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K_night Parade【第五話】

全知全能の

<はじめから ・《前の話


1

 事故、ではなかった。
 イクサの漆黒の瞳はまっすぐにイヲリを捕らえている。
 一同は言葉を失い、蛇神の右手からとめどなく滴り落ちる赤黒い血を眺めることしかできなかった。
 無垢な外見のために忘れられがちであるが、イクサは鬼神で、闘神なのだ。覚醒前の幼体だが、幼体であるがゆえに、突然牙をむく。
 しばらくして、微かな嚥下音が響いた。
「今の失言は、指一本でチャラにしてあげる。」
 イクサは口の周りを血で汚したまま、無邪気に微笑んでみせた。
 イヲリはこの時初めて、蛇神と鬼神――闘神との格の差を理解した。体温は底なしに下がり、汗腺のないはずの全身から脂汗が吹き出す。
 イヲリは退いた勢いでひれ伏し、地に額を擦り付けた。
 震えながら思い出す。あの日、イヲリの主人、一鬼も何かに怯えていた。あの大勢の中で、一鬼だけがイクサに恐れを抱いていた。
 あの時と同じことが、今イヲリの身にも起きている。チャラにしてあげると言われたにもかかわらず、イヲリはひれ伏したまま、下される沙汰をじっと待った。
「イヲリさん。」
 少し長い沈黙を破ったのはイクサではなかった。
 ちらと顔を上げる。当の鬼神は背後の大人に目と口を塞がれて暴れていた。
「これは俺の……いえ、私の監督不行届です。申し訳ありませんでした。」
 朱雀すざくはイクサの頭部を腹の上に押さえつけたまま、可能な限り頭を下げた。表情は見えないが、真剣な声音だった。
「私はこの子を抑えられるつもりで連れ帰ったというのに。まことに面目ない。」
 イクサがイヲリの指を喰いちぎった瞬間、青ざめたのはイヲリだけではなかった。朱雀は幻世の住人が好きではなかったが、怪我をさせて気分が良くなるほど嫌ってもいない。
 イクサは養父・惣右衛門そうえもんの庇護下にある間、感情に任せて暴れたことは、ただの一度もない。しかし惣右衛門の葬儀の後、朱雀が席を外した間に、イクサは一鬼イッキ王子に殴りかかった。その前例があったために、目は離さなかった。ただイクサの内に眠る凶暴性を甘く見積もっていた。
「何ですざくんが謝るんだよ。悪いのはこのヒトだろ。」
 イクサは口を覆う大きな手を強引にはがして反抗する。
「僕の方が偉いってわからせてやらなきゃ。こいつらは何度でもここに来るよ。」
 ぎろりと睨まれたイヲリは慌てて地面に頭を埋めなおす。
 朱雀はようやく、イクサの凶行の意味を理解した。
 わが身を差し出せと言った朝の延長。あの時のイクサはまだ現世の常識の中にいた。しかし朝からの一連の騒ぎを通して、葦原中津國における命のやり取りを覚えさせてしまった。守るために傷つけることは当たり前だと、理解してしまった。
 感情任せの暴走などではない。イクサはイクサなりに、百瀬の家族を守ろうとしている。
 ならばこそ、イクサがこれから葦原中津國アシハラノナカツクニで生きていくためには、教育が必要だ。
 朱雀はイクサの脳天に拳骨を振り下ろした。
「何で殴ったの!?」
 イクサは振り返って朱雀を見上げる。大人の反応を見て、自分が間違えたことだけは悟ったようだ。
「躾だ。」
 朱雀は屈んでイクサと目線を合わせた。
「現世では、悪いことした人の指を噛み切ったか?」
 拳は開いて肩に。口調はゆっくり、声音は低く。瞬きをしても視線は外さない。実子三人を躾けてきた経験がものをいう。
 イクサは黙って首を横に振り、朱雀の言葉を聞き入れる態勢をとった。
「じゃあ、葦原中津國ここでもやっちゃいけない。」
「でも、魑斬ちぎる君はいっぱい殺した。魍喪ももだって、平気だったけど脚を切られたんだ。魅狩みかるさんなんか初対面で僕の頭を狙って矢を撃ったよ。何が良くて、何がダメなの?」
「全部だめだよ。やっちゃいけない。」
 言われたイクサは目を逸らすでもなく、頷くでもなく、まだ不服そうに何かを考えた。全能、鬼神、闘神などという暴力の化身のわりに、聡く育ったものだと感心する。
「すざくんのゲンコツは良いの?」
「どうかな。これから、ちゃんと時間をかけて教えるよ。葦原中津國アシハラのことも鬼退治のことも、だめなのに何で俺たちは戦っているのかも。」
 言いながら、朱雀はイクサの口元に指を差し出した。
「俺の指も噛み切るか?」
「……なんで?」
「わからせてみろよ。お前の方が偉いんだろ。」
 イクサはかすかに動揺の色を見せながら、屋根の上の二人を見る。魑斬ちぎる魅狩みかるは揃って薄ら笑いを浮かべながら、説教を喰らうイクサを鑑賞していた。
「俺が怪我をしたらあの子らが心配すると思っただろ? イヲリさんにもいるんだよ。」
 ふいに名前を呼ばれたイヲリが肩を震わせた。ただし呼ばれただけだった。
 一方イクサは微動だにしない。イヲリが怪我をしたことで、心配する誰かについて思いを巡らせた。件の一鬼王子しか思い当たる者がない。イクサが知らないだけだ。
 報復に来られてもたぶん勝てる、などと考えていたイクサの両肩を、朱雀が優しくたたいた。
「じゃあどうしたら良いか、わかるな。」
 イクサはまた間違えかけたことを悟って頷き、イヲリの方へ向き直った。
 イヲリは伏したままじっと待機していた。
 イクサはイヲリの正面に立って、口を開いた。

