1Q46-こうして始まったテレビの正体
第4章:誰もが「裁く側」の時代〜GHQの亡霊たち

・神格化されたテレビ的パーソナリティ〜神々の過ち
2023年以降、世に明らかになった芸能界の裏側での被害事案は、その多くに性的加害のことが絡んでいた。ジャニー喜多川が自らの事務所のタレントたちに与えた過去の加害事案や、ダウンタウン松本人志、元SMAP中居正広。日常生活の知られざる裏の真相だけに、それは人々に衝撃を与えた。
長年テレビが作り上げたその「テレビ的パーソナリティ」「国民的タレント」たちは、その人気と信頼によって、いわば「神格化」されていた。 視聴者は、彼らを通して「わかりやすい”善”」を信じ、日常の平安と享楽を得ていた。衝撃的だったのは、それが”神々による過ち”であったからだ。
さらにその聖性が問われた時、神々は沈黙を選んだ。語らないことでまた、テレビ局という舞台装置との共犯関係も際立たせてしまった。
テレビ局もまた同様である。たとえばフジテレビは、第三者委員会の報告を受けながらも、「制度の不備」「個人の問題」として事態を収束させようとしている。だが、番組構成、キャスティング、報道姿勢など、メディア全体の運用は長年にわたり、特定の権力構造と共存してきた。それが形成されてきたのは、「制度と慣習」のなかで育まれた“共犯の空気”なのである。
それは東京裁判における「国体の維持」のために、責任の所在を曖昧にさせた構図と似ている。一方、戦後も今も、罪を追求する「裁く側」の安全なポジションが絶対的に守られているような構造も、驚くほど似ている。

ここで重要なのは、「裁く側」の不在性、その立場の絶対性である。
戦後の日本では、GHQという“外部”によって善悪の正義が規定され、その権威の下で裁きが行われた。戦勝国の正義の論理は外からもたらされ、敗戦国・日本はその理論に従うしかなかった。善悪を論議する、つまり同等に「語る」という行為も、占領によって管理されていたのである。
・誰もが「裁く側」となった〜SNSジャーナリズムは見えない◯◯◯か
翻って現代──インターネットという装置によって、「誰もが裁く側になれる」時代が到来した。SNSは、沈黙したままの当事者に代わって糾弾を行い、匿名の群衆が“正義”を執行する場となっている。しかし、そこにあるのはGHQと同様、非対称な権力構造である。
断罪の権限を持ちながら、当事者性を欠いた“裁く者”たちの存在は、ある種の無責任な暴力として、語る力の芽を摘んでしまう危険をも孕んでいる。

2024年の正月、松本人志に関する週刊文春の報道は、瞬く間にネット空間を炎上地帯に変えた。記事の中で告発されたのは、十数年前の飲み会での言動と、性加害とされる一連の行為。だが、何よりも衝撃的だったのは、その「語られ方」だった。
テレビのニュースや情報番組では、ほとんど触れられることなく。本人の会見も、大手の報道メディアは口を閉ざしたまま、沈黙した。そしてその沈黙の隙間を埋めるかのように、SNS上では「#松本人志引退」「#説明責任を果たせ」などのハッシュタグが飛び交い、YouTuberが告発動画やインフルエンサーが「道徳的優位」を旗に連日、発信を繰り返した。
そこにあったのは、かつてテレビが担っていた“権威”とは異なる、新しい「裁く装置」だった。すなわち、インターネットという空間がGHQのような役割を果たし、ジャーナリズムと”道徳的正義”を自称する匿名の“群衆”が、断罪のロジックを実行していたのだ。

・法廷で非人道的兵器使用は裁かれず、「裁いた側」の亡霊がいま
ふたたび1946年。極東国際軍事裁判──いわゆる東京裁判では、日本の戦争責任を問うという名目で、戦勝国であるアメリカを中心とする連合国が「裁く側」となり、日本の政治指導者たちを「裁かれる側」として断罪した。
だがそこには根本的な非対称性があった。極めて非人道的行為と言わざる得ない生活民衆に向けて放った核爆弾、広島・長崎への原爆投下に関しては法廷の場でいっさい論議されず、裁かれなかった。そして東京大空襲も免罪とされた。その一方で、天皇の戦争責任について問うこともなかった。
つまり、「裁く者」は正義の座に安住し、「裁かれる者」だけが公の法廷に引きずり出された。
このもっとも大事な倫理を司どるべき法廷の、歪んだ構造を正確に伝えることができた報道は当時ひとつも存在しなかった。新聞もラジオも、民衆があげる投書や声も、すべて連合国GHQの管理下であった。
これはあの頃の一時的な事象なのではない。すべては「現在」と地続きなのである。

日本テレビ放送網(JOAX-TV)開局
1953年になってNHKと日本テレビ放送網が開局する。だが、1945年から1952年までの7年、日本は連合国GHQいわばアメリカの管理下に置かれていた。つまりNHKを含む、日本のテレビ放送機構の準備期間にあたる戦後7年は、完全にGHQ指導の元に進んでいたのである。もう一つ加えれば芸能界も同じ状況下にあった。
いま、そもそも私たちが正しいと思っていたもの、すなわち報道・メディアを今度は、「裁く」という時代がやって来た。
そのとき、かつて東京裁判で高圧的に断罪を迫ったGHQは姿を消し、代わりにその亡霊とでもいうような、得体の知れない「巨大な何かの力」が裁きを開始し始めている。
そのことに、どれだけの人が、いま気づいているだろうか。
(5章につづく)
