプルシャプラ(現パキスタン、ペシャーワル)の遺跡からはクシャーンの王(カニシカ王とされるが異説もある)の頭上に釈迦が鎮座する図柄の舎利容器なども発見されている。
マトゥラーの仏像は肩がいかり肩で力強く、量感に富む仏像が造られた[3]。これはさらに洗練され、グプタ朝時代の完成された仏像に引き継がれていった[3]。
仏の種類
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仏像は、如来、菩薩、明王、天部の四つのグループ(部)に分けられる。このほか、羅漢や祖師像を含めた尊像を広く仏像ということもある。
なお、本文に登場する持物・体勢については#持物や#体勢による種類を参照されたい。
如来
[編集]如来(にょらい)とは仏の尊称、十号の一つである[5]。「仏」および「仏陀」と同義とされる[6]。
如来の語はサンスクリット語のタターガタ[7](tathāgata)という、tathā(そのように)とāgata(来たる者)の合成語の訳であり[6][7]、「真実から来た者」の意だと解釈されている[6][8]。なお、tathāgataをtathāとgata(去れる者)の合成語だとし、「そのとおりに去れる者」だと解釈される場合もある[8]。
如来は三十二相八十種好と呼ばれる身体の特徴を持っていると言われていることから、如来像も可能な限りこれを表現している[6]。頭頂部の盛り上がり(肉髻)、頭髪が右巻に渦巻いている(螺髪(らほつ))、額にある巻き毛(白毫)、手足にある水かき(手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう))、体が金色である(金色相)、耳たぶが長い、装飾品は一切身に着けていない等の特徴である[6][8][9]。
通常、衣服は肩に大衣[注 1](たいえ、だいえ)、腰に裳をまとっているだけであり[6]、非常に簡素な姿をしている[6]。しかし、大日如来だけは例外で、菩薩のように装飾品を身にまとっている[6]。
如来像は、頭部や表情、結んでいる印相、持物[注 2](じもつ)によって見分けられる[8][11][12][13]。
日本の如来像と中国の如来像には違いがみられ、中世の日本で造像された如来像は無地の大衣をまとっていた一方、中国で造像された如来像はまとっている大衣に文様が加えられている[8]。なお、平安時代後期以降には、日本でも文様のある大衣をまとっている如来像がみられるようになる[8]。
- 釈迦如来
- 釈迦如来は、ガウタマ・シッダールタ(釈迦)の生涯を表した像である[14]。日本では、誕生仏や苦行像、降魔像、涅槃像等がみられる[14]。
- 釈迦が説法をしている場面を表現したものが主であり[14]、それは大衣を左肩にまとい、右手に施無畏印、左手に与願印を結んでいる姿が描写されている[13][14]。説法印を結んでいることもある[15]。
- 左右に脇侍が付いた形式も存在し(釈迦三尊)、これには主に獅子に乗る文殊菩薩と象に乗る普賢菩薩が脇侍に付いている[14]。ほかの組み合わせとして、薬王菩薩と薬上菩薩や、観音菩薩と虚空蔵菩薩、梵天と帝釈天、十大弟子である阿難と摩訶迦葉などが存在している[14]。
- 盧舎那仏
- 盧舎那仏は太陽神への信仰から生まれ、蓮華蔵世界に住むとされる如来である[16]。
- 造形としては釈迦如来とほとんど異ならないが、蓮弁に線刻文様が描かれている点が独自の特徴である[17]。
- 蓮華座の上に座っている。左手は膝の上に置かれ、右手は少し浮かせているような体勢をしている[16]。
- 薬師如来
- 薬師如来は、病の治癒や延命、苦痛を消す等を行う如来である[18]。大医王如来、薬師瑠璃光如来といわれることもある[18]。
- 右手に施無畏印を結び、病の治癒を表すものとして左手に薬壷を持っているという特徴があるが[注 2]、薬壷を持たない代わりに与願印を結んでいる像も存在する[18][注 3]。
- 三尊形式の場合、脇侍として日光菩薩と月光菩薩が付く[18]。脇侍とは別に、十二神将が従うことがある[18]。
- 阿弥陀如来
- 阿弥陀如来は、極楽浄土の主尊とされる如来である[19]。阿弥陀の語はサンスクリットで「無限」を指すAmita[20]から転じたもの[19]。阿弥陀如来から発せられる光は全世界をもれなく照らすと言われていることから無量光如来、無量の寿命をもつと言われていることから無量寿如来とも称される[19]。
