ミカクテイ事件の観測者 -Demons'Timeline- 残酷で懐古的でリアルな、今を描く現代表現
今年のミステリージャンルは、革命でも起きているのか?
「ミカクテイ事件の観測者 -Demons'Timeline-」は、DigitalCatsにより開発、発売されたミステリーゲームだ。
ネット探偵「エル」と正体不明の悪魔「箱内にゃすてりあ」のコンビが、某SNSそっくりのタイムラインを探索しながら、殺人事件の解明に挑む。
初めに言ってしまうが、このゲームほど「ミステリーゲーム」というジャンルを的確に、ただし入門向けに見せたタイトルはない。
本作は文章やイラストを元にしながら情報を整理し、正解となるワードを探して当てはめていくようなミステリーである。
一般的な推理ゲームとは違い、単語をどこに当てはめるかというワード探しがメインになってくるため、情報を探しながら文章を読む面白さ、そして見つけた情報を整理しつつ、推理を絡めながら確実な正解を導き出すという面白さは、最近のミステリーのトレンドとして定着しつつある。
このジャンルの元祖は「The Case of The Golden Idle」、通称「黄金像」と呼ばれるゲームであるが、中世スペインという世界観や高難易度すぎるワードの当てはめなどから、ミステリー慣れしていないと馴染めない雰囲気があった(無論、面白さは折り紙付きである)。
本作は、そんな黄金像のフォロワーでありながらも、黄金像にあったどこか取っつきにくかった世界観や難易度を絶妙に抑え込んだうえで、ミステリーの面白さを丁寧に表現している。
SNSを触るというプレイフィールや現代の世界観でとっつきやすくしながらも、難易度を抑えつつワード探しと当てはめの面白さを提供するという点で、本作のクオリティはかなり高い。
ミステリー初心者に、自信をもっておススメしたいゲームだ。

しかし、個人的に本作が凄まじいと思ったのはそこではない。
本作は、あまりにも丁寧に、そして鮮明にSNSが持つ残酷さと甘い夢を描き切っている。
そして、その描き方と2020年の今を生きるリアルがあまりにも的確にマッチしており、現代を描くゲームとして申し分ない。
ここが、本作の最も素晴らしい点であると思う。

本作の謎解きに使われるSNSのタイムラインは、特定のワードによる検索を基にして構成されている。
タイムラインを形作るワードは、事件の被害者や周辺人物の名前や組織名であるために、現代社会の諸事象とは繋がりがない。
しかし、そのワードは複数の人物の絡みを見せながらも、現代の光と闇を様々な観点から描き切っている。
SNSの人物特定やネット恋愛などのシンプルな問題点から、男女間の差別や宗教じみた団体などの危ない社会問題まで、切り口は多種多様だ。
しかし、その全てが短い文脈でありながらも圧倒的なリアリティをもって表現されており、全てが突き刺さるようになっている。
特に驚かされたのは、VRCubeの諸問題と男女間差別のタイムラインでの一幕だ。

VRcubeとは、VRで他人と交流できるツールであり、有り体に言ってしまえば某チャットのパロディである。
この界隈はnoteを見ていてもなんとなくわかるが、コミュニケーションツールとしてVRという仮想現実を用いる関係上、人間関係のゴタゴタが起きやすい。
ネット恋愛的問題点はともかくとして、アバターを用いることによるエロ売りや自治権に対する主張の問題、嫉妬による攻撃的態度など、VRやコミュニケーションツールならではの問題点が議論を生むことが多い。
あまりにも独特なコミュニティ形成、かつ人間関係の諸問題が浮き彫りにされやすいこともあるからか、題材としては非常に良いものだ。
ただし、動画などから現状が共有されやすくなったものの、プレイヤーコミュニティであるがゆえに外部からの観測が難しい。

しかし、本作のタイムラインは凄まじいリアリティをもってVRcubeの諸問題を映し出す。
エロ垢売りする男、男と知らずにメロつく男、それを冷ややかな目で見ながら警鐘を促し自治主張する女。
そして、女の子と判別するや否や誰彼構わずアタックを仕掛け、ワンチャンを狙おうとする男。
実際こういう世界が元ネタの某チャットでも良く語られるが、本作はこれらがタイムライン上にセリフとして並ぶことで、よりリアルに出来事として解釈できる。
特に、本作は表垢と裏垢を両方見れることで、当事者間の裏表が明確に描かれており、感情や行動がわかりやすくなっている。
タイムライン上にはVRcubeに直接関わらない人物も複数いるが、彼らも時々VRcubeそのものにちょっと言及するなど、界隈外からの声があるような演出もあり、それもまたリアルだ。

