ルイ・ヴィトンと僕の道程
僕が今使っている財布は、ルイ・ヴィトンである。自分で買ったものではない。おかんの形見だ。
今年はおかんの十三回忌になる。
おかんが残したヴィトンの財布を、僕はその間ずっと使ってきた。角には多少の使用感があるが、今のところ壊れる気配もない。しゃんと背筋を伸ばした年齢不詳のまま、今日も現役である。
こう書くと、おかんの形見を大切に使い続ける、なかなかいい話に聞こえるだろう。

ところで僕は、ルイ・ヴィトンの店に入ったことがない。ヴィトンを十二年以上使い倒している男が、未だヴィトン童貞である。
しかも今、このエッセイを書くために「LOUIS VUITTON」のスペルを検索した。十二年以上も連れ添っていて、それである。
「ヴィトン」でいいのか、「VUITTON」と書くべきか、洒落た人たちのように「LV」と略すべきなのか。
……やめておこう。ヴィトンでいく。
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そんなヴィトン童貞が、先日、表参道を歩いていた。
通りには高級ブランドの店がずらりと並んでいる。街路樹の向こうには、ガラスと石でできた店が整然と鎮座し、ショーウインドウの中ではバッグや靴が、美術館の展示品みたいに余白を与えられている。一方、僕の財布の中ではレシートと診察券がぎゅうぎゅうに肩を寄せ合って暮らしている。
そんな景色の中を、僕は半袖・短パンで歩いていた。
表参道に来たからといって、気温までおしゃれになりゃしない。むしろ、こんな日に長ズボンを履いて歩いている人たちのほうが、よほど不自然である。
額にじっとりとテカる汗を拭いながら歩いていると、その先に見慣れた柄が現れた。
ルイ・ヴィトンである。
買いたいものはない。ただ、一度くらい総本山へ入ってみたい。十二年以上もヴィトンを愛用しているのだから、それくらい許されてもいいだろう。
ところが重厚な扉の前には、ピシッとした格好の男が立っている。近づけば、おそらく「お客様、ずいぶん涼しげなお召し物で」と言われそうだ。
視線を落とすと膝小僧が二つ、つるんと元気よく表参道の空気を吸っていた。表参道のヴィトンに、ドレスコードはあるのだろうか。
だが、僕にも切り札がある。
ヴィトンの財布である。
これを見せれば、少なくとも「本日は、ずいぶん開放的な装いでいらっしゃいますね」とは言われまい。僕は財布を手に持ち、ヴィトンの入口へ向かおうとした。
ヴィトンの財布を手に持ち、ヴィトンへ入ろうとする童貞。
……うん。あまりにも「ヴィトン持ってますよ」感が強い。恥ずかしい。穴があったら入りたい。……ヴィトンには入れんのに。
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どうにかして、もっと自然にヴィトンを持っていることを伝えられないだろうか。
そんなことを考えながら少し歩くと、透明のトートバッグが目に入った。表参道の煌びやかな景色の中で、僕はついに見つけた。救世主はサンキューマートである。
三百九十円の透明バッグに財布を入れておけば、中のモノグラムが勝手に自己紹介してくれるやんけ。
透明バッグを手に取り、鏡の前で合わせてみた。財布だけ入れるのも不自然なので、iPhoneも入れてみると少しはそれっぽく見える。
ただし、僕のiPhoneは13だ。Proですらない。鏡の中には、財布だけ育ちの良さそうな童貞がいた。
透明バッグって、こわっ。ヴィトンを見せびらかすためのスケスケが、「スマホにはそれほど金をかけていません」という情報まで丸裸に公開されるわい。
都合の良い透け感も見当たらない。結局、透明バッグはそっと棚へ戻すことにした。
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そういえば大学生の頃、当時付き合っていた彼女に、ヴィトンのバッグをプレゼントしたな。ブランドバッグの横に香水があり、その向こうには家電やお菓子まで売っていそうな、ドンキ的な店である。
使っている財布はヴィトン。バッグを買ったこともある。しかし、ヴィトンの扉はくぐったことがない。
おかんから受け継いで十二年以上。今日も財布は壊れなかった。そして、僕の道程も守られた。
さすがヴィトン。丈夫である。
さて、今回のバトンは一周まわって、僕のところへ帰ってきた。
「『る』で始まる、最後のエッセイ! バシッと決めちゃってください!!」
きんきらきんのバトンまで送っていただいた。
……最後?
一周まわって主催者へ返せば、この企画も綺麗に終わると思ったのだろう。残念ながら、僕のところには、まだバトンがたまっている。
まぁとりあえずは、きんきらきんの表参道でヴィトン童貞を守り抜いた男の話でバシッとは決めた。
バトン、確かに受け取りました。どこかにあるはずの日記さん、ありがとうございます。
……#なんのはなしですか。