- 飛鳥時代より主に脇侍に観音菩薩・勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊の形で祀られている[19]。それに地蔵菩薩、龍樹菩薩の加わった阿弥陀五尊像も存在する[19]。
- 結んでいる印相は時代によって異なるものが採用されている[19]。飛鳥時代・奈良時代に造像されたものは施無畏印・与願印を、奈良時代後期に造像されたものは説法印を、平安時代以降に造像されたものは来迎印を結んでいる[19]。
- 大日如来
- 大日如来は、密教において両界曼荼羅の中心だとされている如来である[21]。Mahāvairocanaを訳したもの[22]。アフラ・マズダーが起源に関わっていると言われており、宇宙をもれなく照らすほどの光の持っているとされる[21]。
- 顕教の如来と異なり、頭髪を結い上げ、宝冠を頂き、瓔珞(ようらく)、首飾り、腕釧(わんせん)、臂釧(ひせん)などの装飾品を身に着けている[21][23]。また、坐像のみが造像されており、立像は存在しない[21]。
- 弥勒如来
- 弥勒如来は、現在は兜率天で修行を行っているとされる弥勒が、釈迦の入滅から56億7千万年後に悟りを開き、現世に生まれ変わった姿のことを指す[24]。像としては主に生まれ変わった後の姿が造像されている[24]。
菩薩
[編集]菩薩(ぼさつ)とは、人々を救済しつつ、悟りを開くために修行を積む人のことである[25]。ボディーサットバ[26](bodhisattva)が音写された、菩提薩埵(ぼだいさった)の略[27]。
頭を丸めている地蔵菩薩[25]のような例外を除き、一般的な姿は菩薩形(ぼさつぎょう)と呼ばれ、上半身に条帛(じょうはく)を纏って、下半身に裳を着け、天衣(てんね)を両肩から垂れ下げている姿を持つほか、髻を結い上げて宝冠を頂き、また瓔珞、耳璫(じとう)、腕釧、臂釧、足釧(そくせん)などの装飾品を身につけている[25]。
- 観音菩薩
- 観音菩薩は、人々の声を聞き、救済を行う菩薩である[28]。頂いている宝冠に化仏を付けていて、ゲンゲを入れた花瓶を持っていることが多い[28]。Avalokiteśvaraの訳である観世音菩薩[29]の略[28]。
- 観音は多種多様な姿を持つとされ[28]、像としては主に以下のようなものが存在する。
- 聖観音は、一面二臂[注 4]の観音像である[28]。
- 十一面観音 - 11の顔(化仏)を持つ観音で、頭に宝冠を頂き、装飾品を身につけ、水瓶や数珠を持っている像が一般的である[30]。2本の腕のみを持つ像が多いが、4本や8本の腕を持つ像も存在する[30]。インドや朝鮮、中国で造像されたものも確認されている[30]。
- 千手観音 - 1000の目と腕をもつ観音である[31]。千手千眼観自在菩薩の略[31]。
- 准胝観音 - インドで仏母とされていたものが密教と共に日本に来て観音となったもの。二臂のものから八十四臂のものまで存在するが[32]、十八臂のもの[32]あるいは三目十八臂のものが多い[33]。
- ほかの観音については観音菩薩を参照のこと。
- 地蔵菩薩
- 地蔵菩薩は、釈迦如来が入滅した後の六道世界において、弥勒菩薩が如来となって現れるまでの間に現れて人々を救う菩薩である[34]。頭を丸めていて、菩薩形とは異なる像容をしている[25]。
- 主に立像、坐像、半跏像のいずれかの体勢をしていて、左手に宝珠を持ち、右手に施無畏印を結んでいる[34]。右手に錫杖を持っていることもある[34]。
- 普賢菩薩
- 普賢菩薩は、慈悲を司り、主に文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍となる菩薩である[35]。
- 独尊の場合、白象の上に置かれている蓮華座に座り、合掌をしている姿が一般的である[35][36]。これらに加えて教典などを持っている像も存在する[35]。
- 文殊菩薩
- 文殊菩薩は、仏の智恵を象徴し、普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍となる菩薩である[37]。
- 独尊の場合、獅子に乗り、剣を持っている[38]。眷属を従えており[38]、善財童子・ウダヤナ・仏陀波利三蔵・最勝老人らと文殊五尊を形成することがある[37]。
- 弥勒菩薩
- 弥勒菩薩は、既に修行を終えたものの、現在は兜率天にとどまっており、釈迦の入滅から56億7千万年後の未来に如来(弥勒如来)となって現れ、釈迦のいた時代に救済されなかった人々を救済するとされている菩薩である[39]。