また、エルがVRcubeのタイムラインを見ている理由は、元の事件の被害者「古田理貴」がどんな人間関係を構築していたかを調べるためである。
彼はまごうことなきVRcubeユーザーなのだが、その裏で日常生活の破綻、現実からの逃避、ドカ食い気絶している食生活の不安定さなど、どす黒い現実が浮かび上がっている。
元ネタ関連だとV睡による体調不良ぐらいしか語られない「今の現実の問題点」を、本作では現実の人間関係や生活習慣など多面から切り取ることで、元ネタの界隈の文脈でもあまり見えないリアルさを演出している。
現代社会の生きづらさをネットとリアルから見せるやり口は、あまりにもリアルで残酷だ。
彼はその後、2年間妻と会話していないこと、妻に不倫されていたこと、自分のVRcubeでの行動がバレて趣味すら封じられたことが明らかになる。
また、前のタイムラインでパワハラに近い状況下にあり、職場でも苦労を抱えていたことが明らかになっている。
彼はエルにより「精神が死んでいた」と表現されるが、現実から逃げられなくなって壊れてしまった彼は、最後にどんな顔をしていたのだろうか。

続いては男女差別間のタイムラインでの一幕。
被害者の妻「古田学美」のタイムラインには、男女差別、攻撃的発言、病み垢などが映る裏で、不倫や生への渇望など、人間らしい発言と闇が見える。
どちらもどす黒いのだが、個人的に驚かされたのが「餃子の話」だ。
このタイムラインでは、「夫婦で平等に餃子を分けないのはおかしい」という発言がある。
どうもよくある男女平等の発言のようなのだが、この時たまたま自分のXのタイムラインにリポストされた内容が、全く同じだった。
餃子という部分も同じ、分け方が平等でないという主張も同じ。
あまりにもうり二つのポストを見て、今自分が見ているものがゲームで同じように表現されたことに、震え上がった。
あまりにもリアルに現代を示しているとはいえ、自分が今さっき見ていたものがゲームに出てくるというのは、信じられないほどに怖い。
自分の世界そのものもゲームに切り取られたような恐怖感があった。

…とこのように、本作は現代に対する解釈が、諸問題をテーマ付けとして機能している。
ただ、それだけではなく、諸問題を描くタイムラインの中で、関係ない一幕がリアリティとして機能していることがある。
例えば、被害者の息子を追いかける時にはタイムラインが高校生で埋め尽くされるのだが、彼らの会話はバカバカしいやり取りだったりネットミームが主体になっていたりと、高校生らしい文脈が用いられている。
この学生ノリは本当にリアルで、リプライの中で話が急に変わったり、時々相手を小馬鹿にしたり、友達同士のたわいもない会話がかなり丁寧に表現されている。
自分もあの頃の馬鹿をやっていたタイムラインを思い出してしまい、あまりにそっくりすぎて驚いた。
また、作ったプリントにエロURLを乗せてしまうようなお笑い要素のシーンがあるなど、全体を通してシリアスに偏らないような構成になっている。
ネットらしさを見てみると、画像を中心にミームの扱いも上手く、アニメの字幕画像をリプに貼ったり、ネットならではのテンプレスラングに当てはめて会話したりと、ネット文化特有のノリが随所に表現されている。
それも事件とは関係ないところでだ。
そんな細かいところを見ても現代インターネットらしさに溢れているので、本作は現代を上手く表現していると言い切れるのではないか、と思う。
社会問題が主になっているため多少俗悪的な部分はあるものの、コメディチックな部分も含めてインターネットらしいインターネットを形成しているのではないかと思う。


さて、そんな現代をリアルに描く本作だが、話の本筋はかなりファンタジーというか、非現実的な雰囲気がある。
本作は「アクマ」と呼ばれる超能力を得た人間の事件を追い、事件の真相を解明することが目的だ。
インターネットを用いるのは単なる手段であり、目的は世間に隠れたアクマの発見である。
タイムラインではあまりにもリアルに物事が進んでいるのに、主題となるテーマ付けは「アクマ」という超能力者がいることで、ファンタジーになっている。
このテーマ付けの相違は、ゲームの終盤に悪影響を及ぼすのではないか?
結局ファンタジーを主題にしてしまっては、このリアルすぎるタイムラインまでファンタジーになってしまう。
示してきた現代社会の構図は、単なる舞台装置に過ぎなかったのだろうか?
その答えは、エンディングにあった。

本作は、エルの相棒であった「箱内にゃすてりあ」がどんな人物だったのかを、結果的に追うことになる。
彼女はアクマの契約により詮索が禁止されているのだが、その近畿を破って彼女の真実に近づいた時、物語は一気に加速する。
本作の前提として、「箱内にゃすてりあ」の能力は嘘で隠されている。
彼女は真意を読み取る力としてタイムラインの発言に裏の感情をつけてくれるのだが、それは嘘だった。
彼女の真の力は「他人を操る能力」。
彼女は、その能力を用いて国民の大多数に洗脳をかけ、裏垢を作成し、自身に情報開示するよう命令していた。

