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『生きる姿勢』を問い続ける

この記事を書いた当時、私はまだ離婚調停の渦中にあり、元夫と同居していました。

日々、言葉にならない感情や理不尽な現実と向き合う中で、私はあえて視点を自分から外し、社会や世界という大きな枠組みを見つめることで、自分自身の足元を支える柱を立てようとしていたのだと思います。

これは、あの時の私が生き抜くために見出した、一つの「在り方」の記録です。



元夫とのやり取りの中で、ふと考えることがあった。

しかし…そこで考える。

対抗しても意味がない。

元夫の生きる姿勢と、私の生きる姿勢は違う。

私はもう自分の人生を悩みたくない。
自分以外のことを考えたい。

自分の問題を考えることは終わりにして、社会の問題を考えたい。
悩むならそのことで悩みたい。

自分の人生は、なるようになる。
流れに任せれば良いと思っている。

でも、社会問題は誰かが行動しなければ、解決しない。
良い方向にはいかないと思う。

向き合う対象は、自分ではなく、社会でありたい。

自分の人生を生きる、というよりも、
「この地球の中の一人として生きる」
——そんな意識でいたい。
個人ではなく、共同体の一員として。

世の中には疑問に思うことも、理不尽だと感じることは多々ある。
でも、そこにも学びの種があることを知った。

それぞれが持つ正義を批判するよりも、受け流して、自分の『生きる姿勢』を見つめる。

どう在りたいのか?
どう生きたいのか?

その問いが、ざわつく心を落ち着かせてくれる。

自分のことは楽観できる。
しかし、世の中の課題は楽観できる問題ではないことばかりなのだ。

それに対して向き合う姿勢が私の思考、行動を正してくれるように思う。

ワチャワチャな日常の中で崩れそうなとき、この問いが自分を支える柱となる。

その柱を、より強く太く育てていきたい。



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