- 像としては、弥勒如来の姿を表したものと、兜率天で修行を行っている姿を表したものの2種類が造像されている[39]。
- インドでは主に水瓶を持つ弥勒の姿が造像されていたが、日本や朝鮮、中国では半跏思惟像が多く造像されていた[39]。
- 日光・月光菩薩
- 日光菩薩・月光菩薩は、薬師如来の脇侍としてつき、薬師三尊を構成する、薬師如来の教えを守る役目をもつ菩薩である[40]。日光菩薩は薬師如来の左側に[41]、月光菩薩は右側に立つ[42]。
- 日光菩薩はこの世を漏れなく照らす光を発するとされ、月光菩薩は月の光を象徴するとされる[40]。
- 両菩薩は対称的な像容をもち、日光菩薩が右手を上げるような像容をもつ場合は、月光菩薩は左手を上げるような像容をもつ[40]。
- 虚空蔵菩薩
- 虚空蔵菩薩は、多くの知恵を持ち、人々の願いを叶えるとされる菩薩である[43]。こくぞうぼさつとも読む[44]。
- 頭に宝冠を頂き、右手に宝剣、左手に如意宝珠を持つ像容をしている[45]。右手に与願印を結び、左手に蓮華の茎を持つ像も存在する[43]。
- 勢至菩薩
- 勢至菩薩は、阿弥陀如来の脇侍としてつき、阿弥陀三尊を構成する菩薩である[46]。阿弥陀三尊を構成している像は、同じく阿弥陀三尊を構成する観音菩薩と同じ体勢をしている[46]。
- 来迎を表す像は、合掌をしていることが多く、跪く体勢をしているものも存在する[46]。
- 金剛薩埵
- 金剛薩埵は、揺るぎない菩提心を象徴し、密教では大日如来の母としても信仰される菩薩である[47]。
- 主に右手に五鈷杵、左手に五鈷鈴を持っているが、左手は拳を握っている像も存在する[47]。
明王
[編集]明王は、密教で信仰されている、如来の教えに従わない人々の前に現れ、如来の意のもとにその人々を懲らしめるとされる仏、教令輪身の総称である[48]。サンスクリットでvidyā-rājaの訳[49]。
日本に明王が伝来したのは奈良時代であるが、造像が多く行われるようになったのは本格的な密教が確立され、流行した平安時代以降だとされる[48]。
- 不動明王
- 不動明王は、大日如来の教えに従わない人々の前に現れ、その人々を教化するために恐ろしい姿に変装した大日如来のことである[50]。向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左に制多迦童子(せいたかどうじ)を従えた三尊(不動三尊)の形式で祀られることが多い[51]。八大童子が眷属としてつくこともある[50]
- 頭に莎髻(しゃけい)を作り、蓮華を載せ、左に垂髪(すいはつ)を垂らし、口には牙が生え、右手に剣、左手に羂索を持つ像容をしている[50]。目は両目を開眼させているものと左目のみを閉じているものの2種類がある[50]。
- 貪・瞋・癡の三毒を従える降三世明王、悪を負かす力をもつ大威徳明王、宝生如来の教令輪身である軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)、悪を調伏する力をもつ金剛夜叉明王らと五大明王を構成する[52]。このとき、不動明王を中心に東に降三世明王、西に大威徳明王、南に軍茶利明王、北に金剛夜叉明王を配置する[52]。天台宗では北に烏枢沙摩明王が配されることがある[53]。
- 不動明王はインドから中国を経由し日本へ伝えられたものであるが、インドや中国で造像された不動明王像の多くは現存していない[50]。
- 孔雀明王
- 孔雀明王は、毒蛇を食べることがあるクジャクを神として祀り、人々の苦痛などを取り除くという力をもつとされる明王である[54]。明王に分類されるが、菩薩のような像容をしていることが特徴である[54]。
- ハスやザクロ、倶縁果(ぐえんか)、孔雀の尾を手に持ち、背中に大きな羽が生えた姿が一般的である[54]。
- 愛染明王
- 愛染明王は、愛欲を司り、人々の愛欲を菩提心へと変心させる力をもつ明王である[55]。平安時代に信仰が始まり、院政時代に多く信仰されるようになった[55]。
- 3つの目と6本の腕を持ち、それぞれの腕に五鈷杵や五鈷鈴、弓や矢、蓮華を持ち、1本のみ拳を握っているという像容をしている[55]。体は赤く、瓶の上に置かれている蓮華座に座り、背後には赤く円形の光背がある[55]。