2

 事故だった。
 ひれ伏すイヲリの目の前に、こつんと小石が落下した。
 ポケットに収まる程度の大きさの、河原で拾ったような、何の変哲もない石だった。
 イクサがいたはずの場所には、隻腕の巨漢が立っていた。

 ほんの数秒前の、ほんの数秒間の出来事だ。
 振り返ったイクサはイヲリに対して謝罪の言葉を述べるものだと思われた。
 だがイクサは、右手の人差し指を口元に運んだ。意図は同じ謝罪でも、イクサは今度は自らの指を噛み切ろうとしていた。屋根の上の魑斬だけが見逃さなかった。
 それがいけなかった。
 魑斬は電光石火のごとく駆けつけて、太刀を持ったままの左手でイクサの右手をはたいた。行き場を失った上下の顎が、太刀の鍔に絡みついた。
 人知を超えた力というほどではない。想定外の勢いで、想定外の方向に想定外の力が加わったに過ぎない。
 幼い鬼神の牙は、いともたやすく砕けてしまった。
 その直後、イクサは本来の石の姿に戻った。
 塞いだ口から空気が抜けていく風船のように、イクサの形をしていた透明な光の粒が逃げた。
 魑斬は消えゆくイクサに見つめられながら、ひとつとしてそれを掴むことができなかった。
 二の腕から先のない右腕の先をすり抜けて、小石が落ちた。

