虎猫からの手紙【75】愛でも憎しみでもない場所で
関係が終わったあとに、何が残るのか。
それは、愛なのか、それとも別のものなのか。
人は、相手にどう向き合い続けるのか。
そのことについて、考えてみたいと思います。
虎猫より
白猫が、元夫に対する感情は愛なのかと考えたのは、まだ何か引っかかるものがあるからなのかな?
最初から憎しみで一緒になったわけではなく、好きで一緒になったはずだし、ここまでにいろんなことがあった中で、最後に「自分の選択は間違っていなかった」と確認したい気持ちもあったのではないかな?
「これは感情としての愛を超えた、人間としての愛」という言葉を見て、また一つ白猫の人としての大きさが見えた気がした。
そこまで割り切れる人は多くないと思う。
愛を手放したときに、違う形で相手を思うというのは、簡単にできることではないよね。
そこには、その人の器のようなものが表れるのだと思う。
一般的に、愛の裏返しは憎しみだと言われるよね。関係が終わるとき、多くは恨みや怒りに変わっていくことがある。
そう考えると、白猫の在り方は違うように感じる。
ただ、その思いは相手には伝わらないこともあるのだろう。
それは、どちらが悪いというよりも、見ているものや、捉え方の違いなのかもしれない。
人は、自分の理解できる範囲でしか物事を受け取れない。
だから、同じ出来事でも全く違う意味になる。
白猫の決断に至るまでの心情は、簡単なものではなかったはずだよね。
長い時間を共に過ごし、子どももいる中で、関係は複雑に絡み合っている。
その中で「離れる」という選択をすることは、覚悟の表れであり、場合によっては一つの向き合い方でもあるのだと思う。
その意味が相手に理解されるかどうかは分からない。
それでも、自分の中で選んだ在り方を貫くこと。それが白猫の強さなのだと感じたよ。
白猫より
私は元夫に対して、できるだけ丁寧に、誠実に接しようとしています。
相手からは時折、怒りや敵意のような感情が伝わってくることがあります。
でも私は、それに対して同じ気持ちで返そうとは思いません。
私の心の中に、憎しみや恨みの気持ちは存在しないからです。
「それでもまだ愛が残っているのでは?」と問われれば、正直、それは違うと答えます。
ではなぜ、誠実であろうとするのか。
それは、相手のためにそうしているのではなく、「自分がどう在りたいか」
それだけなのだと気づきました。
もう愛してはいない。
だけど、人として自分を失い、壊れてしまいたくはない。
私の中に残っているものを言葉にするなら、それは「愛」ではなく、『自分自身に対する尊厳』です。
相手が私を憎んでも、理解してくれなくても、変わることがなくても。
私は自分の態度だけは、変えることなく持ち続けたい。
この在り方は、相手に何かを伝えるためのものではなく、波乱の中で自分自身が崩れないように、自分を守るためのものなのです。
関係に終わりを告げる選択をすることも、一つの責任であり、これ以上お互いを傷つけ合わないための方法なのかもしれません。
関係が終わったあとも、私なりの形で、相手と向き合い続けていくのだと思います。
それが一般的に愛と呼ばれるものかどうかは分かりません。
ただ私は、これからも自分の誇りと在り方だけは、手放さずにいたいと願っています。
