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#17':参考レビュー | 3月31日 『リトル・ガール』 7歳の少女の尊厳——「私は女の子」と言える社会へ

はじめに

3月31日は、「国際トランスジェンダー可視化デー(International Transgender Day of Visibility)」です。

2009年にアメリカのトランスジェンダー活動家レイチェル・クランドールによって創設されたこの日は、トランスジェンダーの人々の存在を可視化し、彼らが直面する差別や困難に対する意識を高め、トランスジェンダーコミュニティの成果を祝う日です。

世界には、推定2500万人のトランスジェンダーの人々がいると言われています。彼らは、出生時に割り当てられた性別とは異なるジェンダーアイデンティティを持つ人々です。

トランスジェンダーの人々は、深刻な差別と暴力に直面しています。多くの国で、法的保護が不十分であり、医療へのアクセスが制限され、雇用や住居で差別されています。特に、トランスジェンダーの女性、そして有色人種のトランスジェンダーの人々は、高い割合で暴力の被害に遭っています。

そして、トランスジェンダーの子どもたちは、さらに複雑な困難に直面します。

自分のジェンダーアイデンティティを理解し始めた子どもたちは、家族、学校、社会からの理解と支援を必要としています。しかし、多くの場合、彼らは無理解、拒絶、いじめに直面します。

この特別な日に観る作品として、2020年公開のドキュメンタリー映画『リトル・ガール』(原題:Petite Fille)を推奨します。

本作は、フランスの映画監督セバスチャン・リフシッツによるドキュメンタリーで、7歳のトランスジェンダーの少女サシャとその家族の1年間を追った作品です。

サシャは、生物学的には男性として生まれましたが、彼女は自分が女の子だと知っています。そして、彼女の家族——母親、父親、3人のきょうだい——は、サシャを無条件に受け入れ、サポートしています。

本作は、トランスジェンダーの子どもの視点を中心に、極めて誠実に、そして繊細に描かれています。センセーショナルな描写は一切なく、ただ一人の少女の日常と、家族の愛が静かに映し出されます。

本作は、2020年ベルリン国際映画祭でテディ賞審査員特別賞を受賞し、フランス国内外で高い評価を受けました。2021年には日本でも公開され、多くの観客の心を打ちました。

トランスジェンダーの子どもたちの現実を知り、理解を深め、そして彼らが尊厳を持って生きられる社会について考える——この日にふさわしい、重要で美しい作品です。

基本情報・あらすじ

→ あらすじや製作情報はデータベース記事


監督: セバスチャン・リフシッツ
製作年: 2020年
上映時間: 85分
制作: Agat Films & Cie
記念日: 国際トランスジェンダー可視化デー(3月31日)

予備知識

セバスチャン・リフシッツ監督

セバスチャン・リフシッツは、フランスのドキュメンタリー映画監督で、長年にわたってLGBTQ+の人々の生活を描いてきました。過去の作品には、『ワイルドサイド』(2004年)、『見えない人々』(Les Invisibles, 2012年)、『バンビ』(2013年)などがあります。『リトル・ガール』は、彼の最新作です。

リフシッツの映画は、被写体を搾取せず、真摯な眼差しと深い敬意、そして繊細な映像表現が特徴です。彼は、LGBTQ+の人々の生活を、特別なケースとしてではなく、多様な普通の日常として描いています。

トランスジェンダーの子どもたちの現実

トランスジェンダーの子どもたちは、出生時に割り当てられた性別とは異なるジェンダーアイデンティティを持つ子どもたちです。一部の子どもたちは、非常に幼い頃から、自分のジェンダーアイデンティティを表現します。

医学界では現在、「性別違和」(割り当てられた性別とジェンダーアイデンティティの間に不快感を感じること)が認識されています。治療には、心理的サポート、社会的トランジション(好みの名前と服装を使用すること)、思春期ブロッカー(思春期を遅らせる薬)などが含まれます。

しかし、トランスジェンダーの子どもたちは、多くの困難に直面します。家族の無理解や拒絶、学校でのいじめ、社会の偏見、医療へのアクセスの制限——これらは、子どもたちの精神的健康と発達に影響を与えます。

フランスの法的状況

フランスは、LGBTQ+の権利に関しては比較的進歩的です。同性婚は2013年に合法化されました。しかし、トランスジェンダーの人々の権利には、まだ多くの課題があります。

名前と性別の変更には、長い法的手続きが必要です。特に未成年者にとっては困難です。また、一部の学校や機関では、トランスジェンダーの子どもたちを簡単には受け入れません。

