Vol.6 フィードバックが刺さらない、本当の理由
「フィードバックしたんですけど、響いてないみたいで」
管理職の方から、こういう相談をよく受けます。時間をかけて準備し、言葉も選んで伝えたはずなのに、相手の行動は変わらない。むしろ、少し距離を置かれるようになった気さえする。
今日は「フィードバックが刺さらない」という現象について、25年間人事の現場で見てきたことをもとに書いてみます。
観察:正しいフィードバックが、なぜ響かないのか
以前、あるマネージャーから、部下への評価面談の内容について相談を受けたことがあります。内容を聞くと、指摘そのものは的確でした。事実に基づいていて、論理的で、改善点も明確。教科書的には、非の打ちどころのないフィードバックです。
ところが、その部下は面談後、目に見えて元気がなくなり、しばらくして「退職を考えている」と相談してきました。
何が起きていたのか。本人にそっと話を聞いてみると、こんな言葉が返ってきました。
「言っていることは正しいと思います。でも、あの人に言われると、なぜか納得できないんです」
内容は正しい。でも、届いていない。このズレこそが、フィードバックという行為の難しさを象徴しています。フィードバックは、内容の正しさだけで成立するものではないのです。
気づき:フィードバックは、関係性の上にしか成立しない
これは私が長年の人事の仕事の中で、繰り返し痛感してきたことなのですが、フィードバックの受け取られ方を決めるのは、内容の正しさよりも、それを言う人との関係性です。
同じ指摘でも、日頃から信頼している上司から言われれば「自分のために言ってくれている」と受け取れます。ですが、普段からあまり関わりのない、あるいは信頼関係が築けていない相手から言われると、同じ言葉が「評価されている」「値踏みされている」という響き方に変わってしまいます。
つまり、フィードバックの土台は、フィードバックそのものの中にはありません。フィードバックする前の、日々の関わり方の中に、その土台はすでに作られているのです。信頼残高がない状態でどれだけ的確な指摘をしても、それは「正論」として処理されるだけで、行動の変化にはつながりにくい。
もう一つ、見落とされがちなのが、フィードバックを受け取る側に生じる、心理的な防衛反応です。人は、自分の欠点や改善点を指摘されると、多かれ少なかれ「自分が否定された」という感覚を持ちます。これは自然な反応であって、受け取る側の弱さではありません。この防衛反応が強く出ているときは、どれだけ正しい内容を伝えても、相手の中には入っていきません。むしろ「反論しよう」「自分を守ろう」という思考が先に立ち、内容そのものが素通りしてしまいます。
そして、フィードバック=評価だと誤解されている場面も、非常によく見かけます。本来フィードバックは、相手の成長を支援するための行為です。ですが、評価面談などのタイミングと結びつくと、フィードバックは「査定の根拠を伝える場」に変質してしまう。こうなると、受け取る側は成長のヒントとしてではなく、自分の点数を告げられる場として身構えてしまいます。フィードバックが刺さらない理由の多くは、実はこの取り違えに起因しています。
Vol.5で、上司やリーダーが「ハラスメントと取られる恐怖」から意見を言えなくなり、言語化できないまま指摘をすると感情が先に出てしまう、という話をしました。これも、フィードバックが刺さらない大きな要因の一つです。事実と解釈を分けずに、感情のまま伝えられたフィードバックは、どれだけ的を射ていても、相手には「怒られた」という記憶しか残りません。内容ではなく、伝え方のトーンだけが記憶される。これも、フィードバックが機能しない典型的なパターンです。
気づき:フィードバックは、プレゼントである
ここまで、フィードバックが刺さらない理由を見てきましたが、そもそもフィードバックとは何なのか、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
心理学に「ジョハリの窓」という考え方があります。自分と他人の認識を、次の4つの領域に分けて捉える枠組みです。
自分も他人も知っている「開放の窓」
自分は知っているが他人は知らない「秘密の窓」
自分は知らないが他人は知っている「盲点の窓」
