“積ん読“ の山の上で会いましょう。
子どもの頃から本が好きで好きで。
休日がまだ日曜日しかなかった小学生の頃。父に近所のダイエーに連れて行ってもらい、まず向かうのは本屋さん。父は "POPEYE" や "BRUTUS" のような雑誌を買い、私は子供用の名作シリーズや漫画などを買ってもらい、その後喫茶店(今思うとまごうことなき純喫茶であった)に行っていた。
1980年代後半の日曜日の午後。父はホットのブラックコーヒー、私はクリームソーダを頼んで、今買ってもらいたての本を読む、という流れの日がしばしばあった。
あれは至福だ。
今でもそう思う。
当時楽しみにしていた「AKIRA」の新刊が出ると、きまってその日曜の喫茶店スタイルで読んでいたのを覚えている。
大判の、まるでアメリカン・コミックのようなルックスの図体の大きいその1ページ1ページを丹念に読む。緻密な絵と眩しいほどの新しい感覚に見惚れる。
やはり至福すぎるだろう。

当時読んでいたものは、「オズの魔法使い」や「若草物語」、「赤毛のアン」といった定番の海外の名作や、偉人の伝記が好きだった。
その頃からドメスティックなお話よりは、西洋のお話を好んでいたのは、やはりアメリカ好きの父の影響を自然と受けていたのだと思う。
とはいえ、我が国の学研漫画のひみつシリーズや小学館版学習漫画 日本の歴史シリーズがたまらなく好きであった。
特に後者の絵のタッチにたまらなく魅了されていた。
家でゴロゴロしながらヒマがあれば手に取り、ちょっとした雑学を自分の中に知らず知らずのうちに蓄え、知的好奇心を満たしていたのだ。


中学生のときに新しい大きな図書館ができた。
本当に嬉しかった。図書館であれば寄り道しても先生にも怒られないだろうという計算のもと、中学生の間、帰り道で足繁く寄っていった。
同級生は不思議なくらいこの新しい図書館に興味がなく、私1人だけがえらいような、かしこくなったような、そんな特別感をもたせてくれるところもよかった。
できたてほやほやの図書館のまっさらな本と、まっさな空間がとっても気持ちよく心地よく。消毒のようなどこか冷たい、しんとした匂いを今でも思い出せる。
あれも確かに至福だった。
その頃は洋楽と洋画に夢中になっていたので、借りるのはその周辺の本が多くなっていた。
伝記や自伝が好きで、映画関係ではフレッド・アステアやダリル・F・ザナック、ビリー・ワイルダーなどの伝記本を読んでいた記憶がある。
分厚ければ分厚い程燃えて、熱心に読んでいた。
また、淀川長治・蓮實重彦・山田宏一「映画千夜一夜」に出会ったのもこの頃。この本は私のバイブルになり、その後のある種、指針にもなった。
すぐ自分でも買い直し、何度も何度もボロボロになるまで読み込んだ。

とにかくあれやこれやと興味も広がり、読みたい本が多すぎるのに中学生はお金がない。学校の通学道に大きくてきれいな図書館があるのは本当にありがたいことで、福音館古典童話シリーズのような豪華な函入り本は高くて買えなかったため、こぞって借りていった。
中でもジュール・ベルヌの「海底2万海里」は大判で原著の木版画をたくさん見ることができて、その小説世界と相まって夢のような体験ができた。

さてさて。
そんな子ども時代を経て、年齢だけは立派な中年となり、現在。
本を買う手が止まらない。
kindle本をポチポチする指が止まらない。
レコードやCDを血眼になって探して買い漁った日々、洋服に熱を上げる日々などを経て、なぜか今一番欲しいものは、本という、子ども時分と同じ状態に戻ってきた。
読んでるしりから面白そうな本が目に入り、唯一の贅沢じゃいと、心の赴くまま次から次へと手を出しては、読み切らないままのものが多くなり。
これではいけないと、Notionに本棚リストを作り、買ったもの、今読んでいるもの、読み終わったもの、などを可視化して自らを焦らすようにしているのだが。
しかし視覚化すると、これがまた非常に目にも楽しく、逆にもっと並べたくなっちゃったりして。
もうアホが止まらない。

を
このリストによると、今読みかけの本は38冊あるらしい。
漏れてるものもたくさんあると思うので、それ以上あるだろう。
そしてまだ手をつけていない真正 ”積ん読本” の数は…数えたくない。
そんな状態なのに、私はまた街へでるたび、本屋に向かってしまう。
一番最近買ったのは「積ん読の本」石井千湖

だから積ん読で悩んでるんやないのか。
なんで増やすねん。
だけどこの本を読んで、なんだか自分の、本にまつわる話を書きたくなったのだ。
本単独も魅力的だが、本周りの人間のあれこれも同じくらいオモロイ。
なんと前回書いた柴崎友香さんもフューチャーされていて、うれしかった。
角田光代さんのページも楽しみだ。
積み上げられ、または本棚にキレイに収められたおびただしい量の本と、その本の群れにおびやかされつつある人間たちの話。
休日の午前中、コメダ珈琲という現代の純喫茶に向かい、小窓から朝陽をあびつつ、この哀しくも愉快な、ひとの積ん読人生劇場の様子を微笑ましく読んで、束の間の至福を味わった。
そうか。
私が読んでない本だらけなのに本屋に向かうのをやめられず、いまだに本を読み続ける理由。
それは、子どもの時の、あの至福をもう一度味わいたいからなんだ。
きっとそうだ。
本を読むたび、この世の至福は続く。
だから遠慮なく積んでこ?(私)
