波のようにやってくる。noteを書きたい時、書かない時。
書きたい気持ちは、波のようにやってくる。
先週はほとんど開かなかったのに、今日は下書きを3つも作った、みたいなことが普通に起きる。
逆に、毎日投稿はできない。
継続している人を見ると、素直にすごいと思う。
なんでだろう、とふと考えてみた。
書きたくなるのは、だいたいこんな時
予定のない、暇な時。
何かを経験し、考えるきっかけが生まれた時。
頭の中がごちゃごちゃしている時。
そういう時には、記事の執筆が進む。
起きたことや生まれた感情を消化しきれない時、言語化して整理すると落ち着くし、ちょっとした違和感や気づきを得た時は、書かずにはいられない。
自分を理解したい。忙しい中でも手が動くのは、たいていそういう時だ。
ただ、物事が起きた直後に書くと、冷静じゃないことも多い。私にとってはネガティブ過ぎるというか、話の中にちいさな光がすら見えなくて、読みづらいものになってしまう。
下書きのまましばらく残しておいた時は、記事として昇華できなければ、潔く削除することにしている。
書きたくなくなるのは、充実している時
日々が充実していると、書こうとすらならない。無意識にnoteと距離を取っている自分がいる。
充実しているというのは、楽しいイベントや優先することがあり、満足している状態に近い。
私が書くのは、経験きっかけで気づいたり考えたことを、内省してまとめるような記事だ。もっとエッセイ寄りに書いていきたい気持ちはあるけれど。
だから「タネ」がない時は、書かない。
書けないというより、書く必要がない状態に近いのだと思う。
結局、私にとってnoteは何なのか
今しんどいことも、苦労していることも、数年後には思い出になる。インスタが写真の思い出アルバムなら、noteは思考の思い出アルバムだ。
感情は薄れるものだから、こういう場を借りて、読み物としてそれなりに成形することで、将来また読み返せる。辿ってきた道筋から、いろいろと思い出せるだろう。
あくまで自分のために書いているnoteだけど、誰かに届いたり共感してもらえるのは、とてもうれしい。継続のモチベーションになる。
数字をまったく気にしないのは難しいけれど、収益化を目指していない私にとっては、ありがたい副産物のようだ。
何かを目指したり、目標があるわけではないからこそ、自分のペースで続けることは大切にしたい。
そう思うと、noteとの距離感に波があるのは、たぶん自然なことかもしれない。
充実している時はそのまま過ごして、ごちゃごちゃしてきたら戻ってくる。そういう付き合い方が、私には合っているのかもしれない。
