コンテンツにスキップ

高舘村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかだてむら
高舘村
熊野那智神社
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
高舘村、増田町、閖上町、下増田村、館腰村、愛島村 → 名取町
現在の自治体 名取市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
郡 名取郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 28.77 km2
総人口 4,673人
(『名取市史』、1955年3月31日)
隣接自治体 生出村、仙台市、増田町、愛島村
高舘村役場
所在地 宮城県名取郡高舘村吉田字長六反131
座標 北緯38度11分16秒 東経140度51分01秒 / 北緯38.18764度 東経140.85028度 / 38.18764; 140.85028座標: 北緯38度11分16秒 東経140度51分01秒 / 北緯38.18764度 東経140.85028度 / 38.18764; 140.85028
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

高舘村(たかだてむら)は、1889年から1955年まで日本の宮城県名取郡にあった村である。高館村とも書いた。名取川が仙台平野に出るあたりの南岸にある農村であった。

概要

[編集]

村の面積の半分以上を高舘丘陵の丘陵地が占め、東部が仙台平野である。北の境は名取川で区切られる。

町村制施行にともない1889年(明治22年)に吉田村、川上村及び熊野堂村の区域をもって、高舘村が発足する。

1955年(昭和30年)に高舘からみて南と東にある町村と合併して名取町となり、これが3年後に市制施行して名取市となり、現在に至る。合併は宮城県の案に従って行われたが、高舘村の東隣の中田村は1941年(昭和16年)に仙台市に合併しており、仙台との直線距離がさして変わらない高舘村にも、当時は仙台市への合併に傾く者が多かった。そのため一時は合併協議から退きかけたが、県の強い働きかけで名取町への合併に加わった[1]。

高舘村が発足以前、江戸時代の初めの寛永検地での人口は2939人、明治初年の人口は2597人あった[2]。名取町が発足時の1955年の人口は4673人であった[3]。

行政

[編集]

村長

[編集]
  • 三浦清 1889年(明治22年)4月23日 - 1897年(明治30年)4月22日
  • 橘内季一 1898年(明治31年)[4] - 1898年(明治31年)6月24日
  • 三浦清 1898年(明治31年)7月15日 - 1906年(明治39年)7月25日
  • 遠藤常治 1906年(明治39年)7月25日 - 1910年(明治43年)8月18日
  • 三浦清 1910年(明治43年)8月18日 - 1912年(明治45年)7月24日
  • 菅井熊治 1912年(大正元年)8月8日 - 1915年(大正4年)2月9日
  • 阿部市太郎 1915年(大正4年)3月4日 - 1919年(大正8年)3月3日
  • 三浦清 1919年(大正8年)4月24日 - 1919年(大正8年)12月31日
  • 遠藤貞介 1920年(大正9年)2月14日 - 1921年(大正10年)3月31日
  • 菅井熊治 1921年(大正10年)6月16日 - 1925年(大正14年)6月15日
  • 佐伯忠治 1925年(大正14年)7月6日 - 1937年(昭和12年)7月8日
  • 菊地彦三郎 1937年(昭和12年)7月9日 - 1941年(昭和16年)7月8日
  • 菅井与左エ門 1941年(昭和16年)7月9日 - 1945年(昭和20年)7月8日
  • 菊地彦三郎 1945年(昭和20年)7月18日 - 1946年(昭和21年)11月28日
  • 三浦孝 1947年(昭和22年)4月5日 - 1955年(昭和30年)3月31日

教育

[編集]

1885年(明治18年)に吉田村に作られた吉田小学校が、高舘村成立時に高舘小学校と改称した。高舘小には北西に熊野堂分教場、さらに西に余方分教場があったが、熊野堂分教場は1904年(明治37年)に廃止された。高舘中学校は、1947年(昭和22年)に新設された。

脚注

[編集]
  1. ↑ 『名取市史』389-390頁。
  2. ↑ 『名取市史』219頁
  3. ↑ 『名取市史』387頁
  4. ↑ 『名取市史』388頁には○月○日とあり、月日不明。

参考文献

[編集]
  • 名取市史編纂委員会『名取市史』、宮城県名取市、1977年。