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柴小屋雄一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柴小屋 雄一
名前
愛称 シバコ
カタカナ シバコヤ ユウイチ
ラテン文字 SHIBAKOYA Yuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-06-16) 1983年6月16日(43歳)
出身地 宮城県仙台市
身長 187cm
体重 82kg
選手情報
ポジション サッカー:DF (CB)
フットサル:FIXO
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 習志野高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2010 日本の旗 大分トリニータ 22 (1)
2005 日本の旗 水戸ホーリーホック 39 (0)
2007-2008 日本の旗 サガン鳥栖 56 (1)
2009 日本の旗 愛媛FC 31 (1)
2010-2011 インドネシアの旗 ペリタ・ジャヤ 12 (0)
2011-2012 インドネシアの旗 ペルセワ・ワメナ 25 (2)
通算 185 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柴小屋 雄一(しばこや ゆういち、1983年6月16日 - )は、宮城県仙台市出身のフットサル選手、元プロサッカー選手。サッカー選手時代の登録ポジションはディフェンダーバレーボール選手の柴小屋康行は実弟。

来歴

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大分トリニータ在籍時は、皇甫官体制時に当時入団一年目だった深谷友基とCBを組み、三木隆司などベテランを退け開幕からレギュラーを掴んだ。経験不足による失点は目立ったが、空中戦には強く、強豪クラブを抑える活躍をした。

ペリクレス・シャムスカの監督就任後、出場機会が減少。2007年4月に出場機会を求めサガン鳥栖期限付き移籍。鳥栖ではセンターバックのレギュラーの座を掴み、第二クールにおいて快進撃の原動力となっていた。しかし、10月21日の古巣水戸戦で全治2か月の負傷を負い、戦線を離脱した。翌2008年も移籍期間を延長し鳥栖でプレー。飯尾和也とCBのコンビを組み出場した試合では安定した守備をみせた。

2009年からは愛媛FCへ期限付き移籍。まずまずの出場機会を得るも、シーズン終了後に期限付き移籍満了、大分からも戦力外通告を受ける。しかし年明けの1月、一転して同じく戦力外となっていた梅田高志とともに再契約されることが発表された。なお、大分には3年ぶりの復帰となった。

2010年3月24日、練習中の負傷(右肩関節脱臼)により全治4ヶ月と診断された[1]。同年9月21日インドネシアリーグペリタ・ジャヤに移籍。

2011年3月、ペリタ・ジャヤで同僚だった酒井友之と共に、インドネシアリーグのペルセワ・ワメナに移籍した[2]。しかし、5か月分もの給料未払いがあった事を理由として[3]2012年12月31日、自身のブログで現役引退を表明した[4]2016年4月に東北フットサルリーグ2部南・レジェンガ・フットサルクラブに加入。フットサル選手として現役復帰した。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ・アマ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002大分27J200-0000
2003J100000000
2004水戸20J2390-20410
2005大分3J11805000230
200631000031
20070000-00
鳥栖37J2300-10310
20082261-20281
2009愛媛311-00311
2010大分2010--10
インドネシア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2010-11ペリタ・ジャヤ3リーガ・インドネシア120--120
ペルセワ・ワメナ88111--111
2011-128141--141
通算日本J1 2115000261
日本J2 1272-501322
インドネシアリーガ・インドネシア 372--372
総通算 185550501955

脚注

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  1. 柴小屋雄一選手 怪我の診断結果について - J's GOAL(2010年3月24日)
  2. 移籍! - 酒井友之オフィシャルブログ(2011年3月4日)
  3. 3選手最大8カ月超に 日本人への給料未払い 2リーグ分裂のイ・プロサッカー”. じゃかるた新聞 (2013年1月23日). 2019年1月15日閲覧。
  4. 現役引退のお知らせ。 - 柴小屋雄一オフィシャルブログ(2012年12月31日)

関連項目

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外部リンク

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