"SaaSの死"を越えたセールスフォース:AI時代、大学にマーケ・CRMは広がるか?
2026年8月26日、米セールスフォースが通期の売上高・利益見通しを上方修正し、あわせてAI企業アンソロピックとの提携拡大を発表しました。「クロードフォース」と名付けられた取り組みで、AIモデル「クロード」をセールスフォースのプラットフォームに統合し、業務全般でAIエージェントを動かす。株価は時間外で14%上昇。5〜7月期の売上高は前年比11%増の113億5,000万ドルでした。
米セールスフォース、通期見通し上方修正 アンソロピックと提携拡大
https://jp.reuters.com/economy/KFHJMCJ4RVNMVIRHJKLNFC56JY-2026-08-26/
数字だけ見れば「好決算」の一言ですが、この結果を教育機関の立場から考えてみます。
「SaaSの死」を招いた張本人
2026年1月、アンソロピックが「Claude Cowork」を公開しました。非エンジニアでも「言葉」で指示すれば業務アプリを作れる。これが「AIがSaaSに取って代わる」という思惑を一気に広げ、SaaS関連株が世界的に売られる、いわゆる「アンソロピック・ショック」を引き起こしました。もともと2024年頃から囁かれていた「SaaSの死」論が現実味を帯び、その影響を最も受けた銘柄の一つがセールスフォースでした。
そのセールスフォースが、8月26日、「SaaSの死」を招いた当のアンソロピックと提携を拡大して株価を急伸させた。驚きな結果ですが、市場は「AI時代でも顧客基盤を持つソフトウェアは生き残る。むしろAIで伸びる」と判断されたわけです。
セールスフォースはなぜ生き延びられた?
私はセールフォースが生き延びられた理由は3つあると考えています。
第一に、生成AIにはデータベースの機能がほとんどない。誰が、いつ、何に反応し、どこで離脱したか。顧客情報のデータベースはAIが最も苦手とする領域です。AIは「考える」のは得意でも「覚えておく」のは得意ではない。
第二に、セールスフォース並みの複雑なシステムを内製するのは、非現実的です。「AIで業務アプリが作れる」のと「全社の顧客基盤を、権限管理やセキュリティ込みで長期的に運用できる」のは、まったく別の話です。
第三に、これが本質ですが、AIは顧客基盤の代替ではなく、顧客基盤の"頭脳"なのだと思います。蓄積されたデータをAIが読み、次の一手を提案し、実行する。データという「胴体」があって初めて、AIという「頭脳」が働く。今回の提携は、その関係が実際にそうだったということを示していると感じています。
長くなりましたが、ここからが今日の本題。
米国の大学ではセールスフォースが当たり前
日本の大学ではまだマイナーかもしれませんが、米国の大学では、セールスフォースは学生管理のデファクトスタンダードに近い存在です。スタンフォード、南カリフォルニア大学、パデュー、ミシガン州立、ペンシルベニア大学、ノートルダム…どこかで聞いたことのある有名大学の多くが導入しています。
実は、大学にとって、受験生は「見込み客」、在学生は「顧客」、卒業生は「ロイヤルカスタマー」です。民間企業がCRM(顧客関係管理)で磨いてきた方法は、そのまま大学にも当てはめることができます。
具体的に、何をしているのか。
例えば、よく例に出るのはアリゾナ州立大学(ASU)です。全米の大学入学者数が1.1%減少した2022年秋、ASUの入学者は146,804人と、前年比9.3%増えました。
何をしたか。志願者の興味・関心のデータを統合し、一人ひとりに合わせた発信をしました。医学志望の受験生にはアルツハイマー研究で賞を取った教授の話を、工学部の学生には宇宙産業のキャリアフェアの案内を。
マス向けのパンフレットではなく、一人ひとりに合わせたパーソナライズした発信。さらに在学生のデータ分析で、退学リスクの高い学生を早期に見つけて介入し、初年次の残留率を1.3ポイント改善したと報告されています。
また、インディアナ大学では、セールスフォース導入後にパーソナライズしたメールの本数が3倍になり、出願者から入学者への転換率が7%上がったという事例もあります。
セールスフォースには「Education Cloud」という教育機関専用の製品まであり、募集・入試、教学運営、学生支援、学費、寄付・同窓会と、大学運営の一連の流れをカバーしています。
教育機関にもマーケティング・CRMは効く
私はベネッセ時代、進研ゼミという巨大な教育マーケティング・CRMビジネスに携わっていました。そして今、大学の経営側にいます。その目で見ると、教育機関の経営は、思った以上にマーケティング・CRMの論理が有効だなと感じています。
学生募集は、マーケティングに左右される要素がとても大きいです。 教育の質が同じでも、届け方で入学者数は変わります。そして入学後の満足度向上と中退防止は、学生の状況をいかにタイムリーに把握し、大学のサービスに活かせるかで決まる。
出席が減り始めた、成績が落ちた、相談窓口に来た…ようはよくないシグナルを見逃さず、手を打てるか。これは民間企業でのCRMの考え方と同じです。
私の勤務先でも2022年からセールスフォースを導入しています。今では募集広報から在学生の修学支援・生活支援まで、幅広い場面でデータを活用する基盤になっています。
日本の教育機関にも広がるのか:答えはイエス
では日本でも伸びるのか。私の答えはイエスです。理由は3つあります。
① IRの要請。 日本の大学には今、IR(Institutional Research)、経営や教学のさまざまな数値を管理し、PDCAを回すことが求められています。そのためには、学生情報がデータベースに入っているだけでは足りません。必要なのは、柔軟かつタイムリーに分析して、対策を打ち、その結果をまた見る、という循環です。これにフィットする既製のツールは実は多くなく、セールスフォースは有力な候補になります。
② 新しい評価制度の追い風。 先日の記事で書いた、2030年度開始予定の新しい認証評価制度は、学部ごとに「学生をどれだけ成長させたか」を星で評価する仕組みです。学修成果を測定し、データで示す。これは、まさにCRM的なデータ基盤なしには対応できない要請です。大学がデータドリブンになっていなければ対応が難しい。
③ 用途の広さ。 寄付金の管理、研究支援、同窓会。募集以外にも使い道が広く、定員割れが常態化する時代に「学生を集め、続けさせ、卒業後もつながる」という一連の流れをひとつの基盤で回せる価値は大きい。
ただし、挫折する大学も多い
いいところばかりではありません。欠点も挙げておきます。最大の欠点は「初見殺し」とも言われる、その複雑さです。見慣れない用語やUI、クセのあるデータ登録・管理方法等。実際、セールスフォースの導入に挫折した学校の話は、私もときどき耳にします。
セールスフォースの活用には一定のITリテラシーとAIリテラシーが要ります。データをどう設計するか、権限や公開範囲をどう設定するか、誰が運用を担うか。ベンダーに丸投げした導入は、たいてい失敗に終わります。他のITシステムと同じですね。一般に学校の教職員のITスキルは高くなく、ここが最大の障壁になるでしょう。
学校も「IT・AIは分かりません」では済まない
教育機関も「IT・AIは分かりません」では済まない時代に突入しています。データを持たない大学は、募集でも、評価でも、これから確実に不利になる。セールスフォースを入れるかどうかに関わらず、データで学生と向き合う基盤を持つかどうかは、もう選択の余地がない問いだと思います。
冒頭の話に戻れば、AIはセールスフォースを殺しませんでした。データの胴体があるところに、AIの頭脳が乗った。大学も同じです。AIで何かしたいなら、まず胴体を作ること。そして、頭脳を実装する。それが正しい順番なのだと、今回のセールスフォースのニュースを見て感じました。

