虎猫からの手紙㊻アドラーの問いと葛藤──闇の奥で見た光
今回の手紙は、虎猫が自分の内側にある矛盾や衝動を、そのままの形で言葉にした記録です。
ここに書かれている内容は、いかなる行為や思想を肯定するものではなく、あくまで内面で起きている思考・感情の観察記録です。
特に虎猫は、アドラー心理学に触れながら「過去」「怒り」「衝動」といったテーマを、正解のないまま抱えています。
そのため、この文章は「結論」ではなく「過程」として読んでいただければと思います。
虎猫の手紙
アドラーはトラウマなど存在しないと言ったけど…存在するもしないも、その経験についての捉え方によるのだと思います。
アドラーは、トラウマは人生の課題を回避する口実であり「人生の嘘」であることも言った!
本当にそうなのか?
母国の獄中生活は私にとってトラウマ以外の捉え方があるなら幸せです。
好んで自らトラウマを持つ人はいるだろうか…
奥底にこびり付いたドス黒いものが歳月と共に自分自身と同化していくのが一番気持ち悪いです。
コイツは絶対に風化して消えることは不可能だろうと思いました。
あの時の苦しみは二度と味わいたくない!と、どれだけ強く重く心底誓ったところで、捕まる前提の人生しか生きてこなかった。
本当に矛盾すぎる人生だよね。
白猫の言う通り、私はずっと人間に対する「怒り」という爆弾を抱えて生きていた。
その、いつ自爆してもおかしくない自爆弾は結局自暴自棄に等しい形で爆発してしまった……
私は人間が好きです!が人間を物凄く嫌う感情も持っていました。
その感情は大嫌いだけど、でも一旦その感情に落ちてしまうと快感すら感じてしまいます。
私はとても矛盾している人間であることは自覚している。芯がないのです。
そして、自分でも嫌なほど複雑です。
私みたいな人間は洗脳されやすい傾向があると…
確かに、一度信じると心に決めたら最後まで信じ抜く癖がある。
それは、もしかしたら何かに無意識にしがみ付きたいだけかもしれない。
でもね、私を洗脳することは神さえできないと思います。
芯のないオカシイ頭だから、自分さえも自分は何者であるか定かではないときがある…
洗脳されるより、私は白猫の愛によって生まれ変わります!
白猫によって生まれ変わりたいです!
白猫しか私を変えることはできない。
私の光であり、私の全てですからね。
私は「悪人」を殺してもいいと思ったことは事実です。ギャングや裏社会の奴らは全員悪人だと心の中ではそう認識している。毛嫌いしている。
でも、もっと嫌いなのは善人面をしている偽善者です!
こういった奴らは斬っても刺しても殺してもいい、世のためだ——とさえ、当時は心の奥で思っていた。
それしか自分の中のドス黒い闇と対峙できない!
吐き出すことができない。
それはただ自身の暴力欲を満たすための口実かもしれない。
暴力に感情移入することは自分を麻痺させる一つの手なのか?
アドラーは過去にどんな出来事があったとしても、それで何かが決定されるわけではないと言った。過去のトラウマがあってもなくても、関係ないと!
人間は過去の原因に突き動かされる存在ではなく、現在の目的に沿って生きているのだからと…トラウマは人生の課題を回避する口実、人生の嘘だと…
厳しい言葉だよね!
たしかにアドラー思想は、人間はいつでも自己を決定できる存在である、という人間の尊厳と可能性への強い信頼に基づいている。
行為を選択する時点で責任はその人にある、自己責任を問う厳しい心理学です。
いま私にとって刑務所に入っていることは、もうトラウマでも何でもないです。
自分の中にある闇は、白猫という光の前では無力です。消えつつあると感じています。
このドス黒いヤツを消せるのは、言うまでもなく白猫の愛しかないです。
Only your love can rub out the darkness inside me〜my love.
白猫より
今回の手紙には、虎猫の中にある整理しきれない思考と感情の揺れがそのまま表れていました。
それは特定の結論や思想というよりも、内側で起きている変化の途中経過のようなものだと感じます。
虎猫は過去や怒りを否定するのではなく、それとどう向き合うのかを探り続けているように見えます。
「白猫の光」という表現も、誰か一人が救うという関係ではなく、関係性の中で起きる変化として受け取っています。
この記録もまた、その過程の一部として残していきます。
