見出し画像

お墓がないと、人は壊れる


このタイトルを見て、嫌な気持ちになった人もいるかもしれません。

でも、何年もこの仕事をしてきて、私は本当にそう思っています。

お墓がないと、人は壊れる。

正確に言えば──

「帰る場所」を失った人から、少しずつ、壊れていく。

 

新聞の片隅に、こんな短歌が載っていました。

父に書きし手紙はこよりに綴られて
五十年過ぎしも書斎に残る

送られなかった手紙。

五十年間、捨てられなかった。

 

なぜでしょう。

 

たぶん、捨てることは、終わらせることだからです。

「もう届かない」と、認めることだからです。

 

人は、言えなかった言葉を抱えて生きています。

 

「ありがとう」

「ごめん」

「あの時は、寂しかった」

 

言えなかった。

でも、消えなかった。

 

ある女性が、お店に来たことがあります。

お母さんを亡くして、一年が経っていました。

 

「お墓を建てるのが、怖くて」

 

そう言いました。

 

「建てたら、本当に終わってしまう気がして」

 

その気持ちは、よくわかります。

形にすると、現実になる。

現実になると、もう戻れない。

だから、人は止まる。

 

でも、完成したお墓の前で、その人は、泣きながら笑っていました。

 

「……ここに来ると、ホッとするんです」

 

その言葉を聞いたとき、私は気づきました。

 

お墓って、亡くなった人のためだけにあるんじゃない。

 

残された人が、今日を生きるためにあるんだと。

 

先祖がいた。

その連鎖の先に、自分がいる。

そして、自分の先に、まだ見ぬ誰かがいる。

 

お墓の前に立つと、人は、時間の真ん中に立ちます。

 

背後に、無数の「生きた人たち」を感じます。

 

それが、人の背骨になるのです。

 

最近、なんとなく苦しい人が増えている気がします。

 

理由のわからない焦り。

ずっと埋まらない虚しさ。

どこにも帰れない感覚。

 

便利になった。

つながりも増えた。

でも、「自分がどこから来たのか」は、逆に見えにくくなった。

 

だから私は、お墓を整えるという仕事は、単なる石の仕事じゃないと思っています。

 

人が、孤独にならないための仕事。

 

言えなかった言葉は、消えない。

 

見えなくなるだけです。

 

そして、見えないまま、今日も、誰かを支えている。

 

もし今、あなたの中にも、まだ言えていない言葉があるなら。

 

無理に忘れなくていいのです。

 

その言葉は、今も、あなたの人生を支えているのかもしれないから。

 

おかえりなさい。

いいなと思ったら応援しよう!