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わが心の近代建築Vol.95 神奈川県庁(キングの塔)/神奈川県横浜市中区

みなさん、こんにちわ。
今回は横浜三塔より第2段、神奈川県庁について記載しますが、この建物は現役の県庁としては日本最古の建造物となります。
横浜の歴史をたどると、ペルリ提督が1853年に神奈川県浦賀に来航して以来、1858年に日米修好通商条約が締結され、幕末まで1つの寒村だった横浜が開港されたことに始まります。

≪歴代神奈川県庁について≫
初代 神奈川県庁(1867~1882)
初代神奈川県庁は、1867年に神奈川奉行所の機関である横濱役所として建てられたことに始まり建物の構造は、正面に入母屋いりもや、東面に唐破風からはふの玄関が付けられた、疑洋風建築ぎようふうけんちくとなっていました。
途中、ベランダなどを内部に取り込む改造をされ、1882年に焼失するまで使用されました

初代庁舎【神奈川県庁 展示パネルより転載】

2代目 庁舎(1883~1913)
2代目神奈川県庁は、設計者は居留地建築を数多く手がけ、旧新橋駅駅舎などの設計も行ったアメリカ人建築家、R・Pプリジェンス氏の作品となります。
当初は現在の神奈川県庁の場所に、横浜税関庁舎として建てられ、構造は木骨石造で左右両翼を貼りだした構成で3階中央部分にはバルコニーが設けられていました。
横浜税関が横浜港寄りに移築するに際し、ちょうど初代庁舎を失った神奈川県が購入し、1883年から県庁舎として使用します。

2代目庁舎【神奈川県庁 展示パネルより転載】

3代目 神奈川県庁(1913~1923)
2代目神奈川県庁が老朽化し、手狭になったことから新しい県庁が求められ、設計には工部大学校こうぶだいがっこう卒業生で、辰野金吾たつのきんごと並ぶ宮廷建築家、片山東熊かたやまとうくまがあたり、1913年に竣工します。
フランス風の壮麗なバロック建築となり、外壁はレンガと石材から構成。腰板には岡山県北木島産の花崗岩かこうがんを使用。
正面には和風の車寄せと2〜3階部分にはイオニア式の列柱が配され、屋根は大振りに造られ、中央部の大屋根の上には尖塔せんとうも乗るものとなります。

3代目 神奈川県庁【神奈川県庁展示パネルより転載】

こちらの庁舎は当時の全国の府県庁舎の歴史上、最も壮麗な建物と謳われ、その一端は、外観、正庁の間、貴賓室など、遺された写真の数々からも伺い知ることができます。
もし現存すれば、国宝級の建造物となりましたが、歴代庁舎の中でも、僅か10年で建て直さざるを得ない状況に…

政庁の間【神奈川県庁 展示パネルより転載】
議場【神奈川県庁 展示パネルより転載】
貴賓室【神奈川県庁 展示パネルより転載】

しかし、この県庁が使用されていた期間は極めて短く、1923年9月1日の関東大震災では、たてものこそ被害はなかったものの、その後、横浜の街を襲った大火にて、天井を含め内部は消失してしまい、あまりにも被害が大きかったため、再建されることなく解体されました。

焼失後の3代目庁舎【神奈川県庁 展示パネルより転載】

≪新庁舎建立まで≫
コンペについて
当時の神奈川県知事だった堀切善次郎氏は、これまでの建築計画を破棄して1926年に県庁舎建立に際してコンペを行い、「港外の船舶から容易に認識可能のこと」のもと、当時、東京市技手だった小尾おび嘉郎かろう(1898~1972)の案が1位となり採用されます。

小尾嘉郎氏の一等当選案 透視図【神奈川県庁展示パネルより転載】

建築に関しては、実質設計は成富又三ら県庁舎建築事務所のスタッフが行いますが、原案図がすべて採用されたわけではなく、まず、塔屋部分に関しては、倒壊の危険性を下げるため、高さが低く抑えられ、当初の案では塔屋上部は観音像になっていましたが、五重塔に変更されました。

小尾嘉郎氏の一等当選案 透視図(塔屋部分を拡大したもの)
【神奈川県庁展示パネルより転載】

建築に際して
建築に際して、神奈川県の建築顧問、かつ耐震構造学の権威だった東京帝国大学教授だった佐野利器さのとしたかの意向で手金鉄骨コンクリート構造で建設され、工事に関しては大林組の手で行われることとなります。

工事中の神奈川県庁【神奈川県庁 展示パネルより転載】

完成に至り
神奈川県庁は、当時の金額で総工費275万円をかけて1928年に完成しますが、外観においては、ほとんど変わっていないものの、現在銅板で覆われている軒先に、当時は粘土を焼いて作ったれらこったの装飾があり、塔の最頂部にある相輪上の飾絵いも現在のものと形状が異なっています。

