占いは自分から当てに行くもの
占いはお好きですか。私は好きなほうです。自分でやったり誰かにやってもらったりします。最近では易の勉強をしたいと思いながらサボっています。
数年前になるか、占い師の先生方がどこかで(たぶんネットのどこかで)話してたことですけど、占った結果がよいものであってもその結果が起こり得る状況に自分を持っていかないとどうにもならんよ、みたいなことを忠告してたんですね。それが妙に頭に残ってるんですが。
たとえば気学をやりましょう。この時期にこの方角へ行くと吉、と出ても、その方角に行かない限り吉もなにもないんですよね。行かないと占い通りのことはなんも起こらん。この場合、占いを信じる、あるいは賭けるならばその方角に行ってみるしかない。サイを投げない限りサイの目が出ないみたいなことか。いや違う、サイの目が出たあとでその通りにするかどうかだな。目は吉と告げているとする。その目を信じるか賭けるかして移動なり行動なりをするということ。のちに見て当たっていようが外れていようが、出た内容に沿って動くのが占いを自分から当てに行くっていう話だと思いますが。
当たるも八卦外れるも八卦。でも、そうはいってもねえ。占わずにはいられぬような状況ならば誰だって当たるほうに賭けるじゃないですか。こうすればいいことがある、といわれたらそうしたくなるじゃん。だったら当たりに行きましょうよ、当たりやすくしましょうよ、ということなのだろう。
まあなんでこんなことをいってるかというと、二、三年越しの占いの結果がちょっと見えてきたみたいな、そんな楽しさがあるもんで。自分でではなくやってもらったほうの占いなんですが、二、三年前のあの占いはこれをいってたんじゃないのって思ってる次第。当てに行ったら当たったわけよ。
ただの偶然というならそれもいえる。ただし偶発性の見通しや操作については古今東西の占術や魔術が人類過去何千年もの間やってきたことでしょう。私はその歴史の蓄積を決してなめてはいない。いいことあったじゃん。じゃあ賭け切るよ。ありがたくそうするよ。
酔ってるね。熱くなってる。酒のせいだろうけれども、日付変わって本日、月曜から火曜までは休肝日だ。だから、いいぢゃないか、いまこれを書いてる日曜の夜の酒くらいのことなら。
いとこからLINEが来たんです。「ドナドナを聴いて悲しくなった」という。そんなん聴いてないでもっとブチ上がるものを聴けばいいのに。みんなそれぞれあるでしょう、これを聴くと気分がガッと上がるという一曲や二曲が。あるいはアルバムの一枚や二枚が。元気出していきましょうってエーザイのCMでもいってたし。エーザイはともかくみんなえっちらおっちらブチ上げてやってくんだよ人生を。音楽の力を借りたりして。そうじゃないの?
わからんけど、カラオケ一曲目に入れると場がブチ上がるのを貼っておきますね。いましも季節は夏だからね。私の世代のヒット曲ではこれだ。
アホくさい? 然り。でもあの時代の空気はこんなだったよ。まだバブルのノリを引きずってる頃だったんじゃないかねこれ。
ついでにではないが、お口直しにシリアスめの曲も貼る。MIYAVI、最近追ってないけど、この人は私には世代というより同時代というほうがしっくり。
うむ、かっこよい。何度観ても。
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