弐拾漆 市民総参加!?博多どんたく
2025年5月4日、九州地方福岡県福岡市にて「博多どんたく港まつり」
福岡三大祭の一つということを知り、当日の朝に行くことを決めた。
大阪から博多までは新幹線で2時間、東京にいくよりも近い。
博多にいる同期に連絡をしてみるとどうやらフリーらしく、合流することに
およそ2年ぶりほどの福岡県、駅前でもどんたくの案内がされていた。
案内人いわく「どんたく」の由来は「ゾンダーク」(オランダ語で休日)、
休日を祝う日ということらしい。

パンフレットももらって、会場である中州・天神あたりまで歩いて向かった
大道路の脇にはすでに場所取りをしている人もおり、既に活気付いていた。
福岡市役所前ふれあい広場ではステージイベントが開催されており、
この時は歌手が歌を歌っていた。
かなり混雑をしており、移動もままならないほど人が多すぎる。
なんとか同期と合流し、まずはランチをとることにした。
博多といえばの博多ラーメンを食べるため店を探すと、
何やら400円ほどで食べれる店を見つけることに成功した。
味は、普通。しかし安いので全く問題なし。
とんこつと細麺、家系の太麺になれている自分の趣味とは違うが旨い。
ご飯を食べたら解散する予定だったが、せっかくなので祭を見たいとのこと
祭男にとってはかなり嬉しい言葉、意地にかけても楽しませる。
ということでどんたくパレードがいよいよ始まり、
良い見物スポットを歩きながら探すことにした。
子供から大人まで色んな人が団体に属し、パレード式で街を練り歩いている
全体的に衣装が統一された感じはなく、団体によって衣装も振りも様々。
チアリーディング、軍服風、よさこい系、着物系など皆バラバラである。

良さげなスポットに腰を下ろし、間近でパレードを楽しんだ。
九州の参加者勿論一番多かったが、中には東北からの参加者や、
外国の連合隊など、あらゆる地域から参加しており、見ていて飽きない。
沿道のアナウンス役の人のマイクパフォーマンスはかなり高く、
短い言葉で簡潔に参加団体を紹介していた。
また、観客への声援をさせるなど、物理的な距離を近づけさせていた。
一通りパレードを楽しんだ後は、メイン演舞場へと移動し、
輪踊り参加の準備を始めることにした。
どんたくと言えばしゃもじを持ち叩きながらの踊り。
昔、どんたく囃子の音色に夕食支度中のオカミさんが浮かれだし、
手にもっていたシャモジを叩いてオハヤシに加わったことから始まる。
配られていたしゃもじをもらい、見よう見まねで踊ってみる。
恥ずかしがって参加しない人も多いが、同期はせっかくならと参加。
こいつ、かなり筋がいい。。
踊りの最中、保存会のおば様に声をかけられた。
「お兄ちゃん、腰が入っていて上手」
「ありがとうございます!」こういうことなんだよ。

踊っていると楽しくて時間があっという間に過ぎてしまう。
いつしか祭が終わり、締めのあいさつの時間になってしまった。
博多式の締めに手こずりながら、どんたくは幕を閉じた。
記念に現地の踊り手に撮影をお願いしパシャリ。
いつも一人で参加していたが、誰かと参加するのもまた一興。
博多どんたく、満足である。

祭が終わったのはなんと6時ごろ。
博多の夜はまだ長い、ということで夜ご飯にサウナにと街を楽しんだ。
宿泊予約をしていなかったのだが、なんと泊まらせてくれた。
寝るときもしばらく話し、まるで修学旅行のようだった。
翌日同期は仕事に行ったが、私は有給のためまだまだ博多を楽しむ。
前々から行きたかった買える化石博物館を訪問することにした。

写真はレプリカだが、本物の化石も多くある。
価格は、、実際に行って確認してほしい。
いつしか化石を家に飾ろう、そのために稼ごう、そう決意した。
久しぶりの福岡訪問、九州人は温かいし料理はおいしい。
次に住む場所の候補の一つである。
名残惜しさがありつつも大阪へ帰宅、また7月に行かせてもらいます。
「博多どんたく」
1179年に始まったと筑前国続風土記(貝原益軒著)に記されいる
「松ばやし」をその起源とする凡そ840年余の伝統行事。
戦時中、一時中断されたが、戦後の昭和21年5月、
「松ばやし」と「どんたく」が8年ぶりに復活。
肩衣を紙で作り、馬はハリボテを首から胸に下げ、三味線、太鼓を集めて、
“博多どんたく”のおはやしを瓦礫の町に響かせながら練り歩いた。
復興へ大きな勇気を与え、翌年22年には福岡商工会議所が中心となって、
戦後初めてのどんたくを開催し、年一度の行事として年々盛んになっていった。
