お母さん
私のお母さんは私のファンである。
KADOKAWAから書籍化の声が掛かった時は真っ先に詐欺を疑ったくせして、実際にエッセイが発売されるとそれはもう大いに喜んで今となっては私のnoteもSNS投稿も熟読しているようだ。「あんたが載せてた(リポストしていた)他所の犬が良かったね」とか言ってくる。そこは私の投稿した文章について褒めるなり何なりたらどうだと娘心ながらに思う。
更に見ているじゃ飽き足らず「あんたは書く仕事をもっとするべきだね」と言って慣れないインターネットを駆使してエッセイや短歌のコンテストや公募を見つけてくる敏腕マネージャーっぷりを発揮することもある。が、参加にあたるルールまでは熟読していないようで、そもそも応募資格がないものもそれなりに多い。それについて「これは都民じゃないと応募出来ないみたいだね」とか言うと、誤りを認めるどころか「はん!そんな狭い範囲で何を募るんだか!」と言い出すのが私の母だ。この国の首都に向かってその言い草たぁ恐れ入る。小池百合子もびっくりだよ。
昨年はこの創作大賞に私が参加しなかったことを何故かとても残念がっており、「あんたならやれたと私は思っているよ」と何度も言った。「やれたはずなんだよなぁ〜」も何度も聞いた。ここではっきりさせておきたいのはエッセイを書くのは母ではなくこの私である。
時にひらめいた!とばかりに「ばあちゃんのことを書きな!最近皮膚科に行ったらしいよ!」と自分の母親であるばあちゃんを娘権限でエッセイの話題として提供してくることもあるが、ばあさんが皮膚科に受診した話をどう書けというのか。人はそれをエッセイと呼ばず通院介助記録と呼ぶんだぜ。
それに、それならまだ自分の仕事で施設の利用者さんを泌尿器科へお連れした時、何を思ったか待合室にて唐突にそれはもう狭い院内に響き渡るような大声で「年寄りばかりだね!あたし年寄りって嫌いっ!!」と言われてとてつもなく気まずい思いをした日の話を私は書くだろう。
それを言った本人が96歳という大年寄りに分類される年齢であったことや、先生に年齢を聞かれて「187歳」とハキハキと答えたこと。帰りの車の中で「そもそもあの医者は何?おしっこのことばかり聞いて」と憤慨していたことなど。泌尿器科の先生だからね、そりゃあね。何なら他に何を診て聞けってかって話だからねと言ってもどうせ聞かないので数分に1回「ところで木が沢山生えてるから外をご覧なさいよ」を壊れたラジオのように繰り返した帰り道であった。
このようにエッセイにするにはそれくらいのエピソードが必要なのだ。それを「ばあちゃんが皮膚科に行ったんだってよ!書いていいよ!」と言われたところでどうなるというのか。「ばあちゃんが皮膚科に行ったそうです。歩けはしないので多分車椅子で、それもリフト対応の車で片道20分弱の病院に行ったことでしょう」くらいしか書くことはない。天気予報ならぬババア通院予報。誰が見て、誰が参考にして、そうかなるほどじゃあうちのじいさんかばあさんも急な通院になった時のための車椅子を今から玄関に用意しておきましょう!となるのか。 いやいやお待ちください、何なら歩行器という手もあるよともなるまい。
このようにして現時点で1300文字も費やしてしまっているわけだが、ここまで通して母に一旦伝えたいことは「無茶を言うな、無茶を」の一言である。
本題に戻ろう。そう、別に今回の話は母の無茶ぶりへのボヤキが本題なわけじゃない。母の日だから、母が昨年願ってやまなかったのが創作大賞への応募だったから、今こうしてこのエッセイを書いている。これは私から母へのプレゼントで、読む贈り物なのだ。
ここ数年の母は本当に辛そうだった。悲しみのどん底にいた。愛犬の死があり、大きく開いた穴があって、その穴はまだ何一つ塞がることなく犬の形に開いたままそこにある。
犬が本当にもうもたないだろう、頑張れないだろうという状態になった時、母は泣きながら浅く呼吸のみしている犬に「ねぇ行かないでよ、お母さんと一緒にいようよ」と言った。母は普段そんなことを言う人ではない。でもきっと、咄嗟に出たんだろうと思った。あれこれ言葉を選ぶ余裕も無く、ただそのまま出たのだと。命がゆっくり燃え尽きていく犬の姿をした我が子に縋りたいほど心細く、心が今にも張り裂けそうなほど辛い思いを隠しきれなかった結果なのだろう。母の心は常に愛犬と共にあった。母の拠り所と安寧は犬の存在そのものだったのだ。
