写真家との対話 ~ 写真集を見てみよう。
どなたかが言っていた「書物を通して過去の偉人と対話する」という言葉が印象に残っています。
対話と言えるほど言葉から書き手の言いたいことがくみ取れるほどの知能がないのが残念なのですが、そんな感性があればといつも思います。
今回取り上げている人については「過去の」偉人ではないと思うのですが、印刷物から学びを得ているのは間違いないし、氏も印刷物にこだわりがあるようです。
「画狂老人卍」と名乗った男
ひょんなことから荒木経惟氏の「写狂老人A」という写真集を手に入れました。厳密には本のタイトルになっている写真展の図録なのだそうです。
2017年に東京オペラシティアートギャラリーで行われた写真展なのだそうですが、作品のほとんどが荒木氏が「魔法の紙」とよぶ印画紙プリントの写真で展示されていたそうです。
これは本の中に収録されているインタビュー記事の中にも出てくるのですが、氏によると写真とは印画紙プリントしたものが写真なのでなのであってディスプレイで見るものは写真ではないという事のようです。
氏が写真家として活動を始めたのは1960年代からで当然デジカメなど影も形もない時代から写真を始めた人としては成果物というか、デジタルデータだけをもって完成品とするのは、納得できないのかもしれません。そういった感覚は自分のような最初からデジタルで始めた人間にはない感覚だと思います。
写真展とこの本のタイトルになっている「写狂老人A」は晩年の葛飾北斎が自らを「画狂老人卍」と名乗った故事にちなみ、老いてなお写真家として生きることにこだわりたいという趣旨の言葉が綴られていました。
氏は「天才アラーキー」という愛称でも知られていますが、これも自らの名前「アラキ」と「アナーキー」を重ね合わせたものであることと、今回のタイトルを並べてみると「狂」という言葉へのこだわりも感じられて、氏の写真が何を表現しようとしているかの手ががりとして感じられます。

PENTAX K-7 HD PENTAX-DA 16-85mm F3.5-5.6 ED DC WR 48mm SS=1/640 F=5.6 ISO=6400
「いやー、空は一番強敵だね」
昔から写真を撮っていたこともあってモノクロ写真が多いです。そしてモノクロ写真の使い方が自分には思いつかないようなものであることも驚かされます。花の写真は「色」がつかないと花の魅力が伝わらないと思っていたのですが、モノクロの花写真がかくも印象的なものであるとは実際に見るまで夢にも思いませんでした。現場で印画紙プリントを見たらさらに何か違う発見があったのでしょうか。

これでもちゃんと「色」があるように感じるところが不思議です。
SONY DSLR-A900 Minolta AF MACRO 100mm F2.8 100mm SS=1/1250 F=2.8 ISO=200
インタビュー記事の中にある「気を付けないと水墨画になる。」という言葉にはモノクロの写真にあるどこか非現実的な空気を警戒していると意味に聞こえました。うっかりすると非現実的な世界に行ってしまうけど、「写真家」なら現実に踏みとどまっていなければならないという。
しかし、今回の写真展にはこれもモノクロで撮られた空の写真が多数展示されています。この空の写真は空だけでなくその下の地面や建物も写っているのですが、氏が最近撮った空の写真にはそういった地上が写っていないものが多くなり、また建物や電線が邪魔だな。と思ってしまうけど。それが危ない。彼岸的な写真になってしまうから。と語っています。
しかし「写真家」なら現実に踏みとどまることが大事だという趣旨の事を話しながら、彼岸的な空の写真を撮るようになって抽象画を描いている奴の気持ちが分かる。と言っているのが非常に興味深いことです。
そういった発想から、空とカメラの間を隔てる窓ガラスに落書きをした写真や、いくつもの写真を切り貼りしたり色調を変えた写真作品を作ったりしていて、そのことを生きている事とか、アートに未練があるから。と語っているのです。何となくあの世に行ってからも生きるという事に未練を持っている。執着していると言っているように聞こえますがこのあたり、氏がどこまでも現実を生きる人間でありたいと思っているように見えます。

だったらその「此岸」に非現実的なものが混ざっていたら?
それは現実が「非現実的」なものも含んでいるという事だと解釈しています。
SONY DSLR-A900 Minolta AF 35-105mm F3.5-4.5 105mm SS=1/160 F=11.0 ISO=200
自分で撮ったんじゃない。
最初の方に書きましたが氏は1960年代から写真家を始めた人物でオリジンはフィルムカメラの人です。
インタビュー記事の中でも「それほどデジタルにケチ付けているわけじゃないけど」と言いながらあまり関心は無いような様子です。
そんな氏がデジカメを使ったら、首から後ろ向きにカメラを提げて、12秒のセルフタイマーでシャッターを切るという事を繰り返した後、中身を一切見ずにカメラごと印刷所に渡して写真を撮ったことすら忘れていた。という事を話しています。
デジタルカメラは撮ったその場で何を撮ったのか確かめられるのが最大の利点だと思うのですが、その最大の利点を一切封印してまるでフィルムカメラのような使い方をしているにも関わらず、インタビュアーから「デジタルならでは使用法」と振られて同意するような趣旨の返答をしているのが自分には不思議な印象を受けました。
このデジカメでの作品について、自分で撮ったものじゃないから何を撮っているのか、何が写っているかもわからない。としながらも自分の背後にいたものを撮ったという意味で現世的で、これも含めて、「これ全体で荒木だと思うだろ」というあたり、本質的に写真を通して生きている。という事を表現しようとしているのだなと感じられました。

それでもまだまだ生きていたい。回顧展はやりたくない。と語っているのが印象的でした。
SONY DSLR-A900 Minolta AF 35-105mm F3.5-4.5 35mm SS=1/80 F=8.0 ISO=200
