『渡り豚の海辺で』 #せりふ三題噺
梅雨明けのこの時期、渡り豚はこの海辺にやってくる。ここで短い夏を過ごし、九月になるとまた海を渡って帰っていく。繁殖のためらしい。
彼女が渡り豚を見たいというので、車で二時間かけてやってきた。
海岸通りのカフェから見下ろすと、浜辺は渡り豚たちで、足の踏み場もないほど埋め尽くされている。
豚たちを眺めながら、
「渡り豚って、カップルになると一生同じ相手なんでしょ」笑顔でそう聞いてくる。
「そう言われてるけど、本当は季節ごとに相手が変わるらしいよ」そう答えると、「えっ」と目を丸くした。
「中には同じ時期に、何匹も相手がいるやつもいるらしい」。あちこちにちょっかいを出している一匹を指さすと、彼女は「これはきついって」と苦笑いした。
注文していたアイスコーヒーが、氷を鳴らしながらテーブルに置かれる。
グラスの氷と波の音、それにブーブーという鳴き声が青空に溶けていく。八ノットの潮風に、豚と彼女のシャンプーの匂いが混ざり、夏の始まりを告げていた。
出発が早かったので、「お腹空かない?」と聞くと、「本当それ」と、彼女は両手でお腹を押さえてみせた。
「何食べたい?」と聞くと、少し考えてから、
「ポークステーキをサンバルソースで」と満面の笑顔だ。
一瞬だけ戸惑う。でも、こういう割り切ったところが好きなんだろうなと思い、店を出た。
助手席の彼女は、海岸線の向こうまで続く渡り豚たちを、「かわいいねぇ」と、いつまでも眺めていた。
(了)
※下記、はらとけい様の企画に参加させて頂きました。
#せりふ三題噺
#氷サンバルソース豚
■セリフ
「これはきついって」
■三題
・氷・サンバルソース・豚
