【お詣りいこか。】第15回 御霊神社
鳴海餅本店のぽちこらむ 『お詣りいこか』。
京都に行ってみたくなる一つの理由になれば、これ幸い。
今回向かうお社は、、、
天変地異や疫病の流行があいつぎ、非運の中に亡くなられた高貴の人々の祟りとされてきた時代ー。
その人々の神霊を丁重にお祀りし、災いを祓うという御霊信仰が生まれました。
そんな、御霊会(ごりょうえ)の発祥とされ、
日本最古の御霊祭を執り行う、「上御霊さん」と親しまれる社です。
そしたら、さっそく、お詣りいこか~。

御霊神社について
◉創祀
延暦13年(794)、平安遷都にあたり桓武天皇が平安京の守り神として崇道天皇(早良親王)の御神霊を祀られたことから始まります。
この地には、付近住民の氏寺「上出雲寺」がありました。
しかし、平安京遷都にあたり桓武天皇の勅願のため王城守護の神として、
不運のうちになくなった八柱の神霊が祀られました。その後、明治天皇の御願によって祭神五社が作られ今日に至ります。
平安時代には、御霊信仰が盛んでした。
怨霊をなだめるための御霊会が度々行われ、疫病除の霊社として広く知れ渡るようになりました。
京都では多くの御霊会が行われますが、その発祥が御霊神社の祭礼であると言われています。
御所の守護神として皇室の崇敬が特に厚く、神輿や牛車といった皇室からの寄付品があるのだとか。
皇室、朝廷、庶民と幅広く信仰を集め、
非業の死を遂げた神霊を鎮める「心鎮めの社」でございます。

◉御祭神について
崇同天皇をはじめ、八柱の神霊を祀り「八所御霊」と称されています。
「八所御霊」とは、奈良時代から平安時代の初めにかけて非業の死を遂げた8人を神として祀ります。
御祭神:崇道天皇(早良親王(さわらしんのう))
桓武天皇の同母弟。
兄を呪った罪で追放された皇太子で、死後に天皇と称されたために歴代天皇に数えられていないのです。
平安京遷都を行った桓武天皇は、藤原氏の後ろ盾で天皇となりました。
即位とともに早良親王は皇太子となったのです。
桓武天皇から長岡京のの造営を命じられた早良親王でしたが、
同じく命じられた藤原種継との不仲説がありました。
長岡京遷都の翌年、藤原種継が暗殺される事件が起きます。
その首謀者として捕らえられたのが、早良親王なのでした。
皇太子の座を下ろされ、乙訓寺に幽閉されるものの無実を主張し自ら断食を行います。命を懸けた抗議も虚しく、流刑が決まりその移送中に亡くなったとされています。
その後、桓武天皇の回りでは度々不幸が続き、怨霊による祟りと恐れた桓武天皇は、早良親王に崇道天皇と追号を発し、荒ぶる魂を鎮めるために御霊神社に祀ったのでした。
当時起きた様々な災害や病死は、早良親王の非業の死に結び付けられたため、崇道天皇を祀る神社は多くあります。
主な神事・祭事
◉御霊祭(毎年5月1日から18日)
明治以降途絶えていた御苑巡幸は、平成21年から復活。
国宝の洛中洛外図屏風にも描かれた、京都(洛中)において最も古いお祭りと言われています。
18日、最終日の「還幸祭」が見どころ。
神輿、御所車、剣鉾などが13時頃に神社を出発し、寺町通・河原町通などを経由して、出町の商店街「桝形商店街」アーケード内を巡幸します。
上京区の氏子地域(北は北玄以町、西は新町通、南は石薬師通、東は加茂街道)を練り歩き、20時頃に神社へ帰還し、担いだ神輿を威勢よく振り動かす「神輿振り」と「差し上げ」という伝統的な神の力を高め、神霊を慰めるために行われる行為を行った後、拝殿に安置されます。
皇室の崇敬が厚い「御霊神社」。
御所に神輿で入ることを許された唯一の祭礼であると言えるのではないでしょうか。
他にも、こども神輿など様々な祭礼が期間中行われています。
摂社・境内社
◉福寿稲荷神社
伏見稲荷のような赤い鳥居が並ぶ社が境内の奥にある、農業・商業の神である宇迦之御魂大神(ウカノミタマノカミ)を祀る神社です。
鎮座時期は不明ですが、石灯篭が元禄15年には現存していたことから、江戸時代中期以前には既に祀られていたとされています。
平安時代に盛んであった稲荷信仰。
稲荷神社は全国で三万社以上あり、最も多いとされています。
御神徳:五穀豊穣、福徳円満、長寿延命、生業繁栄

ここにきたら、ここ行きよし
◉御霊の森
この地一帯は、当時「御霊の森」が広がってました。

この森を占拠し陣を構えたのが、室町幕府の畠山正長。
義弟との家督争いが起き、この御霊の森に火をかけたことで
応仁の乱の戦いの火蓋が切られたとされています。

この地で起きた合戦が応仁の乱へと発展、以後11年に及ぶ長い戦いが京都で繰り広げられたのです。
静かな森の中に、かつての激動の時代があったことを思い浮かべながら歩いてみてはいかがでしょう。
京都の歴史は、今もそっと息づいています。
ほんのひと息MEMO
しんしんと降る雪の中、御霊神社へ訪れました。
白く降り積もる境内は静かで、
自然と背筋が少し伸びるような気持ちになりました。
崇道天皇や応仁の乱のはじまりの地であることなど、
歴史を知ってから訪れると、同じ景色でもどこか違って見えてきます。
激動の舞台となったこの地も、ただ凛とした空気に包まれていました。

長い年月を経て、歴史は静けさの中に溶け込み、
訪れる人の心をそっと整えてくれるように感じます。
京都の冬も、なかなか味わい深いものです。
ほな次もまた、またお詣りいこか。
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