【お詣りいこか。】第9回 北野天満宮
鳴海餅本店のぽちこらむ 『お詣りいこか』。
京都に行ってみたくなる一つの理由になれば、これ幸い。
今回、向かうお社は、、、
京都府京都市洛中エリアに鎮座し、京都人の大半はお受験の時にお世話になったであろう『北野さん』こと「北野天満宮」。
御祭神である「菅原道真公」は、某呪術漫画にも登場するなど、未だ多くの影響を現代に与えている神様と言えるでしょう。
そしたらさっそく、お詣りいこか~。

北野天満宮について
◉創祀
天暦元年(947)に、御神託(神様のお告げ)により平安京の天門(北西)にあたる北野の地に菅公をお祀りしたのが始まりされ、以降は、この北野天満宮を中心に菅公ゆかりの地に、天満宮がおかれ天神信仰の総本社として現在に至ります。
その後は、藤原氏による大規模な御社殿の造営のため、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、この時に「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室の御崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神「天神さま」として崇敬を集めるようになりました。
◉御祭神について
御祭神:菅原道真公
御利益:農耕、正直・至誠、免罪を晴らす、学問、渡唐天神、芸能、和歌・連歌、厄除け、武芸
学問で朝廷に仕える家系にお生まれになられた菅原家に生まれ、幼少期から様々な分野で卓越した才能を発揮。昌泰2年(899)には、学者出身の政治家として手腕を発揮し、右大臣の要職を任されるほどでした。この逸話から学問の神様として現在でも多くの人々の崇敬を集めています。

なぜ、日本三大怨霊の1柱と言われているのか。

非常に優秀であったことから道真は、異例の出世を重ねたことによって貴族たちの反発を呼び、左大臣藤原時平の策略で太宰府に左遷され、悲しみの内に生涯を閉じました。菅原道真の死後、彼の失脚に関わったとされる有力者たちが次々と亡くなりました。不幸に追いやったライバルの藤原時平も、39歳という若さで急死します。この頃から、洪水や長雨、干ばつ、伝染病などの異変が毎年のように続き、都の貴族たちは「道真が怨霊となって祟りをなしているのではないか」と不安にさいなまれました。そこで朝廷は、平安京内の右近馬場の地に北野天満宮を創建することを認め、道真はやがて学問の神として広く崇敬を集めるようになったのです。
主な神事・祭事
◉梅花祭(2月25日)
梅の花をこよなく愛でた菅原道真を偲び、御本殿に「梅花御供」を供え厄を祓う、約900年の歴史を持つ祭事。
お米を蒸して大小二つの台に盛り、白梅・紅梅の小枝を挿した「紙立(こうだて)」という特殊な神饌をお供えし御遺徳を偲びます。
また、船出の庭では『梅花祭野点大茶湯』が催されます。
豊臣秀吉公が催した北野大茶湯にちなみ、境内の梅苑に野点の席が設けられています。上七軒の芸舞妓さんによる茶の湯のお点前が披露され、梅の盛りを迎えた境内で華やかな様子を楽しめます。
北野天満宮では、菅公がお亡くなりになって後50年ごとに大萬燈祭、その間の25年ごとに半萬燈祭と称し、最も重要な祭典として執り行われており、
この梅花祭野点大茶湯は、菅公がお亡くなりになってから1050年の大萬燈祭にあたる昭和27年(1952)から始まった行事です。
◉北野祭(9月4日)
創建の翌年から始まり、永延元年(987)に一條天皇の勅使をお迎えしたことから国家の祭祀となり北野天満宮における最も大切な祭礼です。
村上天皇御寄進の第一鳳輦、一條天皇御寄進の葱華輦を含む三基の御鳳輦が氏子区域を華やかに巡行します。
令和2年(2020)には500年ぶりに「北野御霊会」を再興するなど、今もなお受け継がれる秋の祭礼です。
◉瑞饋(ずいき)祭(10月1日~5日)
北野天満宮の祭事として京都で有名な『瑞饋祭』
「北野祭」の神幸祭・還幸祭の渡御列と、菅原道真本人が大宰府にて彫った木像を随行の者が持ち帰って祀り、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えして感謝を捧げた祭事が混同し、「瑞饋祭」として知られるようになりました。
この「瑞饋(ずいき)」は、めでたい言葉の「瑞気」、うれしいという「随喜」の発音と同じことからめでたいとされ、「饋」の字は神様に食物を供えるという意味があります。
また、「ずいき」は食用のサトイモやハスイモの葉柄のことで、ずいきや野菜で飾られたずいき御輿が加わることから瑞饋祭と言われるようになったとされてます。
摂社・境内社
◉伴氏社
御祭神:菅原道真公の母君
御利益:土地の守り神、医薬病気平癒の神、学業成就の神
北野天満宮三の鳥居の西側付近にありますこちらの神社。菅原道真の母親が大伴氏の出身であることから伴氏社と称され、柱の土台が単弁蓮弁座になっている珍しいものとして「京都三珍鳥居」のひとつに数えられています。
菅原道真を育てあげた母親にあやかって、こどもの成長・学業成就を願って参拝する母親が多い神社です。