竣工当時の姿

神奈川県庁は現在、日本最高の現役県庁として。
また、その後生まれる帝冠様式ていかんようしき(鉄筋コンクリート建造物に日本風の塔屋を設けたもの)の最初期としての歴史的価値から1996年には登録有形文化財に。2019年には国の重要文化財に選定されています。

≪建物メモ≫
神奈川県庁庁舎

●竣工年:1928年
●原案:小尾嘉郎おびかろう
●設計:神奈川県内務部県庁舎建築事務所
●写真撮影:可
●入館料:無料
●交通アクセス:
 ・みなとみらい線「日本大通り」駅 徒歩2分
 ・JR京浜東北線「関内」駅 徒歩10分
●特筆事項:
・平日に屋上部分は公開。各室内に関しては、特別公開時に公開中

≪外観≫
建物全体として
ビル部分は5階建て部分と9階までの塔屋から構成されており、棟高は22.64m、塔屋部分を含めると48.6mとなります。
竣工時の取り決めが「港外の船舶から容易に認識可能のこと」から、港から見てその佇まいがキングの様だから「キングの塔」といわれています。

神奈川県庁 外観

車寄せ部分について
tエントランス部分を見ると第1層部分は、岡山県産の萬成石を使用しており、その上の茶色い部分に関しては、引っ搔き傷を描いたようなスクラッチタイルを使用しています。
また、軒先などにアールデコ様式が取り入れられたライト様式となっており、1923年9月1日に竣工した帝国ホテルにも通づる形になっています。

車寄せ部分

車寄せ部分
こちらを見ると柱の1本1本が、若干ピンクが飼った色になっており、柱部分やモールディングなど、手の込んだアールデコ様式が連続しており、こちらからも、フランク・ロイド・ライトの影響を色濃く感じることができます。

車寄せ部分

≪ホール部分について≫
玄関部分について
玄関部分を見ると、照明に関しては当時のものが使用されrており、右側部分に見える欄間などの装飾も、和風とアールデコが混在した造りとなっており、場所が県庁というだけに、重厚さを感じさせています。

玄関部分

中央ホール部分
床面は大理石製になっており、この部分は、木村拓哉/松たか子主演で有名なHEROなど、多数のドラマなどでも使用されています。
天井部分は格天井となっており、側面には雷門模様らいもんもよう風の意匠になるなど、和風のエッセンスが盛り込まれています。

玄関ホール部分

階段わきのエレベータに関しては、当初は1カ所しかついておらず、そのわきにある2つの玉は宝相華ほうそうげという花の一種で、極楽浄土の咲き誇る想像上の花で、唐草文様からくさもようの一種で正倉院の宝物ほうぶつに多く見られるものになります。

階段わきの宝相華

天井部分には和風建築の持ち送りおちおくりにも見立てた装飾が付けられ、寺院風に見立ててあり、中央には川の流れを模した文様が付けれれており、一見すると見逃しがちですが、こうした細部にも手が込まれています。

天井の持ち送り風の意匠

≪3階部分≫
大会議室(旧議場)
3階と4階の吹き抜けになっている室内で、かつては議場として使用されました。現在の神奈川県議会議員は150名程度ですが、竣工当時は30〜50名程度でした。議場が新庁舎に移行してからは年初めの大会議や各種イベントなどに使用されています。

旧議場を全体から臨む

天井部分を見ると、折上おりあ格天井ごうてんじょうという日本建築で最高峰のものを使用しています。シャンデリアにおいては戦後に作り直したものですが、舞台の時計などは竣工当時のものをそのまま使用しています。
その一方、帯飾りなどは西洋建築のアールデコを採用した和洋折衷わようせっちゅうとなります。

シャンデリア部分

なお、絨毯じゅうたんに関しては、古くより、神奈川県の花でもあるヤマユリを模ったものとなっています。

絨毯に描かれたヤマユリの花

知事室
壁紙や照明などは改造されているものの、天井部分は竣工当時の姿を残しています。
現役のチア自失として使用されているものとしては、全国で2番目に古い施設になります。

知事室 全景

全景としては洋間になっていますが、日本建築で用いられる持ち送りをデザインとして使用し、モールディングなども当時の時代背景を表すかのようにアールデコを使用したものとなります。
余談ですが、横浜開港記念会館、横浜税関はGHQに接収されますが、こちらも日本人が仕事をする施設として空襲と接収を免れましたが、そのため、変な改悪受けることなく竣工当時の姿をよく残しています。

持ち送り部分

第3会議室(旧貴賓室)
第3会議室は、もともとは横浜の街を訪問した天皇陛下と皇后陛下の貴賓室きひんしつとして使用されました。
天皇陛下は1929年の震災復興の視察と戦災からの復興に訪問しました。

