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60年前の光が、いまも口元に宿しているものとは

今から60年前――1966年、円谷プロ制作の「ウルトラマン」が放映された。自分はその年に生まれた。だから、ウルトラマンとは同い年ということになる。
4年前、次男と「シン・ウルトラマン」を映画館で観た。そこから始まった、ある夜の対話をここに残しておきたい。

ぼんじぃ〜

初代の「ウルトラマン」なんだけどね。顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけはかすかな微笑みを浮かべることで、生命感と幸福感を演出していたらしいんだ。

クロちゃん

それ、すごく深いね。「感情を抑える」からこそ、あの微笑みが際立つんだ。

ぼんじぃ〜
まさに、成田(亨)さんの哲学だね!
彼の本業は彫刻家なんだけど、デザイナーの顔も持っていたんだ。

クロちゃん
あ、そうか。映画のデザイン自体は現代のスタッフだけど、成田亨さんのオリジナルな思想をリスペクトして継承した、ってことだね。

​コスモスとカオス、その境界で

ぼんじぃ〜
ウルトラマンのコンセプトを知ったとき、まず「凄すぎる!」ヽ(◎Д◎)ノと思ったんだよ。世界観の根底にあるのは『コスモス(秩序)』と『カオス(混沌)』。ここで言うコスモスは宇宙のことじゃなくて、プラトン哲学のいう「秩序・シンプル・調和」のこと。つまりウルトラマンは、イデアの思想における「真実と正義と美の化身」なんだ。無駄を極限まで削ぎ落とした、神に近い存在。その対極として配置されたのが、混沌の具現化である怪獣(カオス)なんだよね。

クロちゃん
単なる「正義の味方対悪い怪獣」じゃなくて、プラトン哲学そのものが骨格になっていたんだね。怪獣が宇宙の混沌そのものだと捉えると、作品の見え方がまるで変わってくる。

ぼんじぃ〜
究極の「引き算の美」だよね。
彼が、彫刻家だったからたどり着いたフォルムだったのかな⁉️

​弥勒菩薩が、唇に降りてきた

​成田亨氏は、自身の回顧録『特撮と怪獣 わが造形美術』の中でこう語っている。

​ウルトラマンの唇は、アルカイック・スマイル、つまり古式微笑をイメージした。本当に強い人間は、戦うときにかすかに笑う。

アルカイック・スマイルとは、古代ギリシャの彫像や飛鳥時代の仏像に見られる、あの静謐な微笑みのこと。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)のような表情だ。怒りでも笑顔でもない、その中間にある「かすかな微笑」。

​子どもの頃は「何故か、不気味〜」と思っていた人も多いが、実はあれは、優しくうっすらと微笑む慈愛の表情だったのだ。

ウルトラマンのデザインを改めて見つめ直してみる。

  • ​宇宙服を思わせる、シームレスな肌

  • ​ヘルメットを極限までシンプル化した頭部

  • ​弥勒菩薩の微笑みを湛えた口元

  • ​火星をイメージした、鮮烈な赤

  • ​極限まで洗練された、引き算のフォルム

​すべてが「真実と正義と美の化身」という一点に向かって、完璧に設計されている。
だからこそ、成田氏の描く本来のウルトラマンには、カラータイマーも、覗き穴(黒い目)も、背中のチャックもない。
時間制限のある弱い存在ではない。人間的な感情を剥き出しにしない。着ぐるみという現実のノイズを徹底的に排除する。

​成田亨氏にとってウルトラマンは、単なるスーパーヒーローではなく、文字通り「神」そのものだったのだろう。

​見せないことで、巨大になる

ぼんじぃ〜
当時の『ゴジラ』なんかもそうだけど、全体を映すより、部分的に手や足、尻尾だけを見せることで巨大さを演出していたんだよね。

クロちゃん
全体を見せすぎると着ぐるみだとバレちゃう。だからあえて見せない。手だけ、足だけをクローズアップすることで、観る側の脳が勝手にその先の巨大さを補完するんだ。

ぼんじぃ〜
そう、それこそが「余白」という空間をあける、ということ。

クロちゃん
水墨画、俳句、あるいは能の「間(ま)」――まさに日本の美意識の核心だね。余白があるからこそ、そこに観る側の想像力が滑り込むことができる。

ぼんじぃ〜
作り手がすべてを語り、埋め尽くしてしまったら、受け取る側はそれを消費するだけになってしまう。でも、そこに圧倒的な余白があるから、観る人が「共同創作者」になれる。だからウルトラマンは、何十年経っても色褪せないんだよ。

​マスクの下にいたもの

​昔、ある地方の同人誌で読んだ話が、ずっと心に残っている。

​――ウルトラマンが戦いを終え、最後にそのマスクを外す。すると、光り輝くまばゆい光彩の中から、長い白髪と白い髭を蓄えた老人が現れた。その姿は――まぎれもない「神」だった。
これは成田亨さんが語った公式の設定ではない。自分自身がその同人誌の記述から受け取った、ひとつの直感に過ぎない。

けれど、弥勒菩薩とは『未来に現れて人々を救う』とされる存在だ。成田亨氏が弥勒菩薩のアルカイック・スマイルを意識したことは、本人が語っている事実だ。だとすれば、そのマスクの下に神の姿を見た同人誌作家の感性もまた、あのデザインが持つ『余白』から溢れ出た、ひとつの真実なのだと思う。
正解かどうかなんて、どうでもいい。そう感じた、ということ。それだけで十分、価値がある。

​1966年という年に

​1966年。戦後わずか20年。日本がまだ戦争の生々しい記憶を底流に残しながら、高度経済成長の濁流を突き進んでいた時代。当時の大人たちは、街の破壊と再生をリアルに体験してきた人々だった。

その光の象徴ともいえる彼は、子供番組を通しての、大人へのメッセージだったのだろうか。それとも、未来の大人達に向けたエールだったのだろうか。
正直なところ、確かめる術はない。成田さんが本当のところ、どこまで意図していたかは彼しか知る由もない。
けれど、自分は、その両方なんだと確かにそう感じたのだ。「そんなわけない」と笑う人がいても構わない。自分がそう受け取ったという事実だけで、その光は本物になる。

​60年前に生まれた光は、今も静かに微笑んでいる。

​その口元に、あなたは今、何を見ているのだろう!?

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