- 上に弓を向け、矢を放とうとしている天弓愛染(てんきゅうあいぜん)という種も存在する[55]。





天部
[編集]天部とは、バラモン教、ヒンドゥー教などの神々が仏教に取り入れられた形である[56]。元の神性が仏教を嫌悪し、悪事を働くようなものであっても、護法善神の役割を担っている[56]。天部の姿は様々で、天女の形をしたものや(例:弁才天)武将の形をしたもの(例:帝釈天)、力士の形をしたもの(例:金剛力士)などが存在する[56]。以下に挙げるのは代表的な天部であるが、それ以外にも様々なものが存在する。
- 弁才天
- 弁才天(旧字体:辯才天)は、古代インドの神であるサラスヴァティーが仏教に取り入れられた形である[57]。元は川の神・農耕の神であったが、後に知識・学芸・音楽・財宝の神としても信仰されるようになった[57]。後述する梵天の妻ともされる[57]。
- 日本では、奈良時代には造像されていたことが確認されている[57]。日本での造像が始まったばかりのころは剣や弓といった武器を持つ八臂の姿[58]が描写されていたが、鎌倉時代以降は琵琶などの楽器を抱えた二臂の姿[58]が描写されるようになる[57]。
- 十二天
- 十二天とは、古代インドの神から取り入れられた仏教の護法善神である十二の天部のことである[59]。毘沙門天、風天、水天、羅刹天、焔摩天、火天、帝釈天、伊舎那天、梵天、地天、日天、月天から構成される[59]。邪神の対処や修行の手助けなどを行うとされる[59]。
- 十二天の姿形は経典によって異なる[59]。
- 主に絵画に描かれ、十二天を表した仏像は少ない[59]。
- 帝釈天
- 帝釈天は十二天の一柱。バラモン教の武神インドラが、仏教に取り入れられた形である[60][61]。帝釈天は修行中の釈迦を助け、説法を受けたといわれ、梵天とともに仏法の守護神だとされている[60][61]。
- 日本では、頭部を結い上げ、中国風の礼服を身に着け、金剛杵や鏡、蓮華、うちわなどを手に持つ二臂の姿の像が一般的で、礼服の下に鎧をまとっている像も存在する[60]。
- 密教では頭に冠を頂き、鎧を身にまとい、独鈷杵という仏具を右手に持つ二臂の姿の像が一般的である[60]。中には白象にまたがっている像も存在する[60]。
- 梵天
- 梵天は十二天の一柱。バラモン教で信仰されていた創造神・宇宙の創造主であるブラフマーを仏教に取り入れたもの[62][63]。梵天の語はサンスクリットのブラフマー(Brahmā)を訳したものである[63]。
- 帝釈天とともに仏法の守護神で[60]、天部の中でも最高位に位置する神だとされる[62]。
- 日本では、頭部を結い上げ、中国風の礼服を身に着け、払子や鏡、柄香炉などを手に持つ二臂の姿の像が一般的である[62]。また、密教ではガチョウや蓮華座の上に座る四面四臂の像容が多くみられる[62]。
- 梵天・帝釈天・その他如来や菩薩で三尊形式を構成することもある[62]。
- 水天
- 水天は十二天の一柱。水を統べる龍神で[64]、古代インドの水神・海上神・司法神であったヴァルナを仏教に取り入れたもの[65]。
- 頭に冠を頂き、左手に羂索、右手に剣を持ち、亀に乗っている像容が一般的である[64]。
- 焔摩天
- 焔摩天は十二天の一柱。炎魔天・閻魔天とも表記される[66]。閻魔を密教に取り入れたもの[67]。
- 水牛に乗り、人頭幢を持つ姿の像が一般的である[67]。
- 毘沙門天
- 毘沙門天は十二天の一柱。毘沙門天という名称は、四天王における多聞天が単独で祀られる際の呼称である[68]。財宝の神だとされる[69]。
- 基本的な姿は多聞天と変わらず、甲冑を身にまとい、左手に宝塔、右手に鉾または棒を持つ姿の像が一般的である[68][69]。
- 日天
- 日天あるいは日天子は、十二天の一柱。古代インドで信仰されていた太陽神を仏教に取り入れたもの[70]。日天という呼称は密教内で使用されているものである[70]。
- 月天
- 月天あるいは月天子は、十二天の一柱。古代インドで信仰されていた月の神を仏教に取り入れたもの[71]。月天という呼称は密教内で使用されているものである[71]。
- 火天
- 火天は十二天の一柱。古代インドの火神アグニを仏教に取り入れたもの[72]。
- 2本ある左手には水瓶と仙杖をそれぞれ持っていて、同じく2本ある右手の一方は数珠を持ち、もう一方は三角印を結んでいることが特徴[72]。白髪で体は赤く、炎の中に座っている姿が一般的である[72]。
- 風天