その真実が明らかになった後、エルはにゃすてりあの存在がなんだったのかを、タイムラインから推測する。
このシーンが、ファンタジーらしい可能性の物語と個性的なマルチエンディングになっており面白い。
あくまでファンタジーという主題を見せるためでもあるのだろうが、様々な世界線で色を変えるにゃすてりあの姿は、彼女が途中でVRcubeのモデルを使ったキャラクターであるという見た目の不確定性も含めて、良い演出である。
そして、にゃすてりあの定義が曖昧だからこそできる無茶苦茶な定義が、ユーモアに溢れていてありがたかった。
「母」「小学校からの友人(男)」なんて笑うだろ。
ここに到達するまでに、会話の中でエルも色々なコンプレックスを抱えたオタクであることがわかるので、それもにゃすてりあの定義と合わさって面白く見えたのだろう。
また、バッドエンドからにゃすてりあを確定するということが問題であると解釈し、真実と「解決」に向かっていくという展開も、かなり綺麗で良かった。

こういった風にファンタジーな要素を見ていると、そもそも本作は前提となるタイムラインにも非現実味があることに気づく。
本作では全てのキャラクターに表垢と裏垢が用意されている。
これはにゃすてりあの洗脳によって全員がネット中毒に近い状態になっているからなのだが、よくよく考えると60代のおじさんおばさんが裏垢を使って愚痴ったりするほどのネット能力があるとは考えづらい。
本作は現代らしさのリアリティを持っているが、リアリティすぎるがゆえにあり得ない部分まで現代ナイズしてしまっている。
その現代ナイズを矛盾として残すだけなら単によろしくないというだけの話なのだが、本作はそれすらも矛盾点のスパイスとして見せつつ、現代ナイズしすぎたがゆえにファンタジーなんだという要素まで見せつけている。
矛盾だけを提示するだけでなく、このリアルすぎるタイムラインそのものも、ファンタジーとしてかき消そうとした。
もったいないとはおもうが、それ以上にリアルすぎるが故の矛盾を用意し、破壊したというぶっ飛ばし方こそ奇抜で、素晴らしいポイントになっていると思う。
実際、タイムラインも後半に連れて陰謀論に近くなっていく上に、それが現実に起こっていましたというストーリー展開を辿るため、現代ナイズという部分もかなり無茶があるのだが…。

改めてまとめてみると、本作はファンタジーを主題としつつ、あくまで舞台装置として活用しながらも、現代のSNSタイムラインに出る諸問題からネットミームなどの細かいところまで、非常に丁寧に表現している。
現代を表現するゲームとして、驚異的な出来だ。
自分は、こういった時代を反映するゲームが残ることが、凄く重要だと考えている。
90年代に90年代をそのまま磁気ディスクにぶち込んだ「ペルソナ2」や「街」は当時の等身大を見事に再現しており、生まれていない世代でも当時の温度感を感じることができる。
特に「街」はTIPSの語彙や実写を使い、当時の世界観や生活のリアルを巧みに表現しており、90年代の世界を文章と写真でそのまま理解することができる。
しかも、ゲームは手で実際に触れることで、当時の感覚をより身近に理解することができる。
そういった観点から見ると、本作は社会問題やSNSの雰囲気を存分に表現しており、文化的価値を見ても重要な作品だ。
現代を再現する作品は多いが、当時のタイムラインの動き、今のタイムラインのきな臭さや独特の雰囲気、ネットミームやネタ画像にまみれたカオスな空間を再現するという手口はあまりとられていない。
その点、本作はあまりにもリアルであり、現代という文化を残すうえでとても価値のある作品だと思う。

最後に個人的な思いなのだが、本作はネット文化を配信者やSNSの裏垢から描いた「Needy Girl Overdose」や「都市伝説解体センター」とは明らかにベクトルが違う。
どれもインターネット特有の俗悪さを描いているが、「Needy Girl Overdose」のようにインターネットをやめることを神格化したわけでもなく、「都市伝説解体センター」のように露悪的な面だけ主張しているわけでもない。
終盤で一気にファンタジーに舵を切るところ、アクマという超能力を盛り込んでいるところから見ると、本作はインターネットに対する作者の考え方を主張したいわけではないと思っている。
あくまで本作のタイムラインは舞台装置で、現代の人間の苦しみや快感を見せるうえで、最も適切な場所として機能しているだけだ。
要は「インターネットのありのまま」なんじゃないかと思う。
諸問題に触れている点で全くニュートラルな視点ではないといえばそうなのだが、それでもネットに悪意を持っているわけではないし、悪いものだからやめろとも言っていないのだから、それはありのままの姿なんじゃなかろうか。
実際ネットで苦しんでいた人々はアクマが介入しなくなったことで救われるわけだが、ネットをしていたから苦しんでいたというわけでもない。
Xそのものが俗悪的だと言われる今だからこそ俗悪さが見えるだけで、全部が全部悪い要素でないことを鑑みても、ありのままがそのまま表現されているだけではないだろうか。
逆に、これが俗悪的に見えるのならSNSそのものが俗悪的すぎるということになってしまうし、SNSってそんなぐらいのものなんじゃないだろうか。
エンディングの最後に書かれた作者アントラー氏の言葉は、このゲームと自身のネットの立ち位置を明確に示すものである。
「例えSNSから争いが絶えなくても、人の根底は善であると僕は信じています」

終わり。
めちゃくちゃ楽しかったです。


