【無料公開】疾病利得は本当に利得なのか?

昨日、一昨日、「損や得」の話が周囲とたまたま出たのですが、ガチ産業医先生の記事を読んで、思うところを私も雑談程度に書いてみることにしました。

ちょっと「疾病利得」とはズレてくるかもしれませんが、そもそも損とか得とか、何をもってそう感じるのかも含め、記事の感想と、支援職としての姿勢についても触れていけたらと思います。

こちらの先生の記事も一緒にご覧くださいね。

記事、すごく勉強になりました。
心情のところにフォーカスしているのもおもしろかった。
得、恩恵を受けている、ズルという感覚は、「横並び意識」「平等主義」などからきていることもなるほどなと。

ただ、その瞬間は、周囲からいう「得している」という状況もあるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

例えば、病気が本当だったとしても、症状には波がありますし、急性期でどんどん悪くなって…という以外は、ずっと何も負荷をかけられないしできないときばかり、ではないと思うんですよね。

病気があるので、といって仕事の負荷を減らしてもらったとします。体調が悪いときは致し方ないときもあるでしょうが、それよりもできるときもあるだろうし、できるときにやることが自分のスキルをあげたりすることにもつながるし、周囲への印象もよいわけで。


では、疾病利得のデメリットってなんだろうか?


・症状にずっと苦しめられることもあるし、活動が制限されることもある。
本人も気づかずして症状につながっていることもよくあって、「頭が痛いから会社に行けない」という理由付けであれば、頭が痛くなれば行かなくていいわけで。痛い方が都合がいいんですよね(表現が乱暴に感じてしまったらごめんなさい、所見はないのに症状が続く、悪化しているなどは可能性があるという話です)。本来は「会社に行きたくない理由がある」と思うのですが、職場の人間関係がよくない状況下なのに、ご本人がそれを認めず「職場ではうまくいっている」と言い聞かせているケースも往々にしてありますよね。

・よくなることへの抵抗感
問題の本質はそこではないのに、目を向けたくない、気づかないふりをしている、本当に意識していない、気づいていないということもありますよね。

・孤立・孤独
恩恵を受けているようであっても、そのことに対するまわりの反応が、「ズルだ」「不公平だ」と思ってしまう状況が続いていたら、ご本人にも居場所がなくなります。

・ハッピーなのか?
そして、そういった状況はご本人にとって、長い目でみて幸せなのか、です。メンタル的な疾病がイメージしやすいかもしれませんが、身体的な疾病であっても、いつまでも配慮や周囲のサポートばかりがご本人の幸せにつながるわけではありません。他の記事でも触れたことがありますが、片麻痺の方がずっとずっと自分でご飯を食べられず、人のサポートを常に必要とする生活が幸せでしょうか。リハビリだってそうですよね。痛い、辛いかもしれないけど、やるわけですし。

こちらの記事の「保健指導するにあたって」の項もよかったらご覧ください。


疾病利得に限らず、人との関係性の中で、「あの人ばっかり得している」と思ってしまう心理って、どんなところからやってきているだろうか・・・


支援職としての姿勢

相談の中からよく聞かれる内容で考えてみたいんですが、
「あの人だけ特別扱いされている」「言ったもんがち」「できないっていったらしなくていい・仕事が増やされない」「楽ができていい」
とは・・・
わたしからしたら、え?逆じゃない?と思っています。
本人が本来望んでいなくてそうなっているのであれば、苦しい、もっとやりたいというジレンマもあるかもしれませんが、実は病気が落ち着いているのに、体調が悪いからと仕事を減らしてもらい、責任ある仕事から外してもらうことがそんなにご本人にとっていいことなのか。グループで自分だけ何もしないことがいいことか?
いろんな側面があって、どっちがいい・悪いではないとは思いますが、少なくとも「楽ができていい」という面だけとらえてしまうのはある一面・一点でしか見ていないし、そのことが納得いけばいいですが、そうではないからモヤつくわけで。
本来自分がやる仕事を他人にとってもらうことで、いつまでもその業務は覚えないし、できないままだとやろうとするときに時間がかかるし、慣れてないとストレスになります。一方で、できるようになれば自分ができることが増えて慣れていけばスピードもついてきて、結果自分が楽になって、片付けられる仕事が増えれば、周囲から助かったよと声をかけてもらえたり、チームへの貢献も感じられることになると思います。

