虎猫からの手紙【85】共鳴の記憶──沼底から光へと導いたもの
人間は、一度自分を壊してしまうと、二度と元に戻ることはできないのでしょうか。
この手紙には、深い沼の底で心を閉ざして生きてきた虎猫が、出逢いを通じて「自分自身」を再び取り戻していく姿が綴られています。
彼の言葉は、時に独善的に聞こえるかもしれません。過ちを犯した者が語る「善悪」に、抵抗を感じる方もいるでしょう。
それでも私は、絶望の淵で彼が必死に手繰り寄せた「心の在り方」を、一つの記録として残したいと思いました。
虎猫より
人間は誰もが闇を持っている。
けれど、光も必ず持っているはずです。
でも一旦心が闇に覆われ、光が届かなくなったとき、たちまち自分自身を破壊してしまう。
人間という存在は、本当に脆い生き物なのだと痛感します。
ここで共に生活している人たちは、まさに自分自身を壊してしまったからこそ、この場所に辿り着きました。
そして私は、その中でも特に、ひどく自分を壊してしまった一人です。
最近「人間性」について考えると、ふと周りにいる人たちのことに想いを馳せてしまいます。
ここにいる人たちは皆、それぞれの闇に呑み込まれ、罪を背負ってここにいます。
そして、「罪」や「闇」という、本来忌むべきものを普通に語り合っていますが、実際に彼らと接していると、「この人が本当にこんな罪を犯したのか」と、その振る舞いや人間性から信じがたく思うことも多々あります。
逆に、明らかに常習的に度を過ぎる受刑者への対応を楽しんでいる職員を見ると、「罪を犯さなければ良い人間、罪を犯せば悪人」という社会の常識に疑いの気持ちが出てきます。
もちろん、罪を犯さず生きることが人間として基本であり、大切なことは分かっています。
ただ、意志を持つ複雑な人間を、「罪の有無」という物差しだけで簡単に白黒はっきりさせることは不可能なはずです。
もしその定義だけで人間を測ろうとするのなら、それはあまりにも自分たち人間という存在を、単純に見すぎてはいないだろうか。
私は「心」で、良い人間と悪い人間を測りたいと思います。
私のように、人生の半分くらいずっと人を傷つけ続け、最後に人を殺めるまで重大な罪を犯した人間が、これからどう生きていくべきなのか……
今も毎日、自問し続けています。
以前の私は、心に蓋をしながら時間が過ぎ去るのを眺めているか、自分をだましながらやり過ごしてきました。
でも、白猫と出逢ってからの変化は、言葉にするのが難しいくらい、自分でも追いつけないほどの驚きです。
白猫と出逢うことで、私の人生に初めて「意味」が生まれたのです。
自分という人間と向き合い、ありのままを受け入れられた、ということだと思います。
人生はただ年月を過ごすだけではなく、その瞬間瞬間を生きる積み重ねこそが、人生を紡いでいるのだと思いませんか?
今まで心を覆っていた暗い霧のようなものが晴れて、見る景色や感じ方が、とっても明るく、深みのある俯瞰的な感覚になりました。
この一瞬一瞬がこんなにも尊く感じられることが私にとって本当に不思議です。
今この現実の中で、沼底に浸かっていた自分を、宙に浮かんで見ている感覚です。
白猫とは全く違う世界で生きてきましたが、その生きてきた世界から与えられた人生の共鳴が、私たちを繋いでくれたのだと思います。
この出逢いは、私にとって、新しい自分との出逢いが続く始まりでもありました。
心の霧が晴れるたび、新しい層にいる自分を発見し、より深く白猫との繋がりを感じています。
私たちは無理に一致しようとしたのではなく、必然の中で自然に共鳴し合う存在なのだと思います。
出逢いが、こんなにも根底から人生観や未来を変えてくれたことに、驚きとともに感謝しています。
私たちの出逢いによって、来たるべき「次の繋がり」が待っているに違いない。
二人が共鳴し、真摯に生きようとする姿が、いつか誰かの心に届き、何かの力になること。
それが私たちが向かう場所であり、目標でもある。
出逢ってくれて本当に感謝する。
ありがとうね。
白猫より
社会が決めた「善悪」という物差しと、心が感じる「善悪」の境界線。
虎猫は、法という白黒の尺度では測りきれない、人間の心の深淵を見つめているのだと思いました。
罪の重さに向き合い、縛られながらも、「心」という新しい物差しを探そうとしているのかもしれません。
でも私自身は、そもそも人間を「良い・悪い」と評価したり、分けたりすること自体に、無理があるのではないかと感じています。
人に対して白黒をつけるという発想そのものに、違和感があるのです。
私は、たとえ善行を重ねたとしても、自分を「良い人間」だと捉えることはありません。
評価するという考え方そのものが、私の中にはないからです。
人はただ、そこに「在る」だけの存在。
そんなニュートラルな場所で、ただありのままを受け入れていたい。
かつては心に蓋をして過ごしていた虎猫が、今では塀の中の一瞬一瞬を尊び、味わうようになり始めています。
絶望の沼底にいた視界が、少しずつ開かれ、いつか何にも縛られない、透明な場所へと繋がっていく。
その変化の軌跡を、これからも真摯に綴っていきます。