- 風天は十二天の一柱。古代インドの風神[73]を仏教に取り入れたもの。
- 白髪で体は赤く、甲冑を身にまとい、幢(はた)を右手に持つ姿が一般的[73]。
- 吉祥天
- 吉祥天は、古代インドの神ヴィシュヌの妃であるラクシュミーを仏教に取り入れたもの[74]。仏教に取り入れられた後は毘沙門天の妃だとされる[74]。
- 中国の貴婦人の服装をし、左手に如意宝珠や花を持ち、右手を施無印か与願印とする立像が多い[74][75]。
- 四天王
- 四天王は、帝釈天に従い、須弥山の四方で仏法を守る守護神である[76]。北方の多聞天、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天から構成される[76]。
- 肩や胸に甲冑を着け、邪鬼を踏みつけ、剣・鉾・戟を手に持つ姿の像が一般的である[76]。
- 日本では須弥壇の四方に配するために飛鳥時代から造像が始まり[76]、東大寺戒壇院の四天王像は、天平時代の秀作として知られている[77]。
- 八部衆
- 八部衆あるいは天龍八部衆は、古代インドの龍を釈迦が教化し、仏教に取り入れたものである[78]。天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽の8柱を指すが、興福寺の八部衆像では、天の代わりに五部浄(ごぶじょう)、龍の代わりに沙羯羅(しゃがつら)、夜叉の代わりに鳩槃荼、摩睺羅伽の代わりに畢婆迦羅(ひっぱから、ひばから)が配されている[78]。
- 阿修羅
- 阿修羅は、八部衆の1柱。古代インドの邪神が仏教に取り入れられたもの[79]。阿修羅は本来、仏教に仇をなす存在であったが、改心して守護神になったといわれている[79]。興福寺の八部衆像のうちの阿修羅像は特に有名で[80]、一般的な阿修羅像と異なり喜びの表情をしているのが特徴である[79]。
- 金剛力士
- 金剛力士は、金剛杵を執って釈迦の近くで仏法を守護する[81]。口を開いた阿形と、口を閉ざした吽形の2体で造られ、それぞれ境内の入り口の門に配されることが多い[81][注 5]。仁王門に置かれることが多いが、三十三間堂や興福寺の像のように、堂内(須弥壇の一番外側)に配置するために作られたものもある[82]。
- 十二神将
- 十二神将は、薬師如来に仕え、如来やそれを信仰する人々を守護する役目を持つ12の大将のことである[83]。宮毘羅(くびら)、伐折羅(ばさら)、迷企羅(めきら)、安底羅(あんてら)、頞儞羅(あじら)、珊底羅(さんてら)、因陀羅(いんだら)、波夷羅(はいら)、摩虎羅(まこら)、真達羅(しんだら)、招杜羅(しょうとら)、毘羯羅(びから)から構成される[83][84]。なお、これらの名称には諸説がある[83]。
- 甲冑を身に着け、剣や鉾を手に持つ姿の像が一般的である[83]。
荘厳具
[編集]光背
[編集]光背は、仏の体から発せられるという1丈ほどの光(丈光相(じょうこうそう)[85])を表したもの[86]。
光背には頭部の後ろにある頭光(ずこう)、全身ほどの大きさの挙身光(きょしんこう、身光[87])、頭光と挙身光を合わせた二重円光背(にじゅうえんこうはい)の3種類が存在する[86]。
台座
[編集]台座は、仏像を配置するための台のことである[88]。大抵の場合、台座は須弥壇の上に置かれる[89]。
如来の台座
[編集]日本の如来は、蓮華座、須弥座、裳懸座のいずれかに乗っていることが多い[89]。
菩薩の台座
[編集]菩薩も如来と同じく、蓮華座を使用している像が多い[90]。以下では、蓮華座以外かつ著名な台座を挙げる。
明王の台座
[編集]天部の台座
[編集]- 天部も明王と同じく岩を台座として使用するものが一般的であるが、四天王が使用する、岩の上に邪鬼を置いた台座も存在する[92]。
持物
[編集]仏教における持物(じもつ、じぶつ)は、仏像の持ち物のこと[93]。
如来における持物
[編集]如来は持物を持たず、その手には何かしらの印相を結んでいることが多いが、病の治癒の象徴として薬壷を持つ薬師如来のような例外も存在する[93][10]。
菩薩における持物
[編集]菩薩は様々な持物を用いて、救済の力を表す[10]。
- 蓮華
- 蓮華(れんげ)は、観音菩薩が持つことが多く、開いた花を表した開蓮華とまだ開いていない花を表した未敷蓮華(みふれんげ)の2種類が存在する持物である[94]。蓮華のつぼみは清らかな心や悟りを表すとされる[93]。
- 水瓶