支援職は、そのときその方を「助けている」つもりでも、もしかしたら阻害しているかもしれないことをよくよくわかった上で、伴走しないといけないなあと感じています。その方が本来はできるであろうことを信じずに、自分(支援職)が手助けしてるつもりで手厚すぎるサポートをし、ありがたがられて気持ちよくなるためにやってしまうことで、支援職と支援される側双方向の共依存の関係を作ってしまいます。


支援する方が本来いる場で幸せなことがゴール。
そこを忘れたくないなと思っています。疾病利得?を受け続けることで、周囲との関係が希薄になり、社会的孤立感を招くことになります。


損得感情はどこからくるのか?

疾病利得とは大きく話題が離れるかもしれませんが、いろんな相談内容から加工してお伝えすると、
「あの人ばかりかわいがられて好きな仕事だけしている」
「体調が悪いと言ったからやりたい係をやらせてもらえた」
「気にいられているから行きたいところに異動した」など

そんな個人的感情で、異動や係替えはしていないし(少なくとも私がみてきた組織は)かわいがられていると周囲に思われる人は、その方が見ていないところで努力していたり、他の方の力になっていたり、組織に貢献していることがよくあります。

産業保健職自身がそういった気持ちにとらわれ、ある一面しか見えていないと非常にまずいなあと思っています。
他に考えられることはないかな?
この状態が長く続くとどうなるかな?
本来この方にはどういう支援が必要なのだろうか?
と考えることが大事というのは誰でも頭ではわかっているでしょうが、自分自身のことはどう?というのをいつも客観的に見れるようにしておかないといけないかなと思います。

損とか、得とか、どういう心理からやってくるのか考えてみたら、どうだろう。
AIにきいてみて、言葉を変換してみました。
自分も得をしたい!
人よりよくみられたい!
自分だけ評価されたい!
まわりが活躍するのはおもしろくない!

など。

ちょっと悲しい気づきなんですが、実は産業保健職同士の承認、フィードバックって少ないように感じていて(集団による。わからないことも聞けるし、ねぎらえる集団もある)たぶん心理的安全性(失敗してもいいしみんなが助けてくれるし一生懸命やろうの空気)が担保されているのが大事だと感じる今日この頃です。
他の職種(やフィールド)だとすごいんですよね、反応や承認が。感想だったりうれしいとか辛いとかの表現も、応援度合いも、なんかあったかいと感じる。
産業保健職だからか?
タイムリーに率直に返すだけ、が難しい気がしています。
それは言語化できないのか、周囲にどう思われるかが気になるのか、評価されたくないのか。
そんなんなるとやりとりに時間がかかり、タスクの質も落ちるというか・・・


本来の疾病「利得」?自体は

支援職の役割抜きにしていうと、いいじゃん、だってそういう仕組み、制度でしょと思うし、理由はどうであれ、本人に必要だからそうなっているわけで。そして、何事も「平等」なんてありえないし、自分のとらえ方次第で、人生が楽しくも、辛くもなるということは思う。


話がズレてきましたが(笑)
今回は疾病利得だーという側の方から考えてみました。
自分がどう、幸せに生きていくかは、人は関係ない。人と比べるのではななく、自分自身がよしと思える楽しさ、うれしさ、喜びを大事に生きたら利得だなんだって、いわないんじゃないかなーなんて。
この物事の「捉え方」は先日、インスタグラムのリールで流れてきたものが、認知の部分でぴったりきたので共有しますね。

https://www.instagram.com/reel/C-w79QQSs1C/?igsh=MTlvb2s5bXNvZGRodw==

わたし自身は、量子力学とか興味があって、言霊とか、考え方捉え方とか、誰といるか。そういうのって、寄せるんだなと思ってるんですよね、変な話。だから、対象者の方と話すときも、別の角度でみると?ポジティブにとらえるなら?を意識して話すようにしています。それは科学的にもやっぱりそうなのかもなーと思う。


おわり

そう、とかそれ、とかねえ(笑)
とりとめのない話をしてしまいましたが、本日の雑談でした~。
ではまた!

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