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広島の旅と魂の対話

今日は8月6日。自由に生きるという意識を胸に抱いた瞬間、人は真に自立する。

10年前の5月に私はふと思い立ち東京から広島に降り立った。夏の熱気が肌を包む。この日、なぜか私は瀬戸内海の江田島へと吸い寄せられるように旅に出ていた。計画性も宿の予約もない、ただの衝動的な行動だった。思い返せば、新居浜出身の父と戦艦大和ミュージアムの話をした夜の記憶や、私が生まれる前に亡くなった祖父が生前、戦時中に船の上で旗を振っていたという断片的な話が、どこか心の奥で響いていたのかもしれない。だが、それだけでは説明しきれない、まるで誰かに導かれるような不思議な感覚だった。

東京から新幹線に飛び乗り、広島市内を観光して一泊。翌朝、フェリーで江田島へ向かった。そこには英霊を祀る博物館や、海上自衛隊の施設が静かに広がっていた。過去と現在が交錯するその場所で、祖父の存在を漠然と感じながら、穏やかな波音に耳を傾けた。

旅の終わりは、しかし、予期せぬ試練が待っていた。仕事のために広島駅へ戻るべく呉線に乗ろうとしたが、猛暑による故障で電車は動かず。呉駅は振替輸送のバスを待つ人で長蛇の列。復旧の目処は立たない。焦る心を抑え、広島駅までフェリーで迂回することを決めた。新幹線の最終便に間に合うかどうかの瀬戸際だ。まだ呉線は動いていないようだった。

夕暮れ時、フェリーが静かに呉港に滑り込んできた。乗船したのは私を含め、若い女性二人、老婆、そして初老の男性数人だけ。船はゆっくりと広島港へ向けて動き出した。デッキに立ち、瀬戸内海の夕暮れを眺める。茜色に染まる空と海が、まるで時間を止めるように語りかけてくる。「まだ急ぐ必要はないよ」「何をそんなに焦っているんだ」と。ふと、会ったことのない祖父の気配を感じた。オカルトめいた話に聞こえるかもしれない。だが、魂の存在がささやかに語られる現代では、これは幻想でも虚構でもなく、私にとって確かに感じられた瞬間だった。

呉港
フェリーの甲板から見た景色


日没が近づき、フェリーは広島港に到着した。だが、ここからがまた一難だ。タクシーで広島駅へ向かい、最終の新幹線に乗らなければならない。明日の仕事が頭をよぎる。タクシー乗り場に急ぐが、待っていたのは空っぽの風景。一台もいない。時間は刻々と過ぎ、終電が迫る。焦りが胸を締めつけたその時、遠くに一台のタクシーが現れた。だが、先に並んでいた人が乗り込み、車は去っていく。日が暮れた。絶望が忍び寄る。

と、その時、もう一台のタクシーが現れた。私は飛び乗る。四国訛りの穏やかな老運転手に「急いで広島駅まで!」と告げ、事情を話す。少しだけスピードを上げてほしいと頼んだ。老人はどこか懐かしい空気をまとい、まるで昔どこかで会ったような親しみやすさがあった。車内での短い会話が、なぜか心を落ち着かせてくれた。

刻一刻と終電の時間が迫る。タクシーは広島駅のロータリーに、発車時刻のわずか1、2分前に滑り込んだ。現金を握りしめ、切符を買う。駅構内に響く最終電車のアナウンスが耳をつんざく。新幹線のホームは遠く、エスカレーターを二段飛ばしで駆け上がる。長い発車音が鳴り響く中、東京行きの新幹線に体を投げ入れるように飛び乗った瞬間、ドアが閉まった。激しい息遣いと汗が止まらない。だが、間に合ったのだ。

座席に崩れ落ち、荒い呼吸を整えながら、ふと思った。「そんなに明日の仕事が大事か?」と。写真でしか知らない祖父が、どこか遠くからそう語りかけてくるようだった。まるで、この旅自体が、祖父との対話だったかのように。

翌朝、目覚めたとき、感謝の思いを胸に抱いた。その中には、会ったことのない祖父の存在もあった。話したことはないけれど、どこかでつながっている。そんな魂の対話が、この旅の最後に残したものだった。

2025年8月6日の今日、広島に想いを込める時間がやってくる。時代は大きく変容し、さまざまなことが明らかになる時代でもある。政治や経済のカラクリも、お金の構造も、地球の気象や地震の事、働く意味や人生の意味も。先祖が生きてきた社会の先端を我々は生きている。

その中で2025年、何かに縛られず自由に生きるという意識を胸に抱いた瞬間、人は真に自立するということに気がつきつつある。

あの広島港の夕日以来、そんなことを雲を見ながら考えるようになった。


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