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平和を守るのは、第三者のまなざし|目を逸らさない覚悟

8月15日。今日は終戦の日。
そして、終戦から80年。節目の年だ。

戦争の記憶は当事者だけのものではない。
第三者の目によっても形作られていく。


先日、ロンドンで原爆をテーマにしたデジタルアート
「I Saw the World End」が上映された。
原爆投下の瞬間や、人類の歴史、国際社会に与えた影響を描いた作品だ。

人々が足を止め、画面を見つめる。
当事者国である日本とは違う温度感で、
しかし、敬意をもって、伝え、受け止めていた。

この光景を見て思った。
これが「第三者だからできる向き合い方」なのではないか、と。

戦争や紛争において、私たちは常に「第三者」の立場にある。
ウクライナ戦争、パレスチナ問題、アフリカの内戦——

世界で起きている多くの悲劇に
私たちは直接関わっている実感はない。

しかし、その距離感は
戦争を助長する力にも、平和を支える力にもなりうる。

第三者が平和の担い手になるには、三つの条件が必要だ。

まず、温度差の自覚

当事者ほど感情的にならない一方で
無関心や軽視にならない距離感を保つこと。

イギリスの街頭で流れたデジタルアートは
決して軽んじることなく、事実を伝えていた。

次に、多様な情報源と視点

片側だけの物語に偏らない努力。
複数の当事者、時代背景を合わせて見ること。

ロンドンの街頭で、イギリス人、日本人、
そして様々な国の人々が同じ映像を見つめていた。

それぞれの立場から、それぞれの解釈と感情で。

そして最後に、関わり続ける覚悟

見た、知っただけで終わらず、
自分の中に持ち帰って発信や行動に落とすこと。

イギリスの街頭で足を止めた人々は、その後のインタビューで、
戦争の悲劇を繰り返さないこと、
映像を見て感じたものを持ち帰ることを語っていた。
第三者の視点から、新たな対話を生み出そうとしていた。


私たちは世界唯一の被爆国の国民であり
今や多くの地域で発生している
紛争、内戦、人道危機において
第三者である。

その立場を
無関心の免罪符にするか。
平和を支える力にするか。
私たちは、どちらを選ぶのか。

終戦の日。
80年前の被爆国の当事者として、
現在の戦争や紛争の第三者として、
できることを考えてみよう。

戦争は、当事者だけでは防げない。
だからこそ、第三者が決して目をそらさない覚悟を。

ロンドンの街角で、
原爆の映像を見つめる人々の姿は、
平和への希望だった。

第三者のまなざしが、世界を変える力になると、
私たちは忘れてはいけない。


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