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【お詣りいこか。】第13回 晴明神社

鳴海餅本店のぽちこらむ 『お詣りいこか』。
京都に行ってみたくなる一つの理由になれば、これ幸い。


今回向かうお社は、、、
京都の人から「せいめいさん」と親しまれ、
命名の神社として知られる「晴明神社」
近年では、御祭神の「安倍晴明」を題材とした映画や漫画などの影響もあって、全国各地から多くの参拝客が訪れる神社です。

そしたら、さっそく、お詣りいこか~。

晴明神社について

◉創祀

創建は、寛弘4年(1007)。
安倍晴明の偉業を讃えた一条天皇の命により、屋敷跡である現在の地に社殿が設けられました。
創建当時は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通にまで及ぶ広大な敷地であったとされています。

平安時代中期、貴族にとって陰陽道は日常に根差したものでもありました。
藤原道長との親交のあった安倍晴明は、
応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小。古書や宝物などは散逸し、社殿も荒廃していきました。
その後、式年祭の度に氏子が中心となって整備・改修を行い、晴明公の崇敬者によって復興が進めら今日に至ります。
近年では、文芸、漫画、映画などを通じて晴明の存在が広く知られるようになり、全国にその崇敬者を集めています。

◉晴明桔梗

晴明神社の御神紋は、「五芒星(ごぼうせい)」と呼ばれる星マーク。
桔梗の形から着想を得て作られたとされ「晴明桔梗」と呼ばれます。
一方で陰陽道の木・火・土・金・水の五行思想を表す強力な魔除け・厄除けのシンボルでもあり、一筆書きできるこの星形は、安倍晴明が考案した祈祷呪符(きとうじゅふ)で、災いを払い清める意味を持ち、境内の様々な場所で見かけます。

晴明公が念力により湧出させたとされる井戸「晴明井」
境内随所に五芒星マークが♬

余談ですが、京都では御所を中心に、「五芒星(ごぼうせい)」の形を描くように神社が配置され、街全体に結界が張られているという説があります。

平安京(現在の京都)は造営の際、風水や陰陽道の思想に基づいて「鬼門封じ」を強く意識して設計されました。日本では古くから、北東の方角は災いが入ってくるとされ「鬼門」、その対角にあたる南西は「裏鬼門」と呼び、どちらも不吉な方角と考えられてきました。

こうした鬼門・裏鬼門を守るため、都の要所に社寺が配置され、
災厄から都を守る役割を担っています。

ー京都の街全体に結界が張り巡らされている。
そんなイメージを思い浮かべながら散策してみると、また違った京都の姿が浮かび上がるかもしれません。

◉命名の神社として

晴明神社と聞いて、京都人がすぐに思い浮かぶのが「命名の神社」
「晴明さんにつけてもらいました」という方は結構おられ、芸舞妓さんのお名前なども晴明さんにつけて頂くことが多いのだそうです。

本殿向かって右手の社務所まえに案内看板がありますので、そこで受け付けていただけます。

◉御祭神について

御祭神:安倍晴明公
孝元帝を祖にもつ安倍氏の10代目として生まれ朱雀・村上・冷泉・円融・花山・一条と六代の天皇に陰陽寮天文博士として仕えた陰陽師であり、鎌倉時代以降、陰陽寮を統括する氏族として長らく朝廷に仕えた土御門家の祖でもあります。

境内にある安倍晴明の像

近年の映画や漫画では、式神を使役して物の怪を祓う超人的な存在として描かれることが多い安倍晴明ですが、史実においては、陰陽寮(おんみょうりょう)という「陰陽」「暦」「天文」「漏刻(ろうこく/水時計による時刻の管理)」という四つの政務を担っていた官庁の役人として仕え、現代に伝わるような晴明像が出来上がったのは鎌倉時代以降だと言われています。

一方で、怪異や不思議な出来事が凶事の前触れと恐れられていた時代においては、陰陽師の占いや祈祷が、災いを未然に防ぐ役割も果たすものとして信じられていたことも事実で、そうしたさまざまな逸話が現在の晴明像に集約されていったのだと考えられています。

