愛に勝てるものはない。
霊にも、愛が必要なのかもしれない
佐藤愛子さんの『私の遺言』を読みました。
今、私は「霊」というものに興味があって、いろいろな情報を集めています。
この本には、佐藤愛子さんが北海道に別荘を建ててから30年あまりの間に起きた、さまざまな霊障について書かれています。
その中には、美輪明宏さんや、若き日の江原さん、そして何人もの霊能者の方が登場します。
私はこれまで、霊障というものが本当にあるのか、どこか懐疑的でした。
佐藤愛子さん自身も、もともとは霊の存在を信じていたわけではなかったそうです。
けれど、現実に「これはどう考えても説明がつかない」という出来事が次々に起こり、信じざるを得なくなっていった。
そんな経緯が書かれていました。
読んでいて、ふと自分のことを思い出しました。
私は長いこと、自分の中に「抗えない何か」がいるような感覚がありました。
自分ではない自分に動かされているような感覚。
自分でコントロールできないものに振り回され、苦しんでいた時期も長かったです。
それが霊障だったのかどうかは、今でも分かりません。
憑依体質ではありますが…
でも、本当のところは分からない。
ただ、神社に通うようになり、自分自身を少しずつ受け入れられるようになってから、何かが変わっていきました。
自分を否定することをやめていく。
自分の中にあるものを、良いものも悪いものも含めて、そのまま見ていく。
そうしているうちに、少しずつ「正気を取り戻していった」ような感覚があります。
だからこそ、この本を読んでいて印象に残ったことがありました。
どんなに優れた霊能者であっても、慈愛がなければならない。
そんなことが書かれていたのです。
これには、深く考えさせられました。
霊障というと、
「悪い霊を祓う」
「強い霊能者が退治する」
そんなイメージを持ちやすいけれど、
もしかすると、そういうことだけではないのかもしれない。
もし、本当に浮かばれない霊がいるのだとしたら。
そこにあるのは、憎しみや執着、苦しみなのかもしれない。
でも、その苦しみに対して、愛や慈しみを向けられたとしたら。
愛の前では、憎しみも執着も、その力を失ってしまうのではないか。
私はそんなふうに感じました。
もちろん、霊が本当に存在するのか。
私が経験してきたことが霊によるものだったのか。
それは私には分かりません。
だから、これはあくまでも今の私の感じていることです。
ただ一つ思うのは、
どんなものにも、力で対抗するのではなく、愛を向けること。
それは霊に対してだけではなく、自分自身に対しても、人間関係も同じなのかもしれません。
自分の中の、理解できない自分。
嫌っていた自分。
コントロールできなかった自分。
それさえも排除しようとせず、
「そうだったんだね」
と見てあげる。
もしかしたら、それが私自身を救っていったのかもしれません。
改めて、愛しかないんですね。
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