第33話 【7カ国目タンザニア】キリマンジャロ4日目(BARAFU CAMP4,673m)「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」
気づけば自分自身を真上から客観的に見ているような不思議に気持ちに包まれていた。
一方で、果てしなく続く荒野を一歩ずつ歩いている感覚が足の裏からしっかりと伝わってくる。
へその深い位置から込み上げる温かさは「独り」を強烈に感じている証拠なのだろうか。
標高4,300mの道で僕は山登りの醍醐味を感じていた—
緑のハンカチとウフルピーク
登山開始3日目の標高3,900mのBARANCO CAMPの夜。
僕は薄暗いテントの中で仰向けに寝転がりながら額に付けたヘッドライトで、両手で広げた緑色のバンダナ風のハンカチを眺めていた。
これがキリマンジャロの夜の僕のルーティンだった。
マチャメルートの入り口マチャメゲートで怪しい物売りから値切って購入したこの緑のハンカチには、キリマンジャロのイラストが白い筆字で描かれている。その頂点には筆字の白で「Uhuru Peak 5888m」と書かれている。
別に欲しかった訳ではない。ただ登山直前にタオルを持ってきていないことに気づき苦し紛れに購入したこのハンカチ。
生地は薄いし頂上は5895mなのに5888mと書いてあるし、筆文字の白字が化けて三重に見えるし正直クオリティがとても低い。
それでも、自分が登っている山の全体像を客観的に想像させてくれるこのハンカチは描かれている情報の正確さ以上に僕を虜にしていた。

緑のハンカチに描かれていたキリマンジャロを
模写してた
毎晩この山を俺は登ってるんだと考えてた
取り憑かれたように眺めていた
スマホが使えないテントの中で僕は緑のハンカチを眺めて自分が登ってきた道のりと、残された登るべき道のりをイメージする。
それをする事が不思議と自分の心を落ち着かせてくれ、孤独なテントの中で感じる不安や寂しさを紛らわせてくれていた。そして、静かな興奮を僕に与える。
これは対話だー
振り返ってみるとそう思う。薄明りのなかキリマンジャロの絵を相手に僕は対話をしていたんだと思う。
まるで、はるか昔の冒険者が宝の地図を眺めて想像を膨らませ、思いを馳せるような気持ちではないだろうか。
とにかく、その情報の粗さというか不確定さに僕の冒険心が染み渡り好奇心を刺激してくるのだ。
「5,895mの世界はどんななのだろうか...」
そう呟き、2日後には到着してるであろうウフルピークに思いを馳せてみる。
「たけ、ちょっといいか?話がある。テントの中で話そう。」
僕の妄想は突然の問いかけに断ち切られてしまった。
僕は「ハッ」と我に返り「いいよ」と外からの声に応える。
入り口の開いたテントの先から真剣な面持ちでガイドのモーガンが入ってきた。
ウフルピークまでのこと
「たけ、明日からの話をしよう。」
モーガンの真剣な面持ちに少し身構えたが、内容はこれからの計画についてだった。
モーガンはこれまで同様、必要以上の言葉を話さず淡々と説明を始めた。
「まず明日は7時に出発する。おそらく6時間以上は歩くことになる。まず前半は高度順応も兼ねて登って降りてを繰り返し11時ごろに3,950m地点で昼休憩をする。」
(え、4時間も歩いて結局50mしか登らないの?)と、内心思ったが口にも顔にも出さないようにモーガンの声に耳を傾ける。高度順応はそれほど大事なことなのだ。
「1時間〜2時間休憩したら3時間掛けて標高4,673mのBARAFU CAMPまで登る。これまでで一番高い標高だけど大丈夫か?」
モーガンは僅かに笑いながら聞いてきた。寡黙なモーガンにしては珍しい。僕の表情に何か思うことでもあったのかもしれない。
うんと答える。
モーガンは表情を戻しここからが大事だと話し始めた。
さっき笑ったのは、この前置きだったのかもしれない。
「夕方に4,673mに到着したら早めに夕食を取る。そして残るはウフルピークへの登頂アタックだ。」
僕はまだ明日の日程を消化していないのに、その言葉だけで遂に頂上まで指が掛かったような気持ちになり唾を飲み込んだ。
「知っての通り頂上。ウフルピークは5,895mだ。これは時間が掛かる。そして登った後に下りなければいけない。出発は0時だ。」
僕はネットの事前情報でその事を知っていたから、ある程度覚悟していた。しかし、実際にキリマンジャロを歩いてきたうえで、夜中に出発することを想像すると不安だった。
僕の不安などお構いなしに目の前の男は説明を続ける。
「0時に出発して7時にウフルピークに到着する。そして6時間掛けて3,100mまで下る。運が良ければ頂上でご来光が見れるはずだ。」
最後の言葉だけが僕の心を落ち着かせるように言ったのだろうという事が分かる。
「とにかく、明日から登頂アタックまでは同じ1日だと思って気持ちを準備しておいてくれ。とりあえず今日はゆっくり寝て、明日7時に出発しよう。」
そう言ってモーガンはテントを出て行った。
緑のハンカチを見あげながらの妄想とは掛け離れたリアルさが頭を駆け巡る。
元々独りだったのに、モーガンがいなくなったテント
はやけに静まりかえっていた。
この日、僕は自分でもびっくりするくらい深い眠りについたのだった。
美しい景色と巨大な岩山
8時間以上は寝ただろうか。深い眠りから僕は朝6時に目が覚めた。
ルーティンであるストレッチを終えた後歯磨きをするために外に出ると昨日からの景色とは一変していた。
晴れ渡る空が雲を照らしている。これまでも「自分は雲の上にいる」と感じさせてくる景色はたくさんあったが4日目の朝は格別だった。
おもいっきりジャンプをしたら雲の上まで届きそうな気がしたし、なんならその雲の上にだって乗れるんじゃないかていう錯覚を起こす。