ちなみに陰陽寮自体は、明治時代まで朝廷の官僚機関として存続しており、維新後は天文部門が大学寮星学局へ移管され、現在の国立天文台の基礎となりました。

奈良国立博物館蔵 「泣不動縁起」 中央に晴明の姿が描かれる。

主な神事・祭事

◉節分星祭(節分日)

陰陽道において「陰」から「陽」へ「気」が変わるとされる、節分に合わせて行われる祭祀で、陰陽道と深い関係をもつ晴明神社のおいても大事な行事の一つ。
人形(ひとがた)の紙に息を吹きかけ、自らの穢れを移して神前に納め、無病息災を祈ります。地域の人々にとって親しまれ、中には人形と歳の数だけお豆をいれた袋を持って境内にやってこられる人もいるのだとか。。。
境内の一角の焚き上げ場には、次々と古いお札が持ち込まれ、写された穢れを払っていきます。

◉晴明祭(9月 秋分の日・前日)

安倍晴明公をお祀する晴明神社の秋祭。
秋分の日前夜から宵宮祭では、「湯立神楽(ゆだてかぐら)」という湯を用いて行う神事が行われます。釜で煮えたぎらせた湯を玉串に見立てた枝葉を浸して周囲に撒き、その湯を被ることで無病息災を祈願します。

秋分の日当日に行われる、例祭・神幸祭では、少年鼓笛隊を先頭に、鉾、八乙女、神輿など総勢500人が、西は智恵光院通、北は寺ノ内通、南は下長者町通の間の氏子町内の西陣地区を練り歩きます。
露店も立ち並び、この日は多くの人で賑わいをみせます。

◉御火焚祭(11月23日)

晴明神社では、陰陽五行思想の「火生土」の理に基づいた、火を焚きあげることで作物を生成する際に疲弊しきった土を甦らせるという考え方から重要な祭として執り行っています。


「お火焚き祭」に欠かせないのがお火焚き万寿。

摂社・境内社

◉齋稲荷社(いつきなりじんじゃ)

本殿北側にあるお社。
齋という漢字には、齋院(さいいん/鴨神社に仕える齋王がおこもりする場所)にお稲荷さまがあったことに由来し、一条天皇が「安倍晴明は稲荷大神の生まれ変わり」として、屋敷跡に神社を創建したという伝承が残されていることから建てられたとされています。

ここにきたら、ここ行きよし

◉一条戻り橋

平安京の造営に伴って平安京の京域の北限であrる通り「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋された橋です。橋そのものは何度も作り直されているもののが、現在も当時と同じ場所にあり、江戸時代に発刊されたガイド本『都名所図会』には当時の姿が偲ばれます。

『都名所図会』国際日本文化研究センターより抜粋

元は「土御門橋」とも呼ばれていましたが、「戻橋」という名前は一つの説話に由来します。

呼ばれるに漢学者・三善清行の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞いて修行先の熊野から急ぎ帰ってきた子の浄蔵が棺にすがって祈ると、雷鳴とともに清行が一時生き返り、父子が抱き合った…

非常に不思議なお話ですが、このほかにも、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱(わたなべのつな)が深夜この橋の東詰で鬼女に出逢ったという伝説などが残っており、こうした背景には、「戻橋」が都の北限に架かる橋であったことや、堀川通りから以西の右京の衰退が著しかったことが背景にあるといわれています。

当時の人々には、あの世とこの世の境界の境界のように見えたのかもしれません。

現役の戻橋は1995年に架け直されたものですが、晴明神社の境内に、復元された旧・一條戻橋が設置されています。

橋の傍らには、晴明の逸話に因み式神の石像が安置されており、参拝客を出迎えてくれています。

ほんのひと息MEMO

◉安倍晴明の誕生

幼少期の記録が残されていない安倍晴明。史実においても諸説ありますが、説話上では和泉国の信太明神の神使である白狐の葛之葉姫との間に生まれたというお話が残されています。

境内には伝説を伝えるモニュメントが設置されています。

「葛之葉子別れ」の伝説では、古代豪族・阿倍氏の子孫である安倍保名は大阪市阿倍野区に生まれたとされ、安倍晴明生誕の地として「安倍晴明神社」が創建されています。

京都の晴明神社とあわせて安倍晴明の聖地巡礼へ大阪まで足を延ばしてみてもいいかもしれません♪


ほな次もまた、またお詣りいこか~。

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