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❸低学年と中学年以降で何を変えるべきか? 発達段階が示す見解は…

道徳授業の構造を考える「これからの道徳授業の在り方」とは…第3回

前回の第2回では、
「情緒偏重のままでよいのか」
「子どもの感想のズレは本当に個性と言えるのか」
という批判に対し、
教育心理学の視点から応答しました。

情緒や個性を大切にしたいという願いの本質は守りながらも、それが認知の構造を無視すると機能不全を起こすことを明らかにしてきました。

しかし、ここで一つの大きな疑問が残ります。

「では、従来型の道徳授業は一切不要で、すべて有害なものなのだろうか?」

結論から言えば、それは違います。

実は、従来型と考察探究型は、どちらか一方が「絶対的な正解」で、もう一方が「完全な間違い」という関係ではありません。

その境界線を美しく解き明かしてくれる鍵が、子どもたちの「発達段階」です。
今回は、発達心理学の知見をベースに、両者の真の役割分担に迫ります。

低学年における「心情推測型」の授業には、道徳教育上、極めて重要な役割があります。

発達心理学の共感発達論や役割取得理論(ピアジェ、コールバーグ、ホフマン、ロバート・セルマンなど)の視点に立つと、小学校低学年頃までの子どもたちの認知特性には明確な特徴があります。
 
この時期の子どもたちは、他者の複雑な立場を客観的に解剖する能力が発達途上にあり、抽象的な道徳的価値(「公正」「責任」「公共心」など)を言語や論理の構造として理解することは困難です。
 
だからこそ、この時期の最優先課題は、「自分とは異なる他者の心(感情)が存在することを体感し、その立場に身を置く(役割取得能力・共感性の素地)」ことになります。
 
主人公になりきって「どんな気持ちだったか」を想像し、自分の生活体験と照らし合わせる従来の授業アプローチは、子どもの自己中心性を脱却させ、共感の土台(Empathy Base)を育む上で非常に大きな価値を発揮します。
 
つまり、「低学年での心情型授業の成功(共感の土台形成)」こそが、高学年で「考察探究型」という高次の思考領域へとステップアップするための不可欠な準備(補助線)となっていたのです。

小学校低学年までの子どもたちに必要な「情緒の土台」

そのため、低学年の子どもたちにとっては、次のようなアプローチが道徳の出発点として不可欠になります。

「主人公が悲しんでいるから、自分も悲しい(情緒的共感)」
「先生が褒めてくれたから、良いことなんだ」
「自分の経験や身近な気持ちを通じた実感」

つまり、低学年の段階では、従来型(心情型・体得型)の授業アプローチこそが最適解であり、むしろ不可欠な基盤なのです。

この時期に「早く抽象的な価値の構造を考察させよう」としても、子どもたちの認知発達に合わず、かえって道徳嫌いを生む原因になってしまいます。

従来型の「自我の早期活性化」や「感情移入」は、この発達段階においては正当な教育的意味を持っています。

中学年以降に訪れる、認知の劇的な転換

子どもたちが小学校中学年(およそ3年生から4年生以降)へと進級するにつれて、脳の認知機能は劇的な進化を遂げます。

抽象的思考が発達し、
他者の視点を多面的に捉え、
「ルールや条件の裏側にある意味」を論理的に考察できる
ようになるのです。

心理学で言う「脱中心化(自己中心性からの脱却)」が本格的に始まる時期です。

この発達段階を迎えた子どもたちに対し、いつまでも低学年と同じような、
「あなたならどうする?」
「主人公はどんな気持ちだったでしょう?」
「自分の経験を書きましょう」
という
情緒と自我を最優先にする従来型のアプローチをそのまま引きずってしまうと、どうなるでしょうか。

ここで、前々回で触れた「認知のバグ」が牙を剥きます。

すでに客観的な価値を考察できる脳に育っているにもかかわらず、あえて「自我(自分の気分や好き嫌い)」を早期に発動させられてしまうため、子どもたちの脳は「未熟なスキーマへの固定化」や「自己防衛的推論」に陥ります。

結果として、思考が深まらず、感想がねらいの価値からズレていくという現象が、中学年以降の教室で慢性化することになるのです。

発達に応じた「グラデーション」の必要性

こうして発達心理学のレンズを通して見つめ直すと、従来型と考察探究型の対立は、次のように整理されます。

低学年(認知の基盤づくり期)

・ 適したアプローチ: 従来型(心情型・体得型)
理由: 情緒的共感や個別具体的な経験が、道徳性の土台(ハートの育成)として絶対不可欠だから。

中学年以降(認知の高度化・構造化期)

適したアプローチ: 考察探究型(価値理解先行モデル)
理由: 抽象的な価値の構造を理解し、認知的道徳判断を下す能力が育っているため。「価値の考察が先、自我の探究が後」の構造が必要になるから。

従来型を否定する必要は全くありません。

従来型は「低学年における情緒の基礎を育てるための必須アプローチ」であり、そこからさらに子どもたちの認知を発展させるために、中学年以降は「考察探究型へとシフトしていく」という発達に応じた連続性こそが重要だったのです。

これは、現場で授業を実践する先生方が、
・4年生くらいになると、心情型の授業には食いつかなくなるな…
・3年生までは、たくさんの発言があったのに、変だな…
・しらけた感じで授業に臨む子どもが増えてきたな…
という、日々感じ取っていた実感に近いのではないでしょうか?

先生方のそうした感覚は正しかったのです。
そして、先生方の「授業の腕前」とは関係がなかったのです。

これまで、先生方は、4年生以降に訪れる子どもたちの授業への反応の変化に戸惑い、たくさんの工夫をされてきたと思います。

・登場人物の状況にリアルに近づけたら良いのではないか?
・「自分ならどうする?」と、判断を迫ると良いのではないか?
・自分の立場を表明させて、討論的な活動にすれば、よいのではないか?

しかし、このような取り組みは、一時的な活性化を促しますが、
授業構造上は、「自我関与先行モデル」の特徴を強化することになり、
・ねらいから逸れた発言や感想の増加
・自分の意見を変えない児童の出現
・建前と本音を使い分けて、お利口に振舞う児童の増加
などの問題を引き起こしてしまっていたのです。

その根本には、
発達段階に対する授業方法の齟齬
という、授業方法使い分けのエラーが隠れていたのです。

次回予告:なぜ「教科」として考察探究型が優位なのか?

「低学年は従来型、高学年は考察探究型」という発達に応じた使い分けが見えてきました。

しかし、学校教育において道徳は「教科(特別の教科 道徳)」として位置づけられています。
学習指導要領が求める「確実な価値の理解」や「授業の体系性・再現性」を考えたとき、なぜ高学年以降において「考察探究型」が中心に据えられなければならないのか?

次回では、実際の授業データや制度的要請を武器に、考察探究型が持つ圧倒的な優位性を論理的に証明していきます。

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