「なんということをしてくれたんだ……。」
 イヲリの口から絞り出されたかすれ声が、責めるようにつき刺さる。
「神殺し一族の欠陥品が……! 全能を失えば、千年後の滅びは避けられぬのだぞ!」
 イヲリは落ちた小石を掌に乗せた。
 魑斬にはそこら辺の石と見分けがつかない。そんなものが、ついさっきまでそこにいた弟弟子であると、信じられるわけがなかった。
「とぼけた顔をしよってからに! お前が手にしているのは鬼退治の宝刀、鬼神をも殺す鬼斬りの太刀だろうが。」
 魑斬は左手の太刀をじっと見る。
 自身の持ち物の由縁を知らなかったわけではないだろう。どれだけ貴重な宝物であろうと今は、守るつもりでいた鬼の子を斬った凶器だ。
 魑斬は愛刀を地に叩きつけ、膝をついて、吠えた。
「罪を理解したなら自害して詫びろ。それとも私が、首を刎ねてやろうか?」
 言いながら、イヲリは音もなく魑斬に近寄る。
 下半身の蛇の尾を鬼斬りの太刀に絡めた。
 その時、たん、と尾の先に一本の矢が突き刺さった。
「イクサがいなくなってから随分と元気だね、おじさん。」
 射手は、やはり屋根の上。
 魅狩は震える鉉に二射目を番ながら、勇ましく煽る。
「元はと言えば、あんたがうちに攻めてきたのが悪いんだ。兄さんより先に死刑にしてあげる。」
「やめろ魅狩!」
 朱雀が止めるもきかず、第二射は放たれた。
 イヲリは尾で防御を試みるも、一射目の矢で地面に打ち付けられていた。已む無く視線に神通力を込めて、向かいくる二の矢を焼いた。
「降りてこい。神狩りの子。」
 ぎろりと睨まれた魅狩は後ずさり、腰を落とした。
 イヲリは尾に刺さった矢を敢えてゆっくり抜き取った。矢尻から赤い血が滴るのを、腰を抜かした魅狩に見せつける。
 イヲリは鬼神を舐めていたが、魅狩もまた蛇神を舐めていた。
 イヲリが眼から銀色の光を放つと、魅狩の足元の屋根が爆ぜて崩れた。魅狩は瓦礫に埋もれて身を潜めようとしたが、間髪入れずに蛇の尾に引き摺り出されてしまった。
 魅狩の体は宙空を経由してイヲリの足元へ、乱暴に落とされた。内臓を圧されて呻き声が漏れる。骨の何本かは折れているかもしれない。
 鬼王軍総司令官参謀という肩書きは伊達ではない。鬼神の前でこそ無様にひれ伏すことしかできなかったが、蛇神も本来は十分に強い神に位置付けられる。
「先にこちらの無礼者を殺そう。」
 イヲリは聞こえよがしに言った。
 魑斬は折れかけた闘争心を再び振るわせ立ち上がる。だが、刀がない。魑斬の太刀は、イヲリの指が一本欠けた手の中にある。
 魑斬は構わず駆けだした。
 イヲリは魑斬の太刀を、魅狩の頭目掛けて振り下ろす。
 間に合わないかもしれない。
 間に合ったとしても止められないかもしれない。
 手を伸ばせば届きそうな距離まで詰めたところで、イヲリの蛇の尾に弾き飛ばされた。
 魑斬は戦意を失っていない。門扉にぶつかる寸前で受け身を取る。門扉の柱には魅狩の矢が刺さったままになっていた。丸腰よりマシかもしれないと、引き抜いてまた走る。
 イヲリの肩越しに、不動で空を見上げる朱雀を見つけた。魑斬はそんな父の姿を、見なかったことにした。
 前進を阻む尾を躱し、神通力を放つ視線を避けて、イヲリの懐に潜りこんだ。
 ついにはイヲリが振るった刀と、魑斬の刀代わりの矢が勝ち合った。木の矢では鬼斬りの宝刀に勝てるわけもないのに、魑斬は闘神の意地を見せ、上手く力を分散させて競り合う。
 拮抗した力比べの頭上に、不意に影が落ちた。
「兄さん、下がって!」
 直後、イヲリの脳天に強烈な踵落としが見舞われた。
「お待たせ!!」
 華麗に着地した魍喪は、太陽よりも眩しい笑顔でピースサインをしてみせた。

