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美術館は、こころがふれる場所。大どろぼうが盗み出した「美の尊さ」ーー『大どろぼうの家』at京セラ美術館

▶「体験型」ではなく「思想型」の展示

大どろぼうの家を京セラ美術館で見てきました。
展示されているものがどうこうというより、コンセプトが秀逸。
体験型という触れ込みだけど、そうか?
どちらかと言うと思想型なのでは。
どろぼうでなく、「大」どろぼうであるところがミソ。
この展示は撮影もネットへのアップもOKだったので、感動した思想について話しますね。

▶なぜ、私たちは「どろぼう」に惹かれるのか

まず、なんでわたしはどろぼうに惹かれているんだろうかと疑問に感じます。
古今東西のどろぼうを紹介されるんですが、人のものを盗んで悪いことをしているはずなのに、妙な魅力をみんなから感じる。
なんでだろう。
心の何処かで、何かを盗みたいとか非日常を体験したいとか、未知の冒険への憧れかなとか考えます。
でも、大どろぼうの本棚やコメントを見ているうちに気づくんです。
大どろぼうとは何が美しく、何が価値があるのかを誰よりもこだわっていて知り尽くしているんだって。
古今東西のどろぼうも単に高く売れるとかでなく、他のこだわりをしっかり持って盗みを働くわけです。
そっか、美に対する尊さを身を持って表現してくれているのがここでの大どろぼうなのか。
大どろぼうは谷川俊太郎さんからも盗んでいます。
なんという尊いこだわり。
もうちょっとここで泣きそうになっているわたし。

▶美術館は「こころ」がふれる場所

そして次の部屋。
コレクションもいいのですが、目線の高さよりも上に貼られた大どろぼうの言葉。
全文掲載。

絵が手招きする。
布が微笑む。
器がおしゃべりする。
映像が弾む。
音が、声が、くるくる踊る。
ここは、わたしのしごとば。
わたしのいちばん好きな場所。
美術館っていうのは、作品を見る場所だと思っているでしょう?
毎日ここにいると、わかってくる。
ここは、こころがふれる場所。
やさしい心、うれしい心、たのしい心。
きびしい心、さびしい心、かなしい心。
意識と無意識がマーブル模様を描く、裸の心。
ここを訪れる人はみんな、心を求めてる。
そうとは気づいていないだけで。
だからね、はじめたの。
本の一冊、スケッチ一枚、ぬいぐるみ一体。
こっそり、ひっそり、ひとつずつ、作り手の心のかけらを頂戴することにしたの。
わたしのものにしようなんて、思ってない。
お金に換えようなんて、もってのほか。
ただ信じてる。
いつかきっと、心こそ価値があると、みんなが気づく日がくるって。
美術館が心を交わしあう場所になる。
その日まで、わたしは盗みつづける。
そしてその日がきたら、決して躊躇わない。
愛すべき心のかけらたちを、よろこんで解放するの。 

大どろぼうの家 白の小部屋より

大どろぼうの家とはそのまま美術館ってことでいいんじゃない?
ならば大どろぼうとは美術館に関わるすべての人。
そこには見に来たわたしたちも含まれるのでしょう。
さて、では美術館が心を交わし合う場所になっているのかしら。
お金に換えようなんて、もってのほかって言葉が重いよね。
美しさの価値がお金の価値ではかられていないと言い切れる?
アートのお値段とか、ちゃんちゃらおかしい。
美しいということが何の物差しもはさまないで美しいと言えるものになっているのかしら。

▶ヨシタケシンスケの展示への心地よい違和感

そんな思いを抱いたあとのヨシタケシンスケさんの展示。
これは独立したコンセプト。
ネタばらしはヨシタケシンスケの絵本がしてくれてる気がするけれど。
あれ、ミスリードな気もする。

大どろぼうの言葉を読んだあとにヨシタケシンスケさんの展示があるんだけれど。
個人的にさっき感動して涙ぐんだすぐあとの展示だからか。
蛇足的にしかも別の方に解説入れられたようで、はいはいってなる。
勘違いしないで、ヨシタケシンスケさんはめっちゃ好き。
『メメンとモリ』とか『そういうゲーム』とかの絵本、もうたまらん。
この絵本だって、要は独立しているくらい力強い作品ってこと。
だからこそ、力がありすぎるゆえのミスリード。

▶「価値」の物差しを捨てた先にあるもの

きっと最後の部屋が最も思想的。
大どろぼうの偏愛品やガラクタや今は見なくなったアイテムたちが京都中から集まっている。
ここに置かれなければ見逃しているようなものたち。
何かの物差しが介在すれば価値が見えなくなるようなものたち。
かといって価値を感じるかと言えば、うん、まあ、いや価値はないのかもしれない。
でもきっと価値を感じる人はいる。

▶最後に盗み出したのは、自分自身の「こころ」

そしてわたしにも価値を感じるものがある。
わたしだけにとって価値のあるもの。
きっとそれはわたしが盗んできたもの。
わたしのこころ。
それは見るものであるはずがない。
だってわたしなのだから。
見るのではなく、あるのが当たり前のもの。
こころ。

どうですか、体験というより思想でしょ。
あ、でも、美を展示する価値を体験したってことなのかも。
思想体験型。
そして気づいたんだけど。
わたし大どろぼうでした。
だって途中で引用した大どろぼうの言葉。
これ、わたし盗んでわざわざここに飾っている。
大どろぼうの言葉がわたしのこころになっちゃった。
いかがかしら。


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