変なことを言っているようだが、本当にそれくらい美しい景色だったのだ。
その気持ちのまま後ろを振り返ると昨日は霧に隠れて全く見えなかった巨大な岩山がこちらを見下ろしていた。
どこを登るのだろうか
僕は昨日から気になっていたことがあった。
それは「明日はどこを登るのだろうか」ということである。
昨日僕がBARANCO CAMP(キャンプサイト)に到着した時には既に深い霧に包まれ周囲の状況がよく分からなかった。
しかし、快晴となった今朝は周囲がはっきりとよく見える。
目の前には綺麗な美しい雲海。振り返ると巨大な岩山。その左手には僕が昨日降りてきた道がある。
「ん?ちょっと待てよ?今日はどっちに向かって進むの?」
そう思いながら周囲を見渡すが、「これ」という感じの道が見当たらない。
そのときこちらを見下ろしている岩山の側面を沿うようにシミののような白い点と青い点が動いた。
「鳥かな?」と思って凝視してみる。
「鳥にしては動きが滑らかな気が....」
僕は気づいた。
「あ、あれ、、人じゃん。登山者じゃん。」
そのシミのような動く点は先に出発している登山者とそのガイドだった。
動く人が点に見えることがその岩山の大きさ認識させる。
そして、一見断崖のように見えるその岩山を登らなければいけないという事実を認めたくない気持ちが一瞬で僕を包むのだった。

