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わが心の近代建築Vol.94 旧東伏見宮葉山別邸(イエスズ考女会葉山修道院旧館)/神奈川県三浦郡葉山町

みなさん、こんにちわ。
最近、洋館が続いている当ブログですが、今回もまた洋館…
ということで、今回は、逗子葉山の別荘建築から第2弾として、旧東伏見宮葉山別邸について記載します。

≪別荘地 葉山の歴史≫
別荘地としての葉山について記載すると、1892年に孝明天皇の女御、英照皇太后が訪問し、皇太后はかねてより病を患っており、侍医のドイツ人医師、エルフィン・ベルツ博士より保養地としては山がすすめられたことに始まります。
また、東宮嘉仁親王(のちの大正天皇)も幼少期に病弱で、葉山での保養を勧められ、長期間滞在されたことから葉山御用邸が膣案され、1894年には葉山御用邸が完成しました。
葉山の別荘の始まりは、1888年に池田徳潤いけだ のります男爵が別荘を建てたことを皮切りに、1889年に横須賀線が東京から逗子まで開業し、御用邸ができてから葉山の別荘ブームが始まりました。

かつての葉山の別荘地

≪東伏見宮葉山別邸の敷地についての歴史≫
竣工当時の状況
葉山の東伏見宮別邸は、湘南の宮廷別荘建築としては初の洋館であると同時、現在は山に現存する唯一の洋館になり、1913年に東伏見宮家が土地を取得し、1914年に竣工します。設計は竹田宮邸など、多くの宮廷建築に携わった木子孝三郎きごこうざぶろう氏があたり、1922年に依仁親王が逝去したのち、1945年にGHQにより皇室財産が凍結され、1947年に東伏見宮家が皇籍離脱します。

1914年竣工時の土地【邸内展示パネルより転載】

宮廷建築から修道院へ
1951年に天主公教横浜教区(カトリック横浜司教区)が引退した聖職者の施設として買い取り、1952年にイエズス孝女会に譲渡され葉山イエズス会がこの地に設立し、1954年に残っていた平屋和館に「あけの星幼稚園」が造られます。

1954年当時の土地【邸内展示パネルより転載】

登録有形文化財へ
1971年にイエズス孝女会は新しい幼稚園などの建築資金をねん出するため、敷地の一部を売却。1976年に現在の修道院が完成したことから洋館の改修工事が行われ、1987年に改修工事が行われた際に煙突が撤去され、2017年に登録有形文化財に選定されました。
現在は、各種イベントや宿泊施設などのも利用され、現在の東伏見宮葉山別邸の土地は竣工当時の1/30ほどになっています。

現在の土地【邸内展示パネルより転載】

≪施主 東伏見宮依仁親王≫
施主の東伏見宮依仁ひがしふしみのみや よりひと親王について記載すると、1867年に伏見宮邦家ふしみのみや くにいえ親王の17皇子として生を受け、当時の皇族男子の例にもれず、海軍兵学校に入学の後、途中退学しイギリスへ留学し、1887年にはイギリスからフランスのブレスト海軍兵学校に入学。
卒業の後は、海軍軍人として生涯を過ごし、1903年に東伏見宮家を創設。海軍軍人としては、横須賀鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官を歴任、なかでも英国のジョージ5世の戴冠式には、乃木希典、東郷平八郎を随員として参列、1918年には海軍大将に進むも、1922年に僅か56で薨去こうきょします。

東伏見宮依仁親王【Wikipediaより転載】

≪設計者 木子孝三郎≫
設計者の木子孝三郎きご こうざぶろう(1874~1941)氏は、日光田母沢御用邸記念公園、沼図御用邸西付属棟などを担った宮内省内匠寮技師 木子清敬きご きよたか氏の2男として生まれ、東京帝国大学卒業ののち、東宮御所造営局に勤務し1911年に宮内省内匠寮くないしょうたくみりょう技師として勤務します。
1919年から1年間、欧米留学をし、上司の片山東熊かたやま とうくまとともに北白川宮邸、竹田宮邸などの洋風邸宅建築を行うほか、沼津御用邸附属屋増改築、日光田母沢御用邸の増改築などを担い、西洋建築とともに和風建築でも卓越したスキルを持ち合わせた建築家でした。

木子孝三郎【Wikipediaより転載】

≪たてものメモ≫
旧東伏見宮葉山別邸(イエスズ考女会葉山修道院旧館)
●竣工年:1914年
●設計者:木子孝三郎きご こうざぶろう
●文化財指定:登録有形文化財
●写真撮影:各種イベントによる
●入館料:〃
●交通アクセス:
  京急線「逗子・葉山」より京急バスにて向原停留所 徒歩2分
●参考文献
 ・鈴木博之著「皇室の邸宅」
 ・BS朝日放映「百年名家」
 など
●留意点:
各種イベントについては、公式Instagramなどで公示。毎年、湘南邸園文化祭にて公開

