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わが心の近代建築Vol.74 旧石川組製糸 西洋館/埼玉県入間市

みなさん、こんにちわ!!
今回も、コロナ前に訪問した近代建築より、埼玉県入間市にある石川製糸西洋館について記載します。

≪石川製糸と入間について≫
入間は、古くから製糸業が盛んな地域で、数多くの製糸会社が運営されていましたが、石川組製糸もその一つで、施主の幾太郎氏が1893年に起こした製糸会社となり、当初はわずか20釜の手工業でしたが、蒸気を利用した製糸機会に切り替え、s日清・日露戦争の戦時景気にのり、経営基盤を拡大します。

石川組製糸工場の状況(石川組製糸 迎賓館HPより転載)

最盛期には、入間市に3工場、狭山市、川越市、福島県、愛知県、三重県などに工場を所有、生糸の生産高で全国6位にも躍り出ますが、関東大震災のとき、横浜港で船積みを待っていた大量の生糸を焼失させて陰りが見え、昭和恐慌、レーヨンの台頭で徐々に経営悪化し、石川幾太郎氏らの死も経営悪化に追い打ちをかけ、1937年に解散しますが、迎賓館が生き残ります。

≪施主 石川幾太郎≫
石川幾太郎(1855~1934)は入間市出身の人物で、代々続いた茶園ののち製糸業に進出し、石川製糸を興します。
1代で財を成し、石川製糸を国内有数の企業に育て、一時期は武蔵野鉄道(現・西武池袋線)社長に就任。
弟が熱心なキリスト教信者で、その薦めでキリスト教に入信し、石川組製糸では女工さんの積極的な教育も行うなどしました。いし

施主 石川幾太郎(旧石川製糸西洋館HPより転載)

≪設計者 室岡惣七≫
室岡惣七(1885~1951)は、東京帝国大学で建築を学んだ後、司法省技師、東京電燈技師を経て1927年に自身の建築事務所を持ち、同郷の石川幾太郎氏により迎賓館設計を任され、氏の代表作には、他に遠山記念館などがあります。

設計者 室岡惣七(旧石川製糸西洋館HPより転載)

≪棟梁 関根平蔵≫
関根平蔵は、川越市出身の宮大工で屋号を「丸鉢」といい、祖父・父とも大工の家柄で、特に父・松五郎については「石川組製糸本店工場の講堂」や「時の鐘」の棟梁としても知られています。
平蔵自身も寺社建築から町屋建築まで、その腕を振るいました。
川越に残る平蔵の自邸には、西洋館と同じくレンガ調のタイルが使用されていますが、これは石川製糸西洋館設計に使用したものの余りと言われています。

≪建物メモ≫
旧石川組製糸西洋館
●竣工年:不明(棟上は1921年)
●設計者:室岡惣㏋七(建築は関根平蔵)
●文化財指定:国登録有形文化財
●写真撮影:可
●交通アクセス:
  西武池袋線〝入間市〟駅より徒歩7分
●参考文献
 ・旧石川組製糸西洋館展示パネル
 ・BS朝日放映”百年名家”
 ・入間市博物館HP  旧石川組製糸西洋館と周辺の文化財
●留意点:
この邸宅は冬の時期を覗き、定期公開が行われているので、公式HPなどを確認して訪問してください

≪建物外観について≫
石川製糸西洋館を正面から臨むと、2つの建築が並列した形状になっていますが、一見すると、鉄筋コンクリート造にタイルを貼り、まるでレンガ建築のように見せていますが、実際は木造建築にタイルを貼ったもので、左側が別館で和漢となり、右側が洋館になります。

正面部分

次に別館を見ると、こちらは本館部分同様、木造建築にタイルを貼ったものになりますが、外観を見ると、日本の古民家建築の兜造り風になっており、屋根を一部切り取り、換気や明り取り用などのための窓を設えて、後部には煙突を設えています
また、この部分の鬼瓦には石川家家紋の「笹竜胆(ささりんどう)」が描かれています。

旧石川製糸別館

また、本館の屋根裏を覗くと、雷門文様が描かれており、軒周りの上部、別館同様、日本の古民家の兜造り風になっており、通風のための換気窓が設けられています。

本館の屋根の後ろに描かれた雷門文様

たてものの裏側に回ると、2階部分の張り出した部分にはサッシが入っていますが、もともとバルコニーで、手すりなどが設けられました。
また1階の白い部分はテラスのような役割を果たし、裏側は当時、日本庭園が配されていたので、そこから出られるようになっていました。竣工当時は、この界隈は石川家の土地になっており、この洋館は、どこから見ても正面になるような意匠になっていました。

