保育園の内定通知が届いた。安堵と寂しさ、こころの内
娘の保育園の内定通知が届いた。
息子と同じ保育園だ。
「よかった」という安堵と、急激にやってくる寂しさ。
きっと今、同じように揺れている人も多いのだと思う。
娘はまだ7か月。
息子はこの頃、もう保育園に通い始めていた。
あの頃の息子はとにかく動きが激しくて、毎日へとへとだった。
活発で自我が強くて、私にそっくりだ。
息子の時は一人目で、コロナ禍。
大人と話す時間がほしくて、会社員としての自分に戻りたくて、
早く復職したいと思っていた。
娘は、おっとりしている。
ふにゃっとしていて、やわらかい。
月齢のわりに小ぶりで、
ひとりで眠り、ひとりで静かに遊んでいる。
誰に似たのだろう。きっと夫だ。
私はいつも、不安を抱えている。
それは生まれ持った気質でもあり、産後の心身の変化でもあるから、
「仕方がない」と最近思えるようになってきた。
どんな不安かというと、
もし私が死んだら、この子たちは生きていけるだろうか、という不安だ。
夫が生きていてくれれば大丈夫だと思う。
でもとても苦労するだろう、と考えてしまう。
だから私は、息子が生まれたときから0歳児クラスで復職すると決めていた。
娘のときも、会社のみんなにそう言って休職に入った。
でも、仕事を優先したいからではない。
私以外にも、この子たちを託せる大人が、
一人でも多いほうがいいと思ったから。
もし私がいなくなっても、支えてくれる人や友達がいてほしいから。
「もし自分がいなくなっても、この子たちが生きていけるように」
切実な願いがある。
不思議なことに、
息子や娘がかわいくて仕方ないときほど、
「よし、この子たちを誰かに託そう」と、心が決まる。
自分一人の手で守り抜くことは、私にはできない。
この子を愛してくれる大人を増やすこと。
この子が頼れる場所を、一つでも多く作っておくこと。
それは、私が我が子に贈る「お守り」だ。
離れるのは、この子たちの「世界」を広げるという決意。
鼻水を出しながら、泥んこになりながら、
子どもは、わたしの知らない世界で、誰かに愛され、たくましく育っていく。
もちろん寂しい。
でも、生き抜いてほしいから私は離れる。
(そして、私は生活費を稼いでくる)
仰向けになった私の上で、
娘を腹ばいにして抱き続ける時間も、もうすぐ終わる。
今はただ、お腹に伝わるぬくもりを心ゆくまで味わおうと思う。
じっとしてくれず、私の口元を小さな指でぶるぶるされたら唇をしまおう。
(虫歯ダメ絶対)
娘の指が私の目に入ったら顔を横にふり、やっぱり顔が見たいと向き合った瞬間よだれが垂れてくるのも受け入れよう。
離れる時間は、再会の喜びを育てる時間でもある。
息子のときも、保育園に行き始めたとき涙した。
でもそのあとには、保育園の洗礼が待っていた。
そして気づけば、自宅保育を満喫する時間がやってきた。
だからもし今、
保育園が内定して子どもと離れるのがつらいと感じている人がいたら、伝えたい。
数か月後には、
「お願いだから、今日は保育園に行って……!」と、
今とは違う意味で涙する日が、きっと来る。