≪平面図≫
平面図を見ると、現在は洋館のみが残っていますが、竣工当時は、2階建て和館、平屋和館の3棟から成立していました。
なお、洋館部分も、のちの改造で1階部分の配膳室と予備室、2階部分の露台が撤去されて現在の姿となります。
洋館1階部分はパブリックなものに対し、2階はプライベートルームに充てられました。

竣工当時の平面図【邸内展示パネルより転載】

≪正門部分について≫
国道から、「あけの星幼稚園」の門を超えるともう一つの門が見えますが、こちらが、旧東伏見宮葉山別邸の正門部分になり、かつては8700坪の広大な土地が広がり、広大な敷地の中には池や温室など、東伏見宮依仁親王の広大な土地が広がっていました。

正門部分

正門部分から通路を渡ると小高い山道になっていますが、現在は、敷地外は住宅地になっていますが、竣工当時は、この住宅地部分を含め、すべて東伏見宮家の土地となりました。

通路上にある小高い丘部分

≪外観部分において≫
西側部分
丘側から邸宅をぐるりと回ると、東伏見宮葉山別邸の裏側になりますが、白亜のコテージ風のデザインとなります。
2階右側には窓に比較して低い鎧戸よろいどが付き、写真ではわかりづらいですが、右側土台がが石積みであるのに対し、左側がコンクリート敷きになりますが、これは後年改修したもので、もともとは左側の扉部分には配膳室と予備室がありました。

西側側面を臨む

西側の2階部分をみると、左側の窓部分に改修跡のようなものが見る事をできますが、こちら側には和館に繋がる通路が設けられていました。
また、窓上部を見ると、一見無機質な白亜の建物のように見えますが、細かい装飾が付けられるほか、持ち送りが付けられるなど、非常に手の込んだ造りになっています。

西側2階部分

南側部分
南側に出ると、ルネサンス風の優雅な白亜の洋館であることが判ります。葉山の海浜別荘らしく、こちらから見える部分はサンルームになり、出窓が設えてあるなどしてあります。

南側部分を南側出入り口から臨む

屋根は2重鋼構造となり、中央部分には、十字架の掲げられた尖塔せんとうが見え、ドーマー窓が2つ付くなど、いかにもルネサンス風に設えていますが、設計者の木子孝三郎きご こうざぶろうが、和風建築のみならず、西洋建築にも大変造詣が深かったかを伺い知ることができます。
氏が関わった作品、たとえば旧竹田宮邸きゅうたけだのみやてい(高輪プリンスホテル貴賓館)などに比べると軽快なイメージになりますが、新しい試みとして、当時、ウィーンで興ったセセッション様式(幾何学的なデザインを使用した新しいデザイン)を導入したためであります。

南側2階から屋根部分を臨む

正面部分
巨大な車寄せが設えてあり、そびえ立つ塔屋部分を含めると約4.5mほどあり、外壁同様、白いドイツ下見板張りになります。
1階部分には、日本建築で多く使用される無双窓むそうまどが配されており、デザイン的のみならず、通気性にも配慮されており、窓枠などにもセセッション様式の装飾委が付けられています。

正面部分

なお、車寄せ天井部分は、日本建築で見られる吹き寄せ格天井のデザインを巧みに取り入れセセッション風に仕上げています。また、持ち送り部分も、幾何学的模様が付けられ、柱部分には四隅に正方形の装飾が付けられたセセッション様式を軸としたデザインが採用されています。

正面 車寄せ部分

≪1階内部について≫
玄関部分
玄関部分を見ると、無駄のない白一色の、非常にすっきりした、直線を活かしたセッション様式を踏襲しています。
また、床部分は石貼りとなり、傘立てなども東伏見の宮別邸時代に使用されたものとなります。

玄関部分

ホール部分
こちらも白一色となり、床部分が寄木よせぎ貼りとなり、シンプルさの中にも、ここが顧客をもてなす迎賓の場であることを示しています。ホール奥には垂れ壁たれかべが付けられ、奥の部屋との結界になります。
また、衝立には天女が描かれ、作者は、横山大観らとともに日本画の近代化に貢献した木村武山きむら ぶざん氏の作品となります。

ホール全景

垂れ壁たれかべを境に床部分は寄木よせぎから、ただ単なる板張りになりますが、ここで接客空間と奥向き空間の区分けがされていました。
また、垂れ壁を境に連なって2つの扉が設けられていますが、東伏見宮邸時代には、こちらに事務室があり、接客空間と奥向き空間、どちらからも行けるようになっています。

垂れ壁部分

御客室
白い壁が外光に明るく映える室内になります。
クラシカルの椅子や机に関しては、東伏見宮邸時代のものとなります。竣工当時はクロス張りとなっていました。床面は寄木細工になり、東伏見宮邸時代には様々な家具が置かれ、サロン風になっています。

御客間 全景

暖炉は東伏見宮邸は幾度か改修され、その際に改変されたものとなります。もともとのものは、非常にゴージャスな造りであったことが、過去のものとなります。

暖炉部分

サンルーム部分
御客間の引き戸を開けると、1階の御客間部分を回廊のようにベランダが設けられ、床はタイル張りとなり、室内に日差しが差す仕組みになり、窓の下部分には通気のための無双窓むそうまどが取り付けられています。

