虎猫からの手紙【52】北風と太陽──研ぎ澄まされた『純粋さ』の先に
虎猫と『北風と太陽』の話をしました。
受刑者の周囲には、常に「北風」が吹き荒れています。
悪いことをしたのだから、強い風(罰)を受けるのは当然だと。
けれど、強い風(圧力)をいくら浴びせても、「心」までは動きません。
むしろ、心を固く閉ざさせてしまう逆効果になるのではないか──。
そう思い、虎猫に問いかけてみました。
虎猫の手紙
『北風と太陽』の話、よく知っています。
強引な力で人を動かすよりも、心によって動かすことこそが、揺るぎない真理だよね。
人間には、どんな権力や権威をもってしても、絶対に強要できないものが二つあるのを知っていますか?
それは、「愛」と「尊敬」です。
これらは、心によってしか生まれないものですよね。
北風が、この世のすべてを吹き飛ばす力を持っていたとしても、旅人の心を動かすことはできないよね。
強引に愛や尊敬を植え付けることなんて、誰にもできない。
太陽は、じんわりと心に温かさと優しさを届けたからこそ、旅人の心を動かすことができた。
その変化は、旅人の内側から自ずと生まれたはずです。
人間は、強制的にやらされるよりも、心を与えられたほうが気持ちよく動けるものです。
罰に関しても同じで、ただ懲らしめるほどに、人は反抗したくなる。
もちろん、罪を犯した人たちに「心」を届けることの難しさも、よく分かっているつもりだけどね……
結局のところ、「愛」でしか「心」を動かすことはできないということなんだよね。
白猫より
「力で動かすのではなく、寄り添うこと」
その大切さは、よく理解できます。
しかし一方で、北風を吹かせたくなる社会の心理も分からないではありません。
犯罪者に対する世間の風が冷たいのは、現実として存在します。
その一方で、太陽の光を届ける役割を担う人もまた、必要なのです。
すべての人が北風になる必要はないと、私は思います。
私たちは、北風を受けたり、吹き返したり、時には太陽を浴び、光を与えたり──。
世界は、そのように巡っているのだと感じます。
ただ、「心」というものは温かさの中でしか解(ほぐ)れません。
冷たい風にさらされれば、心は防衛のために固まってしまいます。
北風と太陽の物語は、そんな普遍的な真理を伝えているのだと思いました。
虎猫が言う「愛と尊敬」は、簡単に根付くものではありません。
どんなに働きかけても、こちらに利己心があれば響かない。慢心した態度では、人の心が動くこともありません。
「心」を届ける難しさは、そこにあるのだと思います。
まず、自分自身が『純粋な心』で向き合えているだろうか──。
そこから見つめ直したいのです。
太陽の『心』とは、単なる明るさや温かさだけでなく、『純粋さ』が伴ってこそ成り立つもの。
それは子供のような無垢な純粋さとは違い、大人になる過程で余計なものを削ぎ落とし、磨き上げていく中でようやく現れる「研ぎ澄まされた純粋さ」です。
そうした心で、目の前の人に先入観や計算なく接することができているか。
そんな問いを胸に、日々を過ごしていきたいです。