犬を人生から失って以降家族全員がそれぞれの悲しみと喪失に打ちのめされたが、一番傷付き悲しんだのは母だった。母が心配で仕方なかった。
犬のせいでもなく、母のせいでもなく、誰のせいでもなく。だけど家族そのものがもう駄目かもしれないと思うことが幾度もあった。
母が泣いている姿を何度も見た。子供の前で泣いたりする人ではなかったのに。見様見真似で、私が泣いた時に母がそうしてくれたように隣に座り背中を撫でるのが精一杯の日々。私が歳を取るのと同じように母も歳を重ねていく。不安や心配全てを取り除いてやることは出来ない代わりに、母の話をよく聞こうと思った。理解者で在ろうと。悲しみに、寂しさに、やるせなさに、途方に暮れるような不安に出来るだけ寄り添おうと。
そう思いながらもやはり娘という立場上、家族という距離感では上手くいかないことも多い。
先日、大きな地震があった。震源地は東北であったが私の住んでいる地域も大きく揺れたため、安全確保のために実家に避難させてもらっていた時のことだ。母と私の二人しかいないリビングで、テレビの地震情報を観ながら母はふとこんなことを言った。
「私ね、今はこうやって大きな地震があったらすぐに守るのはこのテレビなの。いけない!と思って守りに行くのがテレビなの。前までは何処に居ても犬を助けに行ったのにねぇ。それが何だかね、切ないの」
それを聞いた瞬間は胸が詰まるような思いがしたものの、何故かその時の私は本人が何処か笑い話のようにその話をした気がしてしまって、「まぁでもお母さん、テレビもさ…大事だから。NetflixもアマプラもHuluもね、こいつが居なきゃ始まんないからさ」みたいなことを言った。その後に来た父や姉にも母は同じような話をして、やはり私と同じような返事が返って来る。私に言われても、父や姉に言われても、母は笑っていた。笑っていた、確かに。だけどあれは笑っていたというより笑うしかなかったんじゃないかと気づいたのは、実家からアパートに帰り夜に眠ろうとした時のことだった。
布団に寝そべり、枕に頭を乗せ、目を瞑ったまま一日のことを思い返す。
大きな地震があったから逃げておいでと連絡してくれたのも母で、実家に着いた私を見て「あぁ良かった本当に良かった」と心底安心してくれたのも母だった。その母がふとこぼした不安に、心配に、寂しさに、私は完全に掛けるべき言葉を間違えたんじゃないか。テレビ云々じゃなく、真っ先に守るべき対象が完全に自分から消えてしまったことへの悲しみをただありのまま受け入れて欲しかったんじゃないのか。そう考え出したら申し訳なさが止まらなくなった。
そして自分なりにあの大きな揺れの中、母がどう動いたのか想像した。揺れの中、必死に立ち上がってテレビを押さえた。怖かったと思う。揺れは幸いなことに数分で収まったが、きっとそれだけでは済まなかっただろう。揺れてる中、不安と怖さの中、不意に後ろを振り返り足元を見たかもしれない。犬を探したのかもしれない。居ないと分かっていながら、とっくに失われたことを認めながら、悲しみに打ちひしがれる日々を暮らすな真っ只中でも犬の姿を探したのかもと。犬は日々で、暮らしだった。必要不可欠だった。もう居ないのは分かっていながら、分かって尚確認をして、自分にはもう守るべきものがないと知らしめられたんじゃないか。余計に傷付き、余計に塞がらないままの穴が深くなったんじゃないか。そう考えたら涙が止まらなくなった。
どうして、あの時。母が怖さと喪失感の中で打ち明けてきた時。笑い話にしたりしないでただ一言、「わかるよ」と言ってあげなかったんだろう。形も深さも違うのは承知の上で、それでも「わかるよ」と寄り添ってあげられなかったんだろう。このことは多分、この先生きていく中で何度も思い出すと思う。忘れることも無い。なのに恐らく、それもかなりの確率で、似たようなことを私はしでかすに違いない。
