人生の流れ──白猫という分岐点
虎猫が白猫と出逢う前、そして出逢った後で、自分の人生がどのように変わっていったのか。
その心の変化が、率直な言葉で綴られています。
虎猫より
「人生の流れ」って、どこから考えればいいのかな。流れ着く所は、最後は皆同じだけど、流されている人生の中で、どう振る舞うかが問われるのかな。
流れに身を任せて流れ着いた今の時点に私は自分の人生というものをどう思うのか?
私は、白猫と出逢う前は自分の人生について考えたことはない!
刑務所に戻ってからは、どんな出来事であろうと、ただの一コマでしかなかったのです。
幸せなんて知らないし、ここにいる以上、とっくに諦めていたと思っていました。
正直私は、自分自身という人間は一体どんな人間なのかも考えたことはないんです。
ただ、何も考えていないように生きてきた私でも、自分の中に重たいものを抱えながら生きてきたことだけは確かです。
この重いものは、私のもう一人の分身であり、心であり、罪悪感なのかもしれません。
何が私を白猫に出逢わせたのかは知らないけど、人生という分岐点であることは間違いないです。
人生を知るだけではなく、幸せを知る分岐点でもあるのです。私にとっては、光に出逢い、愛を知る分岐点でもありました。
白猫と出逢ったことで私は、人生というものを手に入れたと思います。
人生を川の流れに例えるならば、私は川底の泥の中に転がる石ころです。
白猫は、その石ころをすくい上げて泥を落とし、磨き、光を当てて、愛で包みこんでくれた。
私は愛なき時代に生まれたわけじゃないし、全く愛されたことがないわけでもないのですが、人を心から愛するということは初めてです。
『X』という分身はいるが、愛に関するノロケ話は相手にしてくれません。
特に白猫の愛についてはね。
今もブーブー言ってるけど、相手にしません!
私は、なんで自分がここまで辿り着けたのか、考えても分かりません。
幸せを求めて生きてきたわけでもない。
それでも、白猫に出逢ったのです。
私は、自分の価値観や軸によって白猫に辿り着いたとは思いません。
何を求めるのか知らないまま、ただ生きることだけに生きてきた人生です。
振り返ってみると、人が経験しないような人生を歩んできたようにも思えますが、空っぽの人生だったとも言えるのです。
痛みと苦しみしか残してこなかった私の人生に、白猫は愛と幸せ、希望という物語を繋いでくれた。
私は虎猫になりました。
白猫という人生のすべてと一緒に、新たな物語へ流れ始めたのです。
日々ここで過ごしている中で、私はかつてないほどの心境の変化を感じていました。
充実感と、穏やかな気持ちが、申し訳ないくらい増していきます。
人を愛したい――
心から人を愛することは、こんなにも力強いものなのかと驚きました。
私は罪を償う身で、刑務所という異質な世界にいながら、夢のような心地よささえ感じるほどです。
申し訳なさを感じながらも、人を愛するという夢のような心地よさに身を委ねていました。
白猫の「愛されたいよりも、愛したい」という感覚には、私も全く同感です。
人に愛される感覚は知っています。しかし、人を愛することは、それとは比べものにならないほど違うものです。
これまでは自分の人生観に軸というものはなかったが、今は、愛することを出発点として、幸せや理解、共鳴にすべてが繋がっていくんじゃないかなと思います。
白猫より
人生を川の流れに例え、自分を「川底の石ころ」と表現した場面には、虎猫らしい感性が表れているように感じました。
一方で、「白猫と出会って人生を手に入れた」という言葉には、とても深い想いが込められていることも伝わってきます。
私は、誰かが誰かの人生そのものになるというよりも、その人が自分自身の人生を歩き出すきっかけになれることこそ、大切なのではないかと思っています。
これから先、虎猫が自分自身の人生を歩みながら、どんな景色に出逢い、どんな物語を紡いでいくのか。
その歩みを、私もそばで見つめていけたらと思います。