自分も他人も知らない「未知の窓」
この中で、フィードバックが働きかけるのは「盲点の窓」です。自分では気づいていないけれど、周りにはすでに見えている自分の特徴や行動。この領域こそが、実は最も成長の余地が眠っている場所です。自分一人でどれだけ内省しても、盲点の窓は開きません。誰かが伝えてくれない限り、そこにあることにすら気づけないのです。
そう考えると、フィードバックというのは、相手が自分では絶対に見ることのできない景色を、代わりに見て、届けてくれる行為だと言えます。私はこれを、フィードバックはプレゼントである、という言い方で捉えています。もちろん、開けてみたら中身が重かったり、耳の痛い内容だったりすることもあります。それでも、それを届けてくれる人がいるということ自体が、実はとても貴重なことです。フィードバックをもらえなくなった状態、つまり誰もあなたに何も言わなくなった状態こそが、実は一番危険なサインです。
この捉え方を持てると、フィードバックする側の姿勢も変わります。「指摘する」「評価する」という構えではなく、「相手がまだ見えていない景色を、贈る」という構えに変わる。渡し方も自然と、相手を試すような言い方ではなく、相手のためを思った言い方に近づいていきます。そして受け取る側も、「自分を否定された」ではなく「見えていなかったものを見せてもらえた」という受け止め方に近づいていきます。
気づき:なぜ日本人は、行動への指摘を人格否定と捉えてしまうのか
ここで、もう一つ触れておきたいことがあります。本来フィードバックは、あくまで「行動」を改善してもらうためのものです。ですが日本の職場では、行動への指摘が、まるで人間性そのものを否定されたかのように受け取られてしまう場面を、これまで数多く見てきました。
私は外資系企業を中心にキャリアを積んできましたが、外資系企業であっても、実際に働いているのはほとんどが日本人です。そしてこれまで見てきて感じるのは、海外出身の上司からのフィードバックは比較的すんなり受け止められるのに、同じ内容を日本人の上司から伝えられると、途端に受け取り方が変わる、という現象です。
あるチームでは、海外出身のマネージャーが、率直に、ときにはかなりストレートな言葉で行動の指摘をしていました。「この進め方は良くなかった。次はこうしてほしい」というように、驚くほど直球です。ですが、部下たちはそれを淡々と受け止め、翌週には改善された行動で応えてくる。深刻に落ち込む様子もありません。
一方、同じチーム内で、日本人のマネージャーが似た内容を、むしろ言葉を選び、かなり配慮しながら伝えた場面では、部下が数日引きずってしまうことがありました。伝え方は、日本人マネージャーの方が明らかに柔らかかったにもかかわらず、です。
なぜこの違いが生まれるのか。いくつか理由があると考えています。
一つは、行動と人格を切り分ける訓練の差です。海外では、子どもの頃から「悪いのは行動であって、あなた自身ではない」という形で叱られる経験を積む機会が比較的多くあります。一方、日本では「ちゃんとしなさい」「なんでできないの」というように、行動への指摘が人格評価と地続きで語られる場面が多く、大人になってもその回路が残りやすいのです。
もう一つは、自己の捉え方の違いです。日本的な自己は、個人単体で完結するのではなく、「その場での自分の役割」「周囲からどう見られているか」という関係性の中で成り立っている面が強くあります。すると、行動への指摘は「その場における自分の存在価値」への指摘として響きやすくなります。
そしてもう一つ、これが海外出身の上司からのフィードバックが受け止められやすい理由の一つだと感じているのですが、「外国人だから」「文化が違うから」という前提があることで、無意識に「これは人格への攻撃ではなく、文化的なコミュニケーションの違いだ」というフィルターが働きやすい、ということです。同じ言葉でも、日本人の上司から言われると、そのフィルターがなく、より直接的に自分の内面に刺さってしまう。
だからこそ、日本人同士でフィードバックを伝えるときほど、「これは行動についての話であって、あなたという人間についての話ではない」ということを、意識的に、言葉にして伝える必要があります。分かっているだろう、では伝わりません。むしろ日本人同士だからこそ、この一言を省略しないことが重要なのだと、私は感じています。
