虎猫からの手紙【95】誰かのために生きたい──罪を背負いながら歩む道
今回は、罪を背負いながら、それでも「誰かのために生きたい」と願う虎猫の現在の気持ちです。
被害者やご遺族への思い、自分が幸せを願うことへの葛藤。その両方を抱えたまま、これからどう生きていくのかを率直に綴ってくれました。
虎猫より
白猫は、私たちの関係について書くことで、読者にどう受け止められるのかを心配しているようだけど、どんな内容の記事でも、否定的な意見があるのは自然なことだと思うんだよね。
特に、無期懲役囚である私が書く記事は、人の敏感な部分に触れやすいのだと思う。
良い意見も悪い意見も言うのは自由だし、中には、強い正義感に触れて、怒りを露わにする人もいるだろう。
人を殺した無期囚が恋愛なんてけしからんと思うのは普通かもしれない。
幸せになる資格はないと思うだろう。
私自身も、幸せを願うことへの後ろめたさがないわけではありません。
ずっと私なりに闘っています。
特に遺族の方が被害者に対する愛の思いを述べた言葉は、私の中で幸せを感じるたびに突き刺さってくるのです。
それでも私は、最愛の人と一緒に幸せになりたいです。
私は誰かのために生きたいです。
どんな否定的な意見や、言葉を言われても慎んで受け入れるつもりです。
被害者や遺族が、私たちの記事をどんな思いで見るのか、考えるだけで苦しくて言葉が出てきません。
逆の立場なら、私は怒り狂うに違いないだろう。
私は自分の犯した罪の重さは忘れてはいない。
被害者やご遺族の苦しみを、できる限り自分のものとして受け止めていきたい。
そして、自分が作り出した全ての苦しみを、死ぬまで背負っていくつもりです。
私にもう一度人間らしい心を与えてくれた最愛の人のためにも、自分の罪の重さと真摯に向き合っていきたいと思っています。
また、最愛の人に出逢えた以上、これからも全身全霊で彼女を愛していきたいと思っています。
私に人間らしさを取り戻させてくれた、光のような存在である彼女と、共に幸せになりたいです。
申し訳なさを抱えながらも、彼女と一緒に幸せへの道を歩ませてほしいです。
苦しさやつらさを口にする資格はないと思っていますが、それでも自分なりに受け止めながら、共に歩んでいきます。
私は「悪」であることに間違いありません。
それでも、その「悪」を受け止めてくれた人の存在によって、誰かの幸せへと変えていきたいと思うようになりました。
それが私なりの償いであり、更生の道だと思っています。一人の人間としてやり直すことを許されるのなら、人間らしい生き方をしていきたいです。
すべては私一人で背負うべきものなので、白猫まで後ろめたさや引け目を感じる必要はありません。心のゆくまま書きたい記事を書いてください。
真実をありのまま綴ってください。
私はいただく指摘や否定も含めて、謹んで受け止め、感謝したいと思っています。
誰かのために、また誰かを幸せにするために、償いとしての道を最愛の妻と共に歩んでいきたいと思っています。
白猫、出逢ってくれてありがとう。
これからも一緒に歩んでいこうね。
白猫より
この手紙を読んで私が感じたのは、虎猫の言葉には「白猫に伝えたい想い」と「社会に問いかけたいこと」という、二つの向け先が重なっているということでした。
彼自身も、この手紙が私へのものであると同時に、多くの人の目に触れることを意識して書いているのだと思います。
だからこそ、個人的な葛藤を率直に綴りながら、「罪と向き合う者として、どう生きるのか」
「償いとは何か」という問いも、自分自身の言葉で語ろうとしているように感じました。
世の中には、罪を犯した人に対して厳しい意見があるのは自然なことです。
そうした現実を理解した上で、虎猫は「自分は悪である」と認め、それでも誰かのために生きたい、誰かの幸せにつながる生き方をしたいと願っています。
私は、その思いの中に、虎猫なりの償いの形があるように感じました。
過去を消すことはできない。
それでも、その罪から目を背けることなく、人間らしく生きようとする姿勢が、この手紙の核なのではないかと思います。
「更生とは何か」
「罪を背負った人は幸せを望んではいけないのか」
虎猫の言葉は、そんな問いを読む人へ投げかけているように感じました。
私は、虎猫の歩みを美化するつもりはありません。これからも、ときには疑問を投げかけ、ともに考えながら、その姿を見つめ続けていきたいと思います。