- 水瓶(すいびょう)は、水を注ぐ瓶である[93]。上述した蓮華と同じく、観音菩薩を象徴する持物である[94]。これにハスの花を挿している像も存在する[95]。
- 水瓶の中には清浄の効果を持つ甘露が入っているとされる[93]。
- 宝珠
- 宝珠は、地蔵菩薩が持つことが多く[93]、丸い形をした珠がある宝珠と、その上に焔を装飾した火焔宝珠の2種類が存在する[95]。
- 輪宝
- 輪宝は、仏法による煩悩の打破などを象徴する持物[95]。元は武器として扱われており[95]、戦車の車輪をモチーフとしている[93]。
- 羂索
- 羂索(けんさく)は、人々の不安を滅する効果を持つ、5色の糸から織りなされる縄の持物である[96]。羂索の名をを冠する不空羂索観音などが持つことで知られる[97]。
- 蓮台
- 蓮台(れんだい)は、来迎の際に観音菩薩が阿弥陀如来の側で持つ持物である[97]。魂はこれにすくわれ、極楽浄土に向かうとされる[97]。
- 宝塔
- 宝塔は、弥勒菩薩の持物である[97]。宝塔の置き方には、弥勒菩薩の結んだ禅定印の上に載せられる場合と、弥勒菩薩が持った蓮華の上に載せられる場合の2種類が存在する[97]。
- 剣・経巻
- 剣は、文殊菩薩が持つことで知られる持物である[97]。
- 経巻(きょうかん)は、文殊菩薩が持つことで知られる持物である[97]。これを蓮華の上に載せている像も存在する[97]。
- 五鈷杵・五鈷鈴
- 五鈷杵(ごこしょ)と五鈷鈴(ごこれい)は、金剛薩埵が持つことで知られる持物である[97]。密教の仏具に分類される[97]。
- 錫杖
- 錫杖は、地蔵菩薩が持つことで知られる持物である[93][98]。地蔵の六道巡りを象徴する持物としても知られる[99]。
- 先端に輪が複数つけられており、地面につけると音が鳴るという[93]。
- 日輪・月輪
- 日輪(にちりん)と月輪(がちりん)は、日光菩薩・月光菩薩がそれぞれ持つことで知られる持物である[99]。
明王における持物
[編集]天部における持物
[編集]天部は多種多様な持物を持つとされる[100]。
- 剣・戟
- 剣・戟は、四天王が持つことで知られる持物である[100]。
- 宝塔
- 宝塔は、多聞天が持つことで知られる持物である[100]。
- 金剛杵
- 金剛杵は、金剛力士や執金剛神が持つことで知られる持物である[100]。
- 蛇
- 蛇(へび)は、深沙大将が持つことで知られる持物である[100]。
- 宝珠
- 宝珠は、吉祥天が持つことで知られる持物である[100]。
- 琵琶
- 琵琶は、弁財天が持つことで知られる持物である[100]。
- ザクロ・赤子
- ザクロ・赤子は、鬼子母神が持つことで知られる持物である[100]。
- 袋・小槌
- 袋・小槌は、大黒天が持つことで知られる持物である[100]。
- 人頭幢
- 人頭幢(にんずどう[101])は、焔摩天が持つことで知られる持物である[100]。
- 竜
- 竜は、善女竜王が持つことで知られる持物である[100]。
素材と技法
[編集]金銅造
[編集]金銅造(こんどうぞう)は、青銅を鋳造した像の表面に金めっきを塗る技法のこと[102]。原型の違いによって蠟型・土型・木型の3種類に分けられる[102]。この技法は青銅器制作の技法が基になつろているとされる[103]。
金銅造の歴史は古く、少なくとも五胡十六国時代にはこの技法があったと伝わる[103]。日本では仏教公伝とともにこの技法が伝わったとされ、『日本書紀』によると金銅仏を見た欽明天皇はその見た目に驚嘆したという[103]。
金銅造で製作された仏像は「強固」「火がかかっても溶けない」などの利点がある一方、制作にあたって「コストがかかる」「高い技術力が必要」などの欠点も存在したため、平安時代に木造の仏像が流行すると、一気に衰退した[104]。
蠟型
[編集]土型
[編集]木型
[編集]石造
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塑造
[編集]乾漆造
[編集]木造
[編集]- 木彫(もくちょう)