示唆:フィードバックする前に、自分に問うべきこと
フィードバックする前に、次の3つを自分に問うことをお勧めします。
1つ目。この相手との間に、フィードバックを受け止めてもらえるだけの関係性があるか。
関係性が十分でないと感じるなら、フィードバックの内容を練るより先に、日頃の関わり方を見直す方が近道です。
2つ目。相手は今、防衛反応を起こしやすい状態にないか。
忙しさや疲れ、直近の失敗など、心に余裕がないタイミングでは、どんなに正しい指摘も跳ね返されやすくなります。タイミングを選ぶことも、フィードバックの一部です。
3つ目。これは評価を伝えているのか、成長を支援しているのか。自分の中で目的がすり替わっていないか。
評価の話をしながら成長支援のつもりになっていないか、逆に成長支援のつもりが査定の押しつけになっていないか。伝える前に、自分の目的を一度確認してみてください。
4つ目。「これは行動についての話であって、あなたという人間についての話ではない」ということを、言葉にして伝えているか。
日本人同士のフィードバックほど、この一言を省略しないことが大切です。分かっているだろう、という前提を置かず、あえて言葉にすることで、相手が人格否定として受け取るリスクを減らせます。
最後に、実際に伝えるときの「順番」についても触れておきます。同じ内容でも、伝える順番次第で、受け取られ方は大きく変わります。私が意識しているのは、次のような流れです。
事実を伝える。 「先週の会議で、資料に誤りがあった」など、誰が見ても同じ事実として確認できることから始めます。ここに解釈や感情を混ぜないことが重要です。
その事実が与えた影響を伝える。 「そのせいで、先方への説明を訂正する必要が出た」など、事実がもたらした具体的な結果を伝えます。ここまでは、まだ相手を評価する言葉は出てきません。
相手の見方を聞く。 「その時、どういう状況だったか教えてもらえますか」「その時、あなたはどう思っていましたか」と、こちらから一方的に決めつけず、相手の解釈や心情を聞く時間を取ります。盲点の窓は、一方通行では開きません。
今後についての提案を、一緒に考える。 「それを踏まえて、次はどうしたらよさそうですか」と、答えをこちらから与えるのではなく、相手自身に考えさせる問いを投げます。過去の指摘で終わらせず、未来に向けた行動を、一緒に組み立てていきます。
3と4は、いわゆるコーチングの手法に近い問いかけです。フィードバックというと、つい「指示する」「正解を教える」という姿勢になりがちですが、ここで大切なのは、答えを与えることではなく、考えさせることです。「あなたはどう思ったか」「それを踏まえて、どうしたらいいと思うか」と問いかけることで、相手は指示された側ではなく、一緒に答えを作った側になります。フィードバックが「指示」ではなく「一緒に考える」という姿勢で行われるとき、そこには自然と、良い関係性が生まれていきます。そしてこの関係性こそが、次のフィードバックを受け止めてもらうための土台にもなっていく。フィードバックと関係性は、この順番セクションでも、実はぐるりとつながっているのです。
事実→影響→相手の見方→今後、という順番を意識するだけで、フィードバックは「一方的な指摘」から「一緒に考える対話」に近づいていきます。プレゼントは、渡し方一つで、受け取る側の印象が大きく変わるものです。
新社会人の方にとっても、これは知っておいてほしい視点です。フィードバックを受けたときに「否定された」と感じるのは、ごく自然な反応です。ですが、その防衛反応に気づけるようになると、内容そのものを冷静に受け止められるようになります。「これは自分を否定する言葉ではなく、成長のためのヒントだ」と、一度立ち止まって捉え直してみること。これも、社会人としての基礎体力の一つだと思います。
フィードバックが刺さるかどうかは、話し方の技術だけの問題ではありません。日頃の関係性、相手の状態、そして自分自身の目的。この3つが揃って、初めて言葉は届きます。
50代はアップデートの時間。
次回Vol.7では、「1on1が『報告会』になっていないか」について書く予定です。