それでも母と居たいと思う。
母を分かりたいと思う。
完全に正解を出すことは難しくても、正答率が低くとも、手探りで正解を探すことをやめないだろう。
日々、仕事で利用者さんご本人の老いやその老いに向き合う家族さんの姿を第三者目線で見ていると色々と考えさせられることがある。思う部分もあるし、かくあるべきだ見習わなくてはと思うことも沢山ある。そして近い将来の祖母を見ている気持ちになる日もあるし、いつか来る父と母の姿を見ている気持ちにもなるのだ。
介護の仕事をこれだけ長く続けていても、いつか両親が世話になる日が来たら聞き分けいい家族になれるかどうか分からない。一旦口答えを試みてしまう気がする。父のことならまだ「ごめんなさいね、コカ・コーラゼロばかり飲んでるくせにね。しょうがないね、ほんとにね。あのコカコーラジジイと来たらね」という感じかもしれないけど。というのは冗談で、ある程度話を聞いたら「しかしね相談員さん、さっきから聞いていればあなたという人も」とやはりちょっとした口答えはするだろう。する、絶対。親とはそういう対象なのだ、私の中で。穏便に、柔和に、しかし若干の口答えで爪痕を残そうとするスタンス。施設出禁待ったなし。
話は少しズレたが、要は分かろうとし続けるよというのを母とそして父にも伝えたい。分かろうとし続けるから、話すことをやめたり諦めたりしないでほしい。穴を埋めることも同じ深さの傷を負い同じ量の悲しみで泣き続けることは出来ないけど、代わりにその穴の周りに一緒に座るから。あなたの話を聞くし、常に最善を探し続けるから。あなたがそうして来てくれたように私もそうしてみるから。
お母さん
あのね、何を好きになってもいいの。YouTubeで上沼恵美子のチャンネル観て笑ってても、何処の寺のなんて名前か分からないお坊さんの動画を見ててもいいの。散々観といて「この坊主は話がただ長い」と悪態ついたっていいよ。
美味しそうなレシピを見てとりあえず作ってみるなら、私はそれをただ美味しい美味しいと言って食べるよ。それ以外にも誰かに何かをしてあげたい、喜んでもらいたいお母さんが笑っていられるように色んな手段をあれこれ探すから。
復讐物ものがしんどくなって来たからと言って、だからって娘がフライドチキンに変えられるよく分からない韓国ドラマをチョイスし始めてもそれでお母さんが笑っていられるなら最高だと思う。一体どっから探し出して来るんだと思うし、口頭で説明を受けただけでは到底理解は出来ないにせよお母さんには泣くより笑っていてほしいよ。
お母さん
犬の思い出話を沢山しよう。現在進行形にしたいのに犬はもう居ないから全部思い出話になるのは寂しいけど、あの子の可愛かったところや面白かったことを穏やかに話そうよ。沢山あるあだ名、名場面珍プレイ、あんなに優しくて面白かった犬はいなかったと話そう。そして勿論先代犬や猫達のこともね。話したいことを話したいように話そう。
お母さん
あなたのすべてが報われるのは難しくてもせめて、せめてどうか、ひとつふたつでも。ほんの少しでも。そう願い続け、祈り続け、側に居るから。テレビしか守るものがないって思いの日も、ありとあらゆる生活の癖の中から犬が抜けない苦しみも、分け合おう。
出来なくなっていくことの数を数え、出来なくなるかもしれない怖さに足が竦む日は、私を呼んで。車椅子にでも歩行器にでもなるから。あんた、忘れたとは言わせないよ。あたしゃ前の職場で職員対抗車椅子レースのクイーンになった女だからね。だから何だって言われりゃそれまでですが、私を呼んで。それもそう、いつだってね。
お母さん
私のお母さんはとても面白く、優しく、繊細で愛情深い人。だから今日という日にこのエッセイを書きました。
私の大切なお母さんの傷が少しでも癒え、霧が少しずつ晴れ、しあわせになりますように。穏やかな日が差す日が増えますように。
あいしているよ。
追伸
それにしてもやはりばあちゃんの受診ひとつではエッセイは書けないので無茶言うな
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