1階ベランダ 全景

御食堂
かつては、礼拝室として使用されていましたが、現在は各種地域イベントなどに使用されています。
こちらも床部分は寄木よせぎ張りとなり、白を基調とした室内となります。

御食堂 全景

御食堂の中央部分は張り出していますが、この部分には御客間の暖炉と背中合わせで取り付けられていました。
幾多の改修工事の際に取り払われましたが、床部分の寄木にかつての名残が残されています。

かつての暖炉の名残り

先述の御客間同様、この邸宅は幾多の改変がなされていますが、天井の垂れ壁たれかべ部分からは、配膳室として活用され、厨房で作った食材をこちらで支度されました。

かつての配膳室の名残り

なかでも、最も改変された部分が窓側で、竣工当時は、御客間に連続してサンルームが設けられていましたが、改変し、一つの部屋として使用されました。

サンルームから改変された部分

なお、御客間部分のサンルームとの間に設けられた扉は、もともとは御食堂とサンルームの間に設けられていたものを移設したもので、この邸宅の中で、最も改変された箇所となります。

御客間との間に設けられた扉

≪階段部分≫
1階階段ホール部分
先述のホール部分の垂れ壁たれかべから階段部分に向かうと、2階は御寝室などの更なる奥側空間のため、同じように結界として垂れ壁たれかべが付けられているほか、シンプルながらセセッション的な装飾が付けられています。

1階階段部分

2階階段ホール部分
2階階段ホール部分を見ると、不自然なところに扉が設えていますが、かつてはこちらに和館部分への通路が設けられたほか、右側の踊り場部分にある大きな窓は明り取りとなっています。

2階階段ホール部分

階段ホール部分の小さなガラス戸を開けると、東伏見宮邸時代に使用されていた、配電盤が見えますが、当時の部屋の名前が遺された貴重な史料となります。

階段ホールに遺された配電盤

2階階段ホール正面にある扉を開けると、洋館から和室になりますが、かつては御寝室として使用された室内となります。

2階階段ホ-ルの部屋側

≪2階部分≫
旧御寝所
長押も欄間も設えた端正な設えになり、部屋奥には襖があり、一見押入のように思えますが、上部には欄間部分に紙が貼っています。
また、この部屋の釘隠しには、東伏見宮家の御印が模られています。

旧御寝所 全景

15畳座敷
御寝室に連続した室内は115畳の座敷になり、天袋と地袋、床の間を設えた本格的な書院造の和室となります。
室内には長押なげしの上に、更に蟻壁ありかべが設えてあり、天井部分は格天井という、非常に高い格式の室内になります。

15畳和室 全景

床脇部分には火灯窓かとうまど風のデザインになっていますが、こちらは西側になり、襖を開けると、雨戸→鎧戸よろいどとなり、西側外観から見たアンバランスな鎧戸の正体になり、洋館としての外観を保つアイデアとなります。

床脇部分

同じようなデザインは付書院つけしょいん部分にもあり、サンルーム側か見ると和室がないように見せるため、シャッターを取り付けています。

サンルーム側のシャッター

サンルーム
2階部分のサンルームは、1階と同じように回廊風になっており、この廊下の意味として、サンルーム的な意味以外にも表から見た際に表から見た際に和室があるように感じさせない意味があります

2階サンルーム部分

中央部分にある八角形型のテーブルと椅子は、東伏見の宮邸時代から使用されたもので、施主 東伏見宮依仁ひがしふしみのみや よりひと親王は、ここからの景観を大変気に入ったそうです。

東伏見宮邸時代から使用された机とテーブル

中央部分からは、現在は住宅地になりますが、奥側には葉山の海と山々を一望でき、この邸宅が海浜別荘であったことを感じさせます。

サンルームから葉山の海を臨む

旧御居間部分
15畳和室の隣は旧御居間となり、現在は宿泊所として使用されています。暖炉は後に改変されたものとなります。
また右側のソファーについても、旧東伏見宮邸時代のものを再利用しています

旧御居間部分 全景

旧化粧間
2階のもう一つの洋間部分も現在は、宿泊施設として使用されており、こちらの机や椅子、長椅子なども、伏見の宮邸時代に使用されたものとなります。洋間らしく上げ下げ窓が設えてあり、かつての姿を伺い知ることができます。

旧化粧間 全景

螺旋らせん階段
なお、2階車寄せ部分には鉄製の螺旋らせん階段が設えてあり、白い室内に、鉄製の階段がインパクトを与えます。
なお、塔屋部分から湘南の海と相模湾、遠くは伊豆半島まで臨むことができます。

螺旋階段部分

編集後記
旧東伏見宮邸は、イエズス考女会の施設として使用された事から、他の西洋館とは違い、戦後GHQの接収を受けることなく、護られた奇跡の産物とも言うべき歴史的財産であり、修繕工事が行われ、現在は各種イベント以外、結婚式場や宿泊施設としても使用されています。
また、湘南の西洋館としても、関東大震災前に建てられたものは稀有な存在で、これからも大切にされていくことを強く望みます。

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