映画の中で、サシャの母親は、これらの法的・社会的障壁と闘っています。

優れている点

子ども中心の視点

このドキュメンタリーの最大の優れた点は、徹底的にサシャの視点を中心にしていることです。カメラは、サシャを客体化せず、彼女の目線に寄り添います。

サシャの言葉、表情、日常が、最大限の敬意をもって描かれます。彼女は「問題」ではなく、「被害者」でもなく、ただ一人の女の子です。

家族の無条件の愛

サシャの家族の受容とサポートは、深く感動的です。母親カリーヌは特に印象的で、彼女は学校、医師、行政と闘い、サシャの尊厳を守ろうとします。

父親と3人の姉妹も、自然にサシャを受け入れています。きょうだいは、サシャを「妹」として何の疑いもなく扱います。

この家族の愛は、劇的ではなく、ごく自然に流れています。その日常性が、かえって力強さを生んでいます。

静かで誠実な描写

この映画には、センセーショナルな場面がありません。劇的な対立も、涙も、感動的な音楽もありません。

ただ日常——サシャが姉妹と遊び、学校に行き、母親と話す。その静けさが、真実の重みを伝えます。

リフシッツ監督は、感情を操作しません。ただ現実を誠実に見せます。そのアプローチは、サシャと観客の両方を尊重しています。

社会問題が自然に提起される

映画は、サシャの経験を通じて、社会の問題を自然に提起します——学校の硬直性、医療システムの問題、社会の偏見。

しかし、映画は説教しません。ただ現実を見せ、考えることを観客に委ねます。その抑制が、メッセージをより強力にしています。

注目点

「見えない」のか、「見えていない」のか——日本とフランスの違い

「トランスジェンダーの人を身近で見たことがない」という感覚は、日本では多くの人に共通するものではないでしょうか。しかしそれは「いない」からではなく、「言える環境がない」から見えていないだけかもしれません。

言えない社会では、周囲も気づかず、問題として顕在化しません。存在しているのに、見えない。これが長らく日本の状況でした。

ただ、変化は起きています。最近は講演やメディアでカミングアウトする人が以前より増えました。そしてそういった人たちに対して、特に拒絶反応が起きているわけでもない。社会の側は、思っているより受け入れる準備ができているのかもしれません。問題は「社会が変われるかどうか」ではなく、「言いやすい環境を作れるかどうか」なのではないでしょうか。

ReBitの2025年調査では、LGBTQの中高生の9割が学校で困難やハラスメントを経験し、10代のLGBTQは同世代全体と比較してメンタルヘルスの不調が8.2倍という数字が報告されています。「親がLGBTQの悪口を言うことが多くて、自分のアイデンティティを隠すことを心がけている。大人になって家を出るまで我慢すれば自由だと自分に言い聞かせて、ただただ耐えている」(16歳・広島)——この声は、子どもだけでなく、かつての多くの大人にも重なります。

「3歳で気づく」——性自認はいつ形成されるのか

映画でサシャがごく幼い頃から「自分は女の子だ」と確信していることに、驚いた方も多いのではないでしょうか。しかしこれは例外ではありません。

心理学の研究では、ジェンダー・アイデンティティの基本的な感覚は2〜4歳頃に形成され始めるとされています。「自分は女の子か男の子か」という感覚は、言語を習得するより前から芽生えうるものです。サシャが3歳で気づいていたとしても、それは脳と身体の性が一致しない子どもにとってはごく自然な経験です。

問題は「気づく年齢」ではなく「言える環境があるかどうか」です。韓国での調査では、トランスジェンダーの人々が性自認に気づく平均年齢は13歳ですが、他者にカミングアウトするのは平均21歳——気づいてから8年間、一人で抱え込む計算になります。

フランスと日本——同じ問いへの異なる回答

映画の舞台フランスは、2010年に世界で初めて性同一性障害を精神疾患の分類から除外した国です。2017年からは手術なしで法的な性別変更が可能になりました。サシャの母親カリーヌが学校や医療機関と闘い続ける場面を観ると、「フランスでさえこれほど困難なのか」と思えますが、それでも家族が子どもの性自認を信じて社会と闘える環境があります。

日本では2023年に最高裁が「手術を性別変更の要件とすることは違憲」と判断し、同年「LGBT理解増進法」も成立しました。制度は少しずつ変わっています。あとは、制度の変化が社会の体感温度の変化につながっていくかどうかです。

結び

3月31日の国際トランスジェンダー可視化デーに『リトル・ガール』を観ることは、「見えていなかった誰か」に気づく時間となるかもしれません。

サシャは7歳で、すでに自分が何者かを知っていました。その確信は誰かに教わったものではなく、彼女の内側から来ていました。そしてその確信を、家族が信じた。ただそれだけのことが、彼女の人生を支えています。

日本でも、カミングアウトする人は確実に増えています。そしてそういった人たちを、社会は思っていたより静かに受け入れています。変化は、すでに始まっているのかもしれません。

あとは、言わなくても済む社会より、言いたいときに言える社会へ——その小さな一歩を、一人ひとりが日常の中で作っていけたら、と思います。サシャのような子どもが、サシャの家族のような大人に出会える確率が、少しでも上がるように。

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