大久保弘一

大久保 弘一(おおくぼ こういち、1894年〈明治27年〉2月5日[1] - 1974年〈昭和49年〉5月21日[2])は、日本の陸軍軍人、著述家。陸軍省新聞班や南方の宣伝部門に勤務し、軍事、国防、時局、思想などに関する著作を執筆した。二・二六事件の際、反乱部隊の下士官・兵に帰順を呼びかけたラジオ放送「兵に告ぐ」(「兵ニ告グ」)の原稿を執筆したことでも知られる[3]。太平洋戦争中には陸軍大佐として第25軍宣伝班長、馬来軍政監部宣伝部長などを務め、戦争末期には台湾で第10方面軍報道部長を務めた。
経歴
[編集]陸軍軍人として、1930年代には陸軍省新聞班に勤務するとともに著述活動を行った。1934年(昭和9年)には『日本の国際的立場と其使命』を執筆した[4]。1935年(昭和10年)刊行の『日本女性史』には、「陸軍省新聞班 陸軍歩兵少佐」の肩書で「戦争と女性」を寄稿している[5]。
1936年(昭和11年)2月の二・二六事件では、事件終盤に反乱部隊の下士官・兵に帰順を促すためラジオ放送が行われ、大久保が「兵に告ぐ」で始まる放送原稿を執筆した[3]。日本放送協会編『放送夜話』は大久保を同原稿の執筆者として紹介し、大久保が執筆した原稿の写真も掲載している[3]。大久保自身も後年、同書に収録された座談会「二・二六事件とラジオ」に参加し、原稿作成から放送に至る経緯を回顧した。
二・二六事件後も著述活動を続け、1936年に『日本精神信解』、1937年に『日本は強し』、1938年(昭和13年)には『知識階級に與ふ』『陸軍読本』『赤色支那』『國體認識に向へる現代思想の批判―知識階級の精神開發』などを執筆し、1940年(昭和15年)には『太陽と日本』が刊行された。1943年(昭和18年)6月16日から、同書はアルゼンチンの邦字紙『亜爾然丁時報』に転載され、連載された[6]。
太平洋戦争中には南方の宣伝・軍政活動に従事した。第25軍宣伝班では1942年(昭和17年)7月から大久保が班長を務め、主としてマレーで宣伝活動を行った[7]。1943年(昭和18年)5月、第25軍とその軍政監部のスマトラ移駐に伴い、マレー地区の軍政を担当する馬来軍政監部がシンガポール(昭南)に新設された[8]。同年5月5日付の「馬来軍政監部職員表」には、陸軍大佐の大久保弘一が宣伝部長として記載されている[9]。
宣伝部長として新聞・ラジオを通じた戦局宣伝にも携わった。1943年9月、大久保がマレーの情勢と戦局について行った日本国内向けの演説が東京のラジオで放送され、同月15日付『The Syonan Shimbun』は、その内容を大久保の肖像写真とともに掲載した[10]。占領下マレー・シンガポールを研究したPaul H. Kratoskaも、大久保を宣伝部長として取り上げ、同時期の『昭南新聞』に掲載された大久保の声明を引用している[11]。
1944年(昭和19年)5月30日、第7方面軍司令部附となり、同年11月27日には第10方面軍司令部附となった[12]。同年12月には台湾で第10方面軍報道部長に着任した[13]。
戦後、1968年(昭和43年)に日本放送協会から刊行された『放送夜話―座談会による放送史』に収録された座談会「二・二六事件とラジオ」に参加した[3]。戦後は心霊研究グループ「千鳥会」の活動にも関わったという[14]。1974年(昭和49年)5月21日に死去した[2]。
著書
[編集]- 『日本の国際的立場と其使命』田中春翠編、大阪図書〈時局問題叢書 第12編〉、1934年。
- 『日本精神信解』川流堂小林又七本店、1936年。
- 『日本は強し』川流堂小林又七本店、1937年。
- 『知識階級に與ふ』生活社、1938年。
- 『陸軍読本』日本評論社、1938年。
- 『赤色支那』高山書院、1938年。
- 『國體認識に向へる現代思想の批判―知識階級の精神開發』日本協会出版部、1938年。
- 『太陽と日本』陸軍画報社、1940年。
脚注
[編集]- ↑ “大久保弘一”. Shirakaba.link. 2026年9月1日閲覧。なお、藤巻一保「陸軍少佐 大久保弘一」『ムー』2017年7月号、110頁、および同『戦争とオカルティズム―現人神天皇と神憑り軍人』二見書房、2023年、348頁では2月15日としている。
- 1 2 藤巻一保『戦争とオカルティズム―現人神天皇と神憑り軍人』二見書房、2023年、348頁。
- 1 2 3 4 日本放送協会編『放送夜話―座談会による放送史』日本放送協会、1968年、23-31頁。
- ↑ 大久保弘一著、田中春翠編『日本の国際的立場と其使命』大阪図書〈時局問題叢書 第12編〉、1934年。
- ↑ 大久保弘一「戦争と女性」雄山閣編輯局編『日本女性史』雄山閣、1935年、314頁以下。
- ↑ 『亜爾然丁時報』1943年6月16日、1面、および同年7月1日、1面。国際日本文化研究センター「海外邦字新聞データベース」所収。
- ↑ 岩上隆安「日本陸軍宣伝隊による南方地域での『宣伝戦』」『陸上防衛』第2号、陸上自衛隊教育訓練研究本部、2023年、13頁。
- ↑ “馬来軍政監部”. アジア歴史資料センター. 2026年9月1日閲覧。
- ↑ 「馬来軍政監部職員表 昭和18年5月5日」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14060752100、防衛省防衛研究所。
- ↑ “Malai Absolutely Calm And Confident Of Final Victory, Col. Koichi Okubo Declares”, The Syonan Shimbun, 15 September 1943, p.1, NewspaperSG, National Library Board Singapore.
- ↑ Paul H. Kratoska, The Japanese Occupation of Malaya and Singapore, 1941–45: A Social and Economic History, 2nd ed., NUS Press, 2018, p.153.
- ↑ 「第103号 昭和19年5月30日 陸軍異動通報」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120910600、および「第250号 昭和19年12月1日 陸軍異動通報」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120926700、防衛省防衛研究所。
- ↑ 谷川舜「戦時下の植民地台湾における新聞と帝国日本の言論政策」『マス・コミュニケーション研究』第95号、2019年、163-181頁。
- ↑ 藤巻一保『戦争とオカルティズム―現人神天皇と神憑り軍人』二見書房、2023年、358-361頁。
参考文献
[編集]- 日本放送協会編『放送夜話―座談会による放送史』日本放送協会、1968年。
- 藤巻一保「陸軍少佐 大久保弘一」『ムー』2017年7月号。
- 藤巻一保『戦争とオカルティズム―現人神天皇と神憑り軍人』二見書房、2023年。
- Paul H. Kratoska, The Japanese Occupation of Malaya and Singapore, 1941–45: A Social and Economic History, 2nd ed., NUS Press, 2018.
- 谷川舜「戦時下の植民地台湾における新聞と帝国日本の言論政策」『マス・コミュニケーション研究』第95号、2019年、163-181頁。
- 岩上隆安「日本陸軍宣伝隊による南方地域での『宣伝戦』」『陸上防衛』第2号、陸上自衛隊教育訓練研究本部、2023年。