- 木を素材として多用するのは、日本の仏像の特徴である。樹種別にみると、飛鳥時代にはもっぱらクスノキが用いられた。例外としてはアカマツ材を用いた京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏像があるが、この像の制作地については日本・朝鮮半島の両説がある。奈良時代は、銅造、乾漆造、塑造の仏像が数多く制作され、乾漆を併用しない純粋の木彫像はむしろ少数である。奈良・唐招提寺講堂に安置されていた木彫仏像群はカヤ材が用いられ、鑑真周辺の工人の参加が想定されている。平安時代中期以降寄木造が主流となると、ヒノキをはじめカツラやケヤキなど、多様な素材が用いられた。用いられる木材は、御神木などの神聖な木が使われることもあり、古代からのアニミズムの影響が考えられる。
- 一木造(いちぼくづくり)
- 一つの木材から仏像の頭体の主要部を彫り出す技法。手先、足先、天衣の遊離部などを矧ぎ足す場合も、頭体の主要部分が一材から彫出されている場合は一木造という。一木造の仏像は飛鳥時代から存在するが、平安時代初期には等身大以上の仏像を一木から彫出する例が多く(神護寺薬師如来立像など)、この時代に特徴的な技法といえる。こうした木彫製作方法は世界各国で見られ、エジプトの木彫神像やヨーロッパ中世の教会におけるキリスト像や聖人像なども、同じように一材から像の主要部を彫出している。
- 法隆寺の九面観音像は唐からの招来像で、細かい装身具や天衣の遊離部を含む、像の全体を白檀の一材から彫出し、像表面には彩色や金箔を施さず木肌の美しさと香りを生かしている。このような様式・技法の像を「檀像」と称する。日本では希少な白檀の代わりにカヤ材を用いた代用檀像が制作された。一木造は塑造や乾漆造と違い、一度削ってしまったら修正は不可能であり、細部の破綻が全体に及ぶ可能性がある。こうした制作者と用材の緊張関係が、仏像に深い精神性と優れた造形力をもたらしている。
- 内刳(うちぐり)
- 背刳(せぐり)ともいう。木材の乾燥・収縮によるひび割れ(「干割れ」と呼ばれる)を防ぐために、内部を刳り木心を取り除き、材が乾燥したとき収縮し易くする技法。一木造では多くの場合、後頭部や背面から剥ぐので背刳りという。坐像の場合は、像底の平らな面からも刳りを入れる。干割れを防ぐだけでなく、像の重量を軽くし、製作中に用材の乾燥を早めるのにも役立つ。
- 割矧造(わりはぎづくり)
- 一木から彫刻する像を、工程途中で頭体部を木材の縦目に沿って左右または前後に一旦割り離し、この割れ面をそれぞれ丸木舟を刳るように十分内刳りした後、再び元の割れ目で矧ぎ合わせる技法。一木造と寄木造の中間的な技法と言える。9世紀後半の造像と考えられる、福島県勝常寺の薬師如来像が古い作例である。割矧ぎ法として、像の内刳りをした後、頸周りに縦に内刳りに向けてノミを入れ、頭部と体部を一旦割り離し、細部の仕上げが済んでから再び矧ぎ合わせる「割首」と呼ばれる技法もある。
- 寄木造(よせぎづくり)
- 頭体の主要部を二つ以上の材から組み立てる技法。一木造は内刳りを施してもやはり干割れが起こしやすく、像の主要部を一材から木取りするのにどうしても巨木が必要になるが、一つの像を幾つかのブロックに分け、その一つ一つを別材から木取りし、積み木を並べるように組むことで、特に太く大きい木材を使わなくても巨像を造り易くなる。また、干割れの原因となる木心部を取り除いて木取りするのも簡単であり、更に内刳りも各材の広い矧ぎ面から十分に刳ることができ、分業が容易、など長所が多い。寄木造は10世紀後半頃から始まったと見られ、六波羅蜜寺の薬師如来坐像が今知られる最初の例である。11世紀に入るとより合理化・洗練され、特に定朝以降、丈六仏のような巨像の制作に盛んに用いられた。代表的な物に東大寺南大門金剛力士像などがある。
装飾技法
[編集]体勢による種類
[編集]仏像はその体勢によって、立像、座像、倚像、半跏像、涅槃像などの種類に分けられる。
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大きさ
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仏像の立高、肩幅など各部の寸法を総称して「法量」と呼ぶ。釈迦の背丈とされる大きさで作られた仏像は丈六仏と呼ばれる。
丈六仏以上の大きさは大仏と呼ばれ、その中でも特に巨大なものは巨大仏と呼ばれる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー『ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流』中央公論社 1994年 p.95
- 1 2 3 4 高崎 & 木村 1995, p. 38.
