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舞茸を千切っていた高校生。

「まだ舞茸、千切ってんの?」
舞茸を、千切る…?

数年ぶりに会った高校時代の友人にそう問われたわたしの頭上には、怪訝という文字がぽっかりと浮かんでいたに違いない。

「ほら、なんか嫌なことあったりしたら、舞茸食べるって言ってたやんか」
友人はどこかおかしそうに笑みをたたえて言葉を続ける。
……ああ…!
普段開けることのない箱にしまわれていたあの頃の記憶が、その一言をきっかけにひょっこり顔を出した。

ー最近わたしな、なんか嫌なことあったり気が晴れんことあったら、舞茸ぶちぶち千切ってフライパンに投げ入れて炒めて食べるねん。包丁もいらなくて手軽やし、美味しいし、チョコレートたくさん食べるより、カロリーも少なくてヘルシー!しかもお金もかからない!いい案やん?

そういえば、そんなことを友人にドヤ顔で伝えたことがあったっけ。

母が作ってくれる朝ご飯や昼のお弁当、晩御飯。それらを当たり前のように享受していた高校生だったわたし。当時言った「お金もかからない」に関していえば、もちろん炒めるためのバターや醤油、材料の舞茸、光熱費、と諸々の金額が発生している。
しかし、もともと家にあるものを使うとなれば、それはただ同然。何か頑張った際のご褒美や自身への労いをするにしても、潤沢にその資金があるわけではなかった高校生にとっては、「ただで作れる」というのは大きかった。


あくまでおやつのような感覚で晩御飯前や週末、心に充満する靄を晴らすように、えいやっえいやっと舞茸を千切る。そして、そのままフライパンに投げ入れ、炒めて食べていた。 

すっかり大人になってしまった今と比べて、十代のわたしになんて、気が進まないけどやらねばならぬことも、責任も、なんにもなかったはずだ。

悩んでいたこと、気が晴れないこと。
わたしは一体、何を考えながら舞茸を千切っていたんだろう。殆ど思いだすことができない。

舞茸を炒めただけの、この料理と称するにはあまりにも、簡易すぎる一品。
今思えば、誰かのために、ではないわたしのためだけに作った初めての一品だったように思う。

なんだか久しぶりに作りたくなり、ある週末、一人になったタイミングで昼ご飯でも晩御飯でもない時間に台所に立ってみた。

あの頃と同じように、包丁を使わずに手で、石づきからもさもさと元気よく広がる舞茸をばらした。指の腹に伝わるひんやりしっとりとした感触は、なんだか、ゆるやかな呼吸を誘った。そのまま、しっかり指にうつったきのこの香りを深く肺に入れる。ああ、きのこ。馥郁たるきのこの香りは大地の香りそのものだ、としばし恍惚とした気持ちになる。

魅惑のクリーム色を乱雑にスプーンで掬う。ぽとんと熱したフライパンの真ん中に落とし入れると、たちまち、塊はじゅんわぁと形を崩した。間髪入れず立ちのぼる、バターのうっとりするような蠱惑的な香り。この香りを好まない人なんて、古今東西存在しないのでは、なんて嗅ぐたびに思ってしまう。

先ほど千切ってお皿にこんもりと盛った舞茸をそのまま、フライパンにざんと放り込む。液体と化したバターが絡むのを見つめながら、火が通ってしんなりとかさが減ったところに醤油を回しかける。シンプルだけど、炒める時間が何より大切だ。あまり長く火にかけていると、どんどん水分やバターの香りが飛んでいってしまう。急いで火を止めて、先ほど舞茸を入れていた小皿にまた盛った。

熱々を頬張りたくて、立ったまま、箸でつまんだ。
舞茸の柔らかい繊維がほどけて、じんわり口の中を満たす。舞茸の旨味とそれらを包み込むバターと醤油の甘じょっぱさ。きのことバターというヘルシーさとハイカロリーの絶妙な組み合わせが生む満足感。うん、やっぱり美味しい。薄暗いキッチンの片隅で、一人密やかに口角を上げる。

お皿が空になりかけた頃、ふと当時のわたしの悩みの片鱗がまたたいた。
クラスの〇〇さんに良く思われていない気がする。
昼休みにやる数学小テストの再テストが嫌だ。
誰とでも楽しそうに話せる〇〇さんが羨ましい。
思い出せないだけで、他にもいろいろ些細な悩みもあったのかもしれない。

今思えば、一つ一つの悩みはささやか過ぎて笑えるようなことたちだ。

けれど当時のわたしにとっては、寝れないくらい悩むまではいかないにしろ、決して何食わぬ顔をして通り過ぎることのできないもやもやだったんだろう。心に立ち込める憂鬱なあれこれは、知らず知らずのうちに針の形になって、ちくちくと心の柔らかいところを刺してくる。
食べることでそれらを一緒に飲み込んで、多感な時期をやり過ごしていたのかもしれない。 


年齢の階段を上るにつれ、自分の力ではどうにもできない理不尽や、誰かのために踏ん張る夜に出会った。その中で、十代の頃よりもさらに濃度の濃い悩みやしんどさをいくつも抱えたわたしはちょっぴり強く、いや、痛みに鈍くなった。
自分にはどうしようもない事柄だと、一定頭を悩ませたあとは、「知らんがな」と鼻で笑うことができるようになってきたのだ。

結婚して夫と子と囲むにぎやかな食卓。
お店の、自分では作れないような華やかさや滋味深さがあるハレの日のご飯。
気のおけない友人たちと談笑しながら食べる、ハイカロリーなご飯。
たまに実家に帰って食べる、ほっと心ゆるむ母の味。

きっとわたしはこれから何度でも、何度だって愉快で記憶に刻まれる時間を重ねていく。
けれどその隙間には、当時の舞茸のバター炒めのように、一人で食べてまた前を向くようなささやかで愛おしい「食」があるのだと思う。わたしのためだけの励ましの、ご褒美の、慰めの、一人ご飯が。


#フード部門
#フードエッセイ




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