第3応接室 全景

天井部分はほかの部分同様格天井となり、壁部分はコルクチップとなります。なお、室内格天井の上にある、金属パネルは、火焔模様を使用し、天井部分の布には、牡丹ぼたん鳳凰ほうおうが使用されています。シャンデリアは、タバコのヤニですすけた部分を清掃し、再利用していますが、こちらにも宝相華ほうそうげを使用しています。

天井部分の格天井

持ち送り部分にも鳳凰が描かれ、蔦が絡まっている姿を描いています。
また、持ち送りとの接続部分には銀行建築などで多用されるアーカンサス(葉アザミ)を使用しています。

持ち送り部分

また、入り口部分の扉には、ここまで何度も出てきた宝相華ほうそうげを使用しており、時計も竣工当時のもので、知事室と同じものとなりますが、貴賓室ということもあり、ルビーらしき石?が埋め込まれています。

扉部分

暖炉部分はデザインとして付けられたもので、暖炉上の絵は絵画ではなく、京都の唐和紙織物となり、開港当時の横浜を描いたものとなります。
この織物に関しては、竣工当時は黒船が描かれていましたが、昭和大帝が訪問するに間に合わせたか?
昭和4年4月23日に現在のものに変更されました。

暖炉と唐和紙織物部分

≪4階部分≫
ホール部分
4階は、議場が吹き抜けになっているほか、正庁せいちょうの間があります。正庁せいちょうの間は、年賀のあいさつやひょ小式などに使用され、近年までは庁舎施設が置かれていましたが、修繕工事が行われ、かつての姿を見る事ができます。

4階階段ホール

また、階段は大理石製。階段の手摺子てすりこ部分の装飾には、この建物最大の特徴とも言うべき、宝相華ほうそうげを使用しています。

4階 階段手摺部分

正庁せいちょうの間
天井部分は格天井になっているほか、照明部分が復元されました。壁部分はコルク吹付となっており、経年ではがれてしまった個所には新たにコルクチップを巻き、貼り付けて修繕されました。シャンデリアは、保存されていたものを修繕し、耐震補強を行ったうえで、同じ場所に戻し、天井は格天井、布張がされています。

正庁の間

右側の聖壇の裏には昭和大帝の御真影が置かれたほか、両サイドに設えられた花台なども修繕されて使用しています。
また、照明部分に関しては、汚れがかなりひどかったため、新たに洗浄して照明部分はLED照明にして戻されました。

聖壇部分

右側のカーテン部分を見ると、上飾りは富貴花とも称され、おもてなしの意味が込められた牡丹ぼたんをの柄としています。
左右のニッチペンダント部分は、保管されていたものを清掃し、耐震対策をしたうえで元の位置に戻しています。

カーテン部分

扉は欄間には桜と橘が描かれていますが、1対の方は喪われていたので、元あったものを参照にして再建されました。
桜と橘においては、京都御所の玉座からの外観を見た際に桜と橘が植えられたことから採用されています。時計に関しては、竣工当時のものを再利用しています

扉部分

≪屋上部分≫
テラコッタ装飾について
竣工当時に使用されていたテラコッタに関しては、屋上部分に当時のものが保存されています。
なお。テラコッタはイタリア語で、テラ=土、コッタ=焼いたものと訳されており、帝国ライトが設計した帝国ホテルにも多数使用されています。

かつて使用されていたテラコッタ

塔屋部分について
塔屋部分は6〜9階から成立しており、かつてこの塔は「修養塔」と呼ばれており、最上階に横浜の総鎮守とされる伊勢山皇大神宮いせやまこうたいじんぐうの分霊が置かれました。

塔屋部分

最上階部分下には、軒先で使用されていたテラコッタが残り、屋根部分は階段状の宝状屋根を載せ、その上部に相輪を載せたものになりますが、2018年の台風で相輪の鉄板が飛散した際に内部を市調査したら塔屋屋根裏部分などに漏水が見られ、令和3~4年まで修繕が図られました。

塔屋屋根部分

屋上に見える2つの小屋はかつてのエレベータホールになっていましたが、現在は倉庫として使用しており、窓枠など竣工当時のものを遺しています。

かつてのエレベータホール部分

神奈川県庁から横浜港を臨むと、ペルリは、この港に訪問して日米修好通商条約を結びますが、手前の部分の横の桟橋が、象の鼻と呼ばれました。
小さな寒村だった横浜は、この港から世界の横浜にはばたくと同時、日本の近代化の夜明けを迎えました。

県庁屋上部分から横浜港を臨む

≪編集後記≫
今まで、幾多の洋館建築を見て記載してきましたが、すべての歴史は、この横浜港で始まったと言っても過言ではなく、昭和100年…
これからも、コの建造物が末永く多くの人に愛されていくことを願って止みません。

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