◉牛社
石の牛が祀られているお社。
2014年末に40年ぶりに元の位置である境内の乾(北西)に移されました。
北野天満宮は、都の乾の方角の守りとして創建されていますが、そのさらに乾の神聖な地にあるということで、古くから信仰を集めてきた神社でもあります。祈願絵馬の掛け所にもなっており、奉納することで、一願成就のお牛さまが願い事の成就を後押ししてくれると言われています。

◉地主社
御祭神:天神地祇(相殿)、敦実親王、斎世親王、源英明朝臣
御利益:招福・請願成就・交通安全
創建以前からある北野天満宮の中でも最も古い社です。
もともとこの地には、地主神社が建っており、菅公をおまつりする御社殿を後から建てたという歴史があります。
参道の正面に『御本殿』。
しかし、地主神社が先に建っていたことから、北野天満宮の楼門参道の正面は、地主神社なんです!!
後から建てた御本殿は、地主社の正面を避けて建てられおり、
『筋違いの御本殿』として北野天満宮の七不思議のひとつに数えられています。

ここにきたら、ここ行きよし
◉梅苑「花の庭」
江戸時代、「雪月花の三庭苑」としてその名を馳せた三つの庭がありました。
そのうちの一つが、北野松原の北野天満宮は梅花鑑賞の「花の庭」でした。
そして令和4年(2022)に再興し、令和再興『雪月花の三庭苑』として、その他の、寺町二条の妙満寺(現在は左京区岩倉)は雪景色を背景とした「雪の庭」、東山の清水寺は月見で有名な「月の庭」を含む「雪の庭」「月の庭」「花の庭」が、京都の新たな魅力となりました。
梅苑「花の庭」の公開は、2月上旬から3月下旬です。
是非、時期を合わせて京都におこしやす~♪
◉長五郎餅
北野天満宮のお膝元にある『長五郎餅』
太閤秀吉公が開いた北野大茶会において、初代・河内屋長五郎が秀吉に餅を献上したところ大層気に入られ、「以後『長五郎餅』と名乗るべし」と命名された由緒ある餅菓子です。

歩いて約10分くらの場所にあります、参拝後の一服にどうぞ♪
ほんのひと息MEMO
境内のあちらこちらにいる牛の像。
天神さまにとって牛は神のお使いであるため、臥牛の石像が数多く奉納されています。
菅原道真が丑年生まれであったことが関係しているのだとか。。。
境内の臥牛を『撫牛』と言い、頭が良くなるように牛の頭を、足に不調があれば足を撫で、手に不調があれば手を撫でれば治るというように牛を撫でると御利益があるという言い伝えがあります。

ほかにも、北野天満宮には、古くから伝わる七つの不思議があるのだとか。。。様々な神事が執り行われ「祓いと浄めの聖地」として讃えられてきた北野の地。
京都の寺社仏閣めぐりには外せない北野天満宮へ。
ほな次もまた、またお詣りいこか。
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