本当に死んじゃうかもしれない
「ちょっと、待って。こんなん聞いてないよ...」
そう言葉にしながら、グリップしている左手に力を込めて右手と右足を岩を抱き抱えるように慎重に伸ばす。
視界に入らない窪みを見つけた右手に力を込めた僕は、大の字で岩にしがみつき恐怖を感じていたー
ロッククライミングみたいだ
昨夜の約束通り僕とモーガンは朝7時に出発した。
もちろん目の前に聳え立つ岩山に向かってである。
出発する頃には僕の気持ちも落ち着き今日は「あの岩山を登るんだ」と自分に言い聞かせていた。
そう思いながらスタートした割には意外と岩山に辿り着くまでは時間が掛かった。
大きさから近くに感じていたが、案外そこまでは距離があったのだ。
まぁ、それはいいとしてモーガーは相変わらず必要以上にこちらに気をかけず岩山をゆっくり登り始めた。
僕もそれについて真似するように登っていく。
案の定少し登ったあたりから様子は一変して「これ軽いロッククライミングじゃね?」という道が現れ始める。(流石に垂直に登っていくような感じではないよ)
ちょっと聞いてないよ。と思いながら僕はなんとかモーガンに着いていく。
この旅で大分克服したと思っていた「高所恐怖症」が耳元で「落ちたら死んじゃうよ」と囁いるような気がして、一瞬恐怖に包まれた。
そんな時に目の前に現れたのがKissing Rockだ。
Kissing Rock
Kissing Rockはどうやらマチャメルートの名物岩らしい。
岩山の途中で岩肌から突如丸味を帯びて飛び出している直径1m程の岩がある。
その岩が行手を挟んでおり先に進むには、右手と右足を丸味を帯びた岩の向こう側に伸ばして窪みをグリップしたあと、左手と左足を進行方向の岩場に移行しなければいけない。
そう説明してモーガンが先に手本を見せるように、左手をまず近くの窪みに引っ掛けて右手右足を向こうに伸ばしていった。
丁度大の字になり丸味を帯びた岩を抱き抱えるような体勢でモーガンは止まり僕の方をみてこう言ったのだ。
「これがKissing Rockの由来だ」
そう言って、顔の目の前にある岩にキスをして軽々と慣れた様子で向こうまで行った。
「たけ。下を見るなよ。」
向こうからモーガンが声をかけてくる。
(そう言われると見たくなる...)と思いながらその気持ちを我慢して同じように左手をグリップして右手と右足を向こう側に伸ばす。
目では確認できないが右側の窪みはすぐに見つかり、僕は大の字になり丸味を帯びた岩を抱き抱えた。
ちなみに標高は4,000mを超えている。
「うわ、岩と顔の距離近っ...」
そう思ったがなんだか唇をつける気にはなれずに、そのまま向こう岸に着地した。
渡りきった後に胸の鼓動の急激な高まりを感じた。
思い返すと今日はここまでずっとドキドキしていたような気がする。
恐怖心と生
僕は登山初心者だからかもしれないがキリマンジャロ登山では胸が終止高なっていた。
その胸の高鳴りには未知へ挑戦する興奮のようなものあるが、「死ぬかもしれない」という恐怖心も多分に含まれていた気がする。
それはなんていうか「高所だから」とかそういうものではなくて、「巨大で壮大な自然は簡単に僕を飲み込むんだ」という到底敵わないと思う相手への「畏怖の念」みたいな感じだと思う。
ちなみに僕は富士山に登った時にはこの感覚はあまりなかった。
なぜだろう?
おそらく答えはシンプルで、人の多さにある。
僕が登った富士山はとにかく人でごった返し、山小屋に入れば何かを購入することを要求され、頂上では身動きが取れないほどの人がいた。
要するに「自分以外の人の生」を感じるあまり、特別に「自分自身の生」を感じることが難しかったのだろう。
しかし、僕が挑んでいる4月上旬のキリマンジャロは超(長)雨季のオフシーズンである。
他にも登山者はいるがその数は圧倒的に少なく、時間のズレやルートの違いにより同じタイミングで同じ道を進んでいる人を見かけることはほぼ無かった。
一緒にいるガイドも必要以上に言葉を発さないため、僕は全身でキリマンジャロの壮大な自然を享受できていた。
それはそのままキリマンジャロという自然の険しさを感じることなんだけど、誰にも邪魔されずに没頭している状況は「僕は生きているんだ」という実感の輪郭を光らせるのだ。
もちろんその影には「死」というものが背中合わせでいる。
まー、何が言いたいかというと僕はキリマンジャロの自然に畏怖し、「死」を影にした「生」の光を強く感じていたということだ。



独りきりの荒野
「この果てに何があるのか—」
確かに目の前にはガイドのモーガンが歩いている。
しかしその存在は消え、世界には、僕独りだけが存在し、終わりのない荒野を歩いているような気がしていた—
4,673mに向け出発

岩山を登り切ったあと、極端なアップダウンと緩やかなアップダウンを繰り返し4時間で目標としていた3,950mのチェックポイントに辿りついた。


ここで昼食を含めた長い休憩を取った後、今日の目的地である4,673mのBARAFU CAMPに向けて歩き始めた。
午前の快晴とは打って変わって霧が僕らを追いかけてくる。
気がついたらあっという間に霧に取り囲まれ半径2m以上先の視界が奪われる。

