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乾くまで待つ

長野県北部の川沿いの町は、朝6時ごろ霧、気温は17度前後。湿度は92%前後で、日の出は5時26分ごろ。朝6時には明るくなり始めているけれど、川霧で家並みがやわらかくほどける朝。コインランドリーのガラス戸は、内側から白く曇っていた。

朝の六時を少し過ぎたところで、智花は乾燥機の前に立っていた。回っているのは、紺色の作業着と、タオルが三枚。それから、薄いグレーの靴下が一足。

外には霧が出ていた。道路の向こうにある川は見えない。ただ、水が流れていることだけが、低い音でわかる。橋を渡る車も、途中から姿がぼやけて、こちら側へ来るころには別の車みたいになっていた。

乾燥機の残り時間は、十三分。

智花はベンチに腰を下ろした。ビニール袋の中には、きのう職場でもらった梨がひとつ入っている。持って帰るつもりだったのに、疲れてそのまま寝てしまい、今朝になって洗濯物と一緒に車へ積んできた。

梨は冷たかった。

指でなでると、皮のざらつきがはっきりしている。まだ食べごろには少し早いかもしれない。そう思いながらも、捨てずに持っているのは、くれた人の顔を思い出すからだった。

「傷があるけど、味は同じだから」

そう言って、同じ箱から二つ選んでくれた。ひとつは昨夜食べた。包丁を入れると、中心の近くが少し茶色くなっていたけれど、甘かった。見た目よりずっと水を持っていて、噛むと口の中が静かになった。

乾燥機の中で、作業着の袖が窓に張りつき、すぐに離れた。

智花は食品工場で働いている。川沿いの道を少し下ったところにある、古い建物だ。朝番の日はまだ暗いうちに家を出る。昼番の日は帰りが遅い。どちらにしても、洗濯物はよくたまる。

昔は、乾かないことに腹を立てていた。

干しても湿る。取り込んでも冷たい。畳もうとすると、袖口だけがまだ頼りない。そういう小さなことに、いちいち気持ちを持っていかれていた。

けれど、最近は少し変わった。

乾かないものは、乾くまで待つしかない。

そう思える日が、前より増えた。

店の奥で、自動販売機が低く鳴った。誰もいないのに働いているものは、少しだけ気の毒に見える。智花は財布を出し、温かいお茶のボタンを押した。

缶を両手で包むと、指先がすぐに楽になった。

ガラス戸の外で、自転車のライトがゆっくり通った。高校生だろうか。合羽のフードをかぶって、霧の中へ消えていく。濡れているのか、ただ湿っているのか、遠目にはわからない。

智花は、自分の十七歳のころを少しだけ思い出した。

この町を出たいと思っていた。川も、霧も、冬の長さも、知っている顔ばかりのスーパーも、全部まとめて遠くへ置いていきたかった。実際、二十代の半ばに一度出た。駅の多い町で働き、部屋を借り、コンビニの明るさにずいぶん助けられた。

戻るつもりはなかった。

それなのに、今はこうして、朝のランドリーで梨をひとつ持って座っている。

戻ってきた理由を、人に説明するのはむずかしい。大きな出来事があったわけではない。誰かに呼ばれたわけでもない。ただ、ある日、知らない町の部屋で洗濯物を畳んでいるとき、窓の外に川がないことが急に心細くなった。

川なんて、見て暮らしていたころは気にもしていなかったのに。

乾燥機が止まった。

智花は扉を開け、熱を含んだ布を取り出した。作業着はすっかり軽くなっている。タオルもふかっとしていた。靴下だけは、つま先のあたりに少し湿り気が残っている。

もう一度回すほどではない。

そう判断して、袋に入れた。

外へ出ると、霧はまだ残っていた。けれど、さっきより薄い。向こう岸の家並みが、紙に描いた線みたいに見えてきている。

車のドアを開ける前に、智花はビニール袋から梨を取り出した。朝の光の中で見ると、小さな傷はそれほど目立たなかった。皮の色も、昨日より少し明るい。

職場に持っていこうと思った。

休憩室で切って、誰かと食べる。包丁はある。皿もある。たぶん、塩をかける人と、そのままがいいと言う人がいる。

智花は梨を助手席に置き、洗濯物の袋を後ろへ積んだ。

川の方から、風がほんの少し来た。

湿った風だった。でも、嫌ではなかった。

乾く途中のものには、乾く途中の手ざわりがある。

車を出すころ、霧の向こうで橋の輪郭が見え始めていた。

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