3

 故意でしかなかった。
 外門の小屋根から庭の中央まで、大ジャンプからの踵落とし。その威力が中途半端なわけがなかった。
 イヲリは白目を剥いてその場に倒れ込んだ。
「どこに行ってたんだよ?」
 何事もなかったふりをして、魅狩が尋ねる。
「山。ちょっと不審者を深追いしちゃったんだよね。」
「他にも敵がいるのか?」
「いたよ。ちゃんとやっつけたから大丈夫。」
 魍喪もまた、何事もなかったかのように答えた。
「お兄ちゃんこそボロボロじゃない? 大丈夫?」
「超痛い。もう、ご飯作れないかも。」
 魅狩は冗談めいて答えたが、実際は重症である。
 激しい攻防の後とは思えない、朗らかな時間が訪れたのも束の間、魍喪はイクサの姿が見当たらないことに気づいてしまった。
 魑斬と魅狩は顔を見合わせ、そして目を伏せた。
「百瀬はもうおしまいだ。」
 朱雀の言葉が冷めた空気を更に凍り付かせた。
 深刻な面持ちで頭を抱え、両膝をついてその場にうずくまった。兄弟たちは朱雀のそんな姿を初めて見るようで、所在無げに立ち尽くした。
「イクサが……全能が消えた。百瀬はもう、存在する意味がない。」
 朱雀は自棄になって笑う。
「それってどういうこと?」
 流石の魍喪も不安気だった。
「鬼退治は要らなくなるってことだ。人を助けても、世界は救えないんだから。」
「じゃあこの子・・・のことも、助けてあげられないかな?」
 魍喪は背中からこの子・・・を降ろして前に立たせた。
 朱雀は魍喪が何かを背負っていることも、裸足で飛び出したはずなのに厳つい鎧のようなブーツを履いていることも、視認だけはしていた。
 誰ともわからないこの子・・・助けても無駄だ。そう伝えるためだけに顔をあげ、口と同時に目を見開くことになった。

 この子・・・は人間の形をしている。
 歳は魍喪と同じくらい。
 背丈も魍喪と同じくらい。
 少女のようでもあり、少年のようでもある。
 真白でふわふわの長い髪。
 純白の水干を纏い、何故か裸足である。
 どこかイクサに似ている。顔の造りはほぼ一致していると言っても過言ではない。
「はじめまして。私は、全知の鬼神。」
 感情を置き去りにした神々しいまでの微笑みは、鏡写しのようにそっくりだ。
「何故、あなたがここに……?」
 いつの間にかイヲリが覚醒していた。動くことはできないらしく、倒れた姿勢のまま尋ねた。
 全知の鬼神はイヲリの前にぴょんと移動して、身をかがめた。
「逃げてきちゃった。」
 あどけない笑顔にピースサインは、魍喪の真似だろうか。
「イヲリ君、全能の核を渡して。」
 言うが早いかイヲリの手の中から小石を奪い取る。しばらく小石を観察して、それからふっと息を吹きかけた。
 きらきらと光の粒が集まる。不安気に見守る一同の目の前で、小石がイクサの姿に変わった。
「おはよう、全能。はじめまして。」
 色違いのそっくりさんが、座り込んだ姿勢で向かい合っている。白はにこりと微笑み、黒は意識の定まらないまま見つめ返す。
「だれ?」
「私はイブキ。全知の鬼神。あなたと同じ使命のために作られた命。」
 百瀬の一同は未だ理解が追いつかず、呆然と二柱の鬼神を注視した。
 イクサの使命とは、千年後の滅びを避けるために世界の理を書き換える『王』を選ぶことだったはずだ。同じ使命とは、二柱が足並みを揃えて支え合うのか、それとも異なる『王』を選んで対立するものなのか。
 イクサを復活させたのだから、前者寄りの存在である可能性は高い。
 注目を集めたまま、イブキはイクサの手を取った。
「『王』の候補を見つけたの。私は魍喪ちゃんを推薦する。」
 注目は自然と、魍喪の方へ移った。


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#妖怪 #鬼 #異界渡り

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