道には誰かが適当に転がした無数のサイコロのように大小まばらな岩が散らばっている。僕らはその間の無数の砂利道を噛み締めるように登っていく。
どれくらいそんな道を歩いただろうか。
やがて霧が晴れたころ目の前の景色は一変していたー
白い轍
「月面」「荒野」「荒涼地帯」「禿げた砂漠」「滅びた世界」...
一変した景色を一言で表す言葉を探してみたが良い言葉が見つからない。
とにかく目の前には映画でしかみたことがないような、無機質な巨大な世界が広がっていた。
まるで気を抜いたら空に向かって真っ逆さまに落ちてしまいそうなそんな景色。
「スターウォーズに出てきそうだな」
そんな風に思ったのを覚えている。
その景色はこれまでの「山を登っている」という感覚ではなく「終わりの見えない一本道を歩いている」という感じだった。
薄いセピア色を更に薄めたような巨大過ぎるその地面を幅の広い谷に見立てて、霧を被った低い岩山が所々に聳え立つ。
地面の中心に出来た白い轍は時折岩山の端を登りさらにその先のセピア色の地面へと続いていた。
モーガンは何も言わずにその白い轍の上をトボトボと歩く。僕もただひたすらにその後ろを死んだように歩きながらついて行った。
幸せな孤独感
キリマンジャロを歩いていると"ある感覚"がおかしくなってくる。
それは「距離感」だ。
目の前に見える壮大な景色は歩けど歩けど一向に近づいてこない。
近づいてこないだけでなく周囲の景色も変わらない。
自分の歩いた体感距離と実際に進んだ距離に大きな開きが生まれる。
毎晩見ている50cm角の緑のハンカチの中にすっぽりと収まったキリマンジャロ。その中は実際に入ってみると僕という存在は「外皮のシミ」にすらなれないサイズなのだ。これもまた自然への畏怖を感じさせる。
正確さを失った距離感は次に時間感覚をも奪っていく。気づいた時にはセピア色の大地を永久に歩かされているような気持ちになっていた。
午前中に岩山を登ったことやさっきまで霧に包まれていたこと。そして、このセピア色の大地に足を踏み込んだこと。そのどれもが今日のことなのにまるで昨日のこと、いやもっと前のことのように遠ざかっていく。
そして僕は、セピア色の大地が永遠に続いてしまうようなそんな感覚に包まれていた。
途方の無さは思考から余計なものを削ぎ落とし、僕を「無心」の状態へと誘う。
やがてその「無心さ」は僕を空に飛ばすのだ。しかし、「歩いている」ということを"忘れさせないために"なのか分厚いトレッキングシューズの靴底が砂利道を踏み締める感覚だけが同時に妙に鋭くなった。
「ジャリ、ジャリ、ジャリ..,」
空から自分の背中を見下ろす僕は"独りで「ジャリッ」という足音"を聴いていた。
その音は壮大な大地でちっぽけなはずの僕の存在を確実なものにしている。
不思議な感覚だった。
地面を歩いている僕もそれを空から見ている僕も僕なのだ。"僕ら"はセピア色の大地に刻まれ白く伸びた轍だけを手掛かりに進んでいく。
そのことが「独りだけど孤独ではない」という暖かさを僕の内面に充足させていた。
おそらく僕は「夢中」になってたんだと思う。そしてそれこそが「山登りの醍醐味」なんだと思った。
「この永遠が続けば良いな」
そんな幸せな感覚に身を包んで進むー
しかし、永遠とは続かないものである。
突如緩やかに伸びる岩山が目の前に現れた。
「たけ。これを登ったら今日は終わりだ。」モーガンがいつもの調子で話しかけてくる。
僕は返事をせずに無感情に岩山を見上げてみた。
どうやら「距離も時間も」僕が感じるよりもはるか先に進んでいたらしい。
僕はセピア色の大地に名残惜しさを抱えながら、最後の力を振り絞って目の前の岩山を登って行ったー



いくつかのテントが建てられてた
