#0_「ようこそ、火傷する場所へ。」
突然ですが、あなたに聞きます。
ボクシングの入場曲で、鳥肌が立ったことがありますか。
相撲の立ち合い前の「間」で、息をのんだことがありますか。
箏(こと)の音色が、なぜか胸にトゲのように刺さって、翌日もその揺らぎが頭から離れなかったことがありますか。
地元のお祭りが、今年もひっそりと規模を縮小したとき、胸の奥がざわついたことがありますか。
もしあるなら——ここは、あなたの場所です。
このnoteは、こんな場所です
「すごかった!」で終わらない場所です。
「なぜ、これほどまでに心が動いたのか?」という問いを、独自の「文化構造論」という眼鏡を通して、しつこく解剖し続ける場所です。
ボクシングを文明論として語り、相撲を人生論として語り、地方の文化イベントを構造論として語り、邦楽を記憶論として語ります。傍から見ると、かなり面倒な人間がいる場所です。でも本人は、だいたい真面目です。だいたい。
難しいことを言っているようで、やっていることは単純です。
好きなものを、好きだと言い続けているだけです。
特に、相撲は別腹です
あれはスポーツでもあり、伝統でもあり、人生でもあり、ときどきコントでもあります。
150キロ級の大男たちが本気でぶつかり合っているのに、所作はやたら美しい。土俵という小さな円の中に、日本のすべてが詰まっている気がして、見るたびに構造的な好奇心を刺激されます。
かつて貴乃花に憧れすぎて、「自分は貴乃花になれるのか」と本気で考えた時期がありました。なれませんでした。物理的に、圧倒的に体重が足りませんでした。
ボクシングを、深く愛しています
井上尚弥の試合を、東京ドームで生観戦しました。
あの夜のことは、たぶん死ぬまで忘れません。
お金を払って、足を運んで、鼓膜を震わせて、記憶に刻む。あれが文化の「尊厳」だと思っています。そして、それを「火傷(やけど)」と呼んでいます。
分からなかったから、忘れられなかった。
理解を超えた揺らぎに、離れられなくなった。
そういう体験を、このnoteでは丁寧に扱いたいと思っています。
音楽と、文化の現場に、敬意を
邦楽(日本の伝統音楽)の、あの割り切れない音階が好きです。最初に聴いたとき、脳が拒絶するような、でも抗えないような不思議な不協和音に襲われました。それが私にとっての最初の「火傷」でした。
ライブハウスのドアを開けた瞬間の、腹に響く「ドン」という衝撃も好きです。音楽が人を「ただの人間」に戻す瞬間。
「人が本気になる場所」には、だいたい文化があります。そしてその文化が、静かに死んでいく瞬間も、私はプロの現場でたくさん見てきました。
愛するものが、壊れていくのを見てきました
来場者数は増えているのに、何かが失われていく感覚。
「わかりやすくしよう」「無料にしよう」と言いながら、骨抜きにされていく現場。カップラーメンみたいに、どこでも同じ味が量産されていく文化事業。
愛するものが、表層の情報だけで消費され、壊れていくのを黙って見ていられなかった。だから、言葉にすることにしました。
このnoteはその記録です。怒りの記録であり、愛の記録でもあります。
こんな人に来てほしいです
何かに本気で「火傷」したことがある人。
地域の文化が、安売りされることに違和感がある人。
ボクシングや相撲の「構造」を知りたい人。
読み終わった後、頭から離れない「何か」を求めている人。
たぶん、話が合います。
火傷した人だけが、もう一度来ます。そして気づいたら、ひいきの力士や作家、演奏家が、あなたの心の中に住み着いているはずです。
最後に
このnote、最初は5行しか書けませんでした。
「アートがある生活はいいもんですね」と書くのが精一杯だった男が、今、30本を超えて言葉を紡いでいます。読んでくれる人がいるから、この厨房の火を絶やさずにいられます。
相撲、ボクシング、邦楽、地域の文化。
バラバラに見えるこれらは、私の中ではすべて**「文化はどう生まれ、どう死ぬか」**という一つの構造で繋がっています。
同じ景色を見てきた人に、届けばいい。
同じものを愛している人と、カウンター越しに酒を酌み交わすように繋がれればいい。
それだけで、十分です。
ようこそ。
文化と相撲とボクシングを愛する、ちょっと熱苦しい人間の醸造所へ。
どうぞ、火傷していってください。
ハセガワゴイチ(51CHANNEL)