- 1 2 3 4 高崎 & 木村 1995, p. 39.
- ↑ 高田修『仏像の起源』(岩波書店、初版1967年、復刊1994年ほか)『仏像の誕生』(岩波新書 1987年)、宮治昭『ガンダーラ仏の不思議』(講談社選書メチエ、1996年)
- ↑ 「如来」『山川 世界史小辞典 改訂新版』山川出版社。コトバンクより2026年7月5日閲覧。
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参考文献
[編集]- 『仏像がわかる本 基本の種類と見わけ方』岩崎和子(監修)・飯島満(イラスト)、淡交社、2001年。ISBN 4-473-01848-2。
- 『仏像の見方見分け方 正しい仏像鑑賞入門』河原由雄(監修)、主婦と生活社、2002年。ISBN 978-4-391-12668-6。
- 高崎直道, 木村清孝 編『東アジア仏教とは何か』春秋社〈シリーズ・東アジア仏教〉、1995年。ISBN 978-4-393-10131-5。
- 『よくわかる仏像の見方 大和路の仏たち』西村公朝、小学館、1999年12月10日。ISBN 4096070025。
- 『仏像なんでも事典』大谷徹奘(監修)、理論社、2017年11月。ISBN 4652202156。
関連文献
[編集]- 水野敬三郎監修 『日本仏像史 カラー版』(美術出版社、2001年)、ISBN 978-4-568-40061-8
- 真鍋俊照編 『日本仏像事典』(吉川弘文館、2004年)、ISBN 978-4-642-07938-9
- 宮治昭 『仏像学入門 ほとけたちのルーツを探る』(春秋社、2004年)、ISBN 978-4-393-11903-7
- 『仏像の本』(ブックス・エソテリカ:学習研究社、2007年)、ISBN 978-4-056-05009-7
- 沢村忠保 『仏像の見方 正しく理解する仏像のカタチ』(誠文堂新光社、2009年)、ISBN 978-4-416-80976-1
- 『一冊でわかるイラストでわかる 図解仏教』廣澤隆之(監修)、成美堂、2014年5月26日。ISBN 4415111866。
- 江里康慧 『仏像に聞く 鑑賞を深めるための基礎知識』(ベスト新書、2003年)、ISBN 978-4-584-12057-6
- 松濤弘道 『仏像の見方がわかる小事典』(PHP新書、2003年)、ISBN 978-4-569-63161-5
- 宮元健次 『仏像は語る 何のために作られたのか』(光文社新書、2005年)、ISBN 978-4-334-03324-8
- 瓜生中 『仏像はここを見る 鑑賞なるほど基礎知識』(祥伝社新書、2005年)、ISBN 978-4-396-11024-6
- 紺野敏文 『奈良の仏像』(アスキー新書、2009年)、ISBN 978-4-048-67747-9
- 長岡龍作 『日本の仏像 飛鳥・白鳳・天平の祈りと美』(中公新書、2009年)、ISBN 978-4-121-01988-2
- 瓜生中 『仏像がよくわかる本 種類、見分け方完全ガイド』(PHP文庫、1998年)、ISBN 978-4-569-57167-6
- 瓜生中 『知っておきたい仏像の見方』(角川ソフィア文庫、2007年)、ISBN 978-4044064037