偏見は誰の中にもある──離婚調停の記憶と、信頼の向き合い方
離婚調停が1回で済むことは稀だと聞く。
それでも私は、1回で終わらせた。
関係が険悪な中でも、できるだけ円満に。
そして相手にとっても不利にならないように。
「まず離婚を成立させること」
「子どもたちへの影響を最小限にすること」
この2つを優先した。
金銭面の主張をすれば長引くと分かっていたので、その部分はあえて手放した。
私の目的は、争うことではなく、前に進むことだった。
調停ではモラハラについては触れず、淡々と必要な事実だけを伝えた。
しかし調停委員のひと言が、心の奥に触れた。
「夫婦関係を続けることは無理ですか?」
モラハラの圧力は、説明しなければ伝わらない。けれど、その説明さえもフラッシュバックで言葉にならないことがあるのだ……。
離婚を拒む相手を動かすには、機嫌を見極め、離婚に傾いたその瞬間を逃さず、一気に進めるしかない。
問題を深掘りするほど長引く。
だからこそ、優先すべきことに集中した。
そうして、私はようやく離婚を成立させた。
■ 調停調書に入れられた異例の一文
あの時の調停調書には、こんな記載が加えられた。
「虎猫との文通を介しているNPOに、妻の転居先住所を知らせないこと」
これは元夫の強い希望だった。
「無期懲役囚に住所が知られたら、何をされるか分からない」
彼はそう考えたらしい。
実際には、NPOから住所が漏れることは絶対にない。
この要望に対して調停委員はこう言った。
『元夫さんはあなたを心配しているのですよ』
私はその言葉に強い違和感を覚えた。
そこには、偏見が含まれてはいないだろうか。
無期懲役囚=再び人を殺す可能性がある。
そんな無意識の前提が、どこかにあるようにも感じられた。
■ 私が人と向き合うときに大切にしていること
相手がどんな立場でも、過去に何があっても、私は「今のその人」を真っ直ぐに見るところから始めたい。
虎猫が人を殺めた事実は消えない。
けれど、そこだけを切り取っても、その人の本質には触れられない。
偏見や先入観は、信頼関係を遠ざけてしまうことがある。心が閉じてしまえば、何も届かなくなる。
私たちは手紙だけで向き合っているからこそ、言葉はそのまま内面を映す鏡になる。
性格、価値観、経験、知識、感情──
すべてが言葉の選び方に表れる。
本質に触れようとするなら、こちらも偽りのない心で向き合い、疑問があれば誠実に伝え、対話を続けること。
健全な関係は「縦」ではなく「横」にある。
対等に尊重し合い、多様な意見を交わし、安心できる関係の中で、心は少しずつほどけていく。
そのとき、はじめて「ありのままの自分」が息をし始めるのだと思う。
その境地には、信頼できる相手の存在が欠かせないのかもしれない。
■ それでも選ぶということ
あの調停での出来事は、ただ世の中のリアルが顔をのぞかせただけなのかもしれない。
重い過去を持つ人と関わるという選択の先には、これからも、似たような場面があるのだと思う。
それでも私は、自分で選んだこの関係を、大切にしていきたい。
どんな声よりも、自分の中にある確かな感覚を信じながら。
これからも、誠実に人と向き合っていきたい。
