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突厥碑文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

突厥碑文(とっけつひぶん、 英語: Old Turkic inscriptionsGöktürk inscriptions)とは、突厥文字を用いて書かれた古代テュルク語による東突厥碑文である。

ビルゲ・カガン碑文のレプリカ(アンカラガズィ大学)。

概要

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突厥碑文と呼ばれる碑文はいくつかあり、その中でも有名なのが『トニュクク碑文』、『キョル・テギン碑文』、『ビルゲ・カガン碑文』である。『キョル・テギン碑文』と『ビルゲ・カガン碑文』はニコライ・ヤドリンツェフ英語版によってオルホン河畔のホショ・ツァイダムで発見されたため(1889年)、ともに『ホショ・ツァイダム碑文』と呼ばれる。一方の『トニュクク碑文』はクレメンツによってトラ河上流のバイン・ツォクトで発見されたため(1897年)、『バイン・ツォクト碑文』と呼ばれる。これら突厥碑文が重要視されるのは遊牧民族である突厥が、自らの文字で自らの言語を記したということであり、東アジアにおいては漢民族以外で日本かな文字とともに古い。それまでの突厥ではソグド文字ソグド語を使用していた[1]

2013年にはモンゴル東部のドンゴイン・シレー遺跡でも碑文が発見されている[2][3]

クリャシュトルヌィによる分類

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ロシア(当時はソ連)のセルゲイ・グリゴリエヴィチ・クリャシュトルヌィ(Klyaštornyj)は、中央ユーラシア各地に点在する古代トルコ・ルーン文字碑文を大きく3つに分類し、さらにその3つをそれぞれ7種、7種、6種に分類した。

地域的
政治的
内容的
  • 歴史的・伝記的テキスト
  • 墓碑銘叙情詩
  • 岩壁などに刻まれた覚書き
  • 呪術的・宗教的テキスト
  • 法律文書
  • 日常用具上の記号

このうち、いわゆる突厥碑文と呼ばれるものは、地域的には北モンゴル高原で、政治的には東突厥で、内容的には歴史的・伝記的テキストに属する碑文を指す[4]

オルホン碑文

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1892年に『オルホン碑文』の名で未解読の碑文資料が公開されたことにより、この名称がある。1890年5月15日、フィンランド人の研究者アクセル・ヘイケル(Axel Olai Heikel)は帝政ロシアの首都サンクト・ペテルブルクを出発し、シベリアのイルクーツク経由で8月16日にオルホン川畔に到着した。以前から謎の碑文があるという噂があり、それを調査するためであった。ヘイケルは現地で3つの碑文[5]を発見し、写真と拓本をとってヘルシンキへ持ち帰り、未解読のまま公開したのが『オルホン碑文』である。 ヘイケルの調査の後、ロシアの言語学者ワシリー・ラドロフ(ヴィルヘルム・ラドロフ)も現地に赴き、調査を行った。碑文の解読をめぐってフィンランドと帝政ロシアとの間で熾烈な競争となったが[6]、1893年に解読に成功したのはデンマークの言語学者ヴィルヘルム・トムセンであった[7]

突厥碑文のうち、オルホン川流域にあるものを日本では一括して「オルホン碑文」(Orkhon inscriptions)と呼ぶが、これは必ずしも正確な命名とはいえない[8]。以下はオルホン碑文に該当する碑文。

突厥碑文一覧

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名称1名称2発見地発見年建置年言語文字
チョイレン銘文モンゴル、ウランバートル686年-687年古テュルク語突厥文字
イフ・ホショートゥ碑文キュリ・チョル碑文モンゴル、トゥブ・アイマクデルゲルハン・ソム、イフ・ホショートゥ1912年6-8世紀古テュルク語突厥文字
オンギ碑文モンゴル、ウブルハンガイ・アイマクオヤンガ・ソムオンギ川の支流1891年6-8世紀古テュルク語突厥文字
バイン・ツォクト碑文トニュクク第一碑文モンゴル、トゥブ・アイマクトール川上流のバイン・ツォクト遺跡1897年732年以前古テュルク語突厥文字
バイン・ツォクト碑文トニュクク第二碑文モンゴル、トゥブ・アイマク、トール川上流のバイン・ツォクト遺跡1897年732年以前古テュルク語突厥文字
ホショ・ツァイダム碑文キョル・テギン碑文モンゴル、オルホン・アイマクオルホン川畔(オルホン渓谷)のホショ・ツァイダム遺跡1889年732年古テュルク語、漢語突厥文字、漢字
ホショ・ツァイダム碑文ビルゲ・カガン碑文モンゴル、オルホン・アイマク、オルホン川畔(オルホン渓谷)のホショ・ツァイダム遺跡1889年735年古テュルク語、漢語突厥文字、漢字

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脚注

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  1. ブグト碑文
  2. 8世紀の突厥碑文発見 モンゴル東部、阪大が共同調査”. 日本経済新聞. 2013年7月22日閲覧。
  3. Ancient Monument in Asia Reveals Hidden Stone Sarcophagus Surrounded by Mysterious Secret Writings Newsweek(12/19/17)
  4. 三上・護・佐久間 1974,p223-224
  5. ヘイケルが発見した3つのうちの2つは、キョル・テギン碑文とビルゲ・可汗碑文である。
  6. フィンランドが碑文の調査解明に熱心であった背景には、帝政ロシアの支配下にあったフィンランドにあって、フィンランド固有の文化を見直し、民族としての自信と勇気を取り戻そうとする当時の気運と関連している。フィンランド人の民族の起源と形成を明らかにするために言語学者はウラル・アルタイ語の研究を進めていた。
  7. トムセンはフィンランドの学界と関係が深かった。
  8. 三上・護・佐久間 1974,p224
  9. モンゴル国現存遺蹟・碑文調査(ビチェース・プロジェクト):1996-1998

参考資料

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外部リンク

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