旧石川製糸西洋館 本館裏側

また、邸宅の玄関口である本館 車寄せ部分を見ると、日本の社寺建築で多く見られる「蟇股(かえるまた)」や「持ち送り」などを多用しているものの、デザイン的には西洋風になっており、日本の伝統建築のパーツを巧みに取り入れた意匠になっています。

本館 車寄せ部分

≪平面図について≫
平面図を見ると、左側が迎賓施設としての部分、右側が平屋建てのバックヤード部分になり、迎賓施設のみが2階建てになります。
また、GHQに接収された時代は、1階と2階、それぞれ違う家族が住み、邸宅にはその際に受けた改造を遺しています。

平面図【カタログより転載】

≪1階部分≫
Ⅰ:玄関ホール
玄関の間をくぐり、1階の玄関ホール部分を見ると、高い天井に、大階段を設えたクラシカルな室内になっています。
天井部分は、一見すると白漆喰に見えますが、鉄板を叩き出して格天井状の文様を付けたもの。この部分に付けられたシャンデリアに関しては、残念ながら破損していたため、付け替えられています。

1階 玄関ホール

また、階段部分ですが、この邸宅が製糸会社の迎賓館のためか、階段親柱には糸を束ねたデザインが使用されており、階段後ろは収納になっています。

1階ホール 階段部分

また、2階部分から階段を臨むと、手すり部分などの装飾は、1本の木を削ったものであり、非常に大きな巨木を使用している事が伺い知れます。
また、2階ホールまでの高さは9m…
一般家屋でいうところの3気立てにも匹敵する高さになっています。

2階から階段を臨む

Ⅱ:控えの間
こちらは、来賓客を応接間に通すための「控えの間」と考えられ、禁煙までは寝室として使用。和のデザインは、変形の格天井。壁には装飾としての柱と長押を回し、壁の木枠と照明の側面には「雷紋」が施されています。床は、応接室と同様、周囲を組子細工による模様を持ち、この部分を一段盛り上げています。

1階「控えの間」

Ⅲ:応接間
各部屋の中でも、ひときわ凝った造りになっており、寺社建築をイメージした設えになっています。
天井は和風建築で最高級の折上小組格天井になり、壁には創建当時の壁紙が貼られて、床面のペルシア絨毯とともに
当時の雰囲気を伝えています。
床面は絨毯で隠れているため見えないものの。組細工による模様を持ち、内側は1段盛り上がっています。

応接間

また、本棚部分の右側の文字は、中国の歴史書「書経」から取れれています。
右から「八音克諧 無想奪倫 神人以和」と記載してあり「物事が良く調和し、互いに関係を乱さなければ、自然と人は一つになる」をいう意味になります。
左側には、本棚の由来が記載してあり、これによると本棚は大正15年11月下旬に69歳の記念に造られたものとなり、文字は東京の儒家・亀田英(かめだ-あずさ)の筆になります。

応接間の本棚

Ⅳ:客室
この部屋は来客者の寝室として使用。
天井部分は鏡天井になり、壁との間に歯形のモールディングが出ていますが、これは「デンテイル」という西洋建築でよく使用される意匠になています。
また、床部分は矢羽根状の組子細工がされています。

1階 客室

また、この部屋のシャンデリア部分も創建当時のもの。
時代性を表すかのように、アールデコ風のデザインになっています。

1階客室のシャンデリア

Ⅴ:食堂部分
食堂は、1階で最も大きい室内となり、天井部分に関しては、折上天井になり、模様は連続する気が学的模様が付けられています。
また、この室内のサイドボードやテーブルなどに関しては、創建当時のものが多く残されています。

1階 食堂

また、照明部分に関しては、創建当時のもの。
折上げ天井の透かし彫りの丸が連続したデザインは、照明のデザインにも使用されています。

1階 食堂の照明

≪中廊下部分≫
本館と別館を繋ぐ中廊下になっており、別館にあったとされる厨房施設で作られた料理を食堂や2階大広間に運ぶための通路になり、本館と別館の境にはガラス戸を設けています。
現在、別館部分をすろーうにしていますが、当時は団が設けられていました。
なお、天井部分は格天井となり、当時では斬新なケヤキのベニヤ(合板)が使用されていました。

本館と別館を繋ぐ通路

≪2階部分について≫
Ⅰ:2階 階段ホール部分

1階玄関ホール天井が、鉄板を加工して装飾を付けたものに対し、こちらは、白漆喰で作られた折上天井になります。なお、床板の組子の形は玄関ホールと同様になっています。また、こちらに置いてある調度品に関しては、創建当時のものと言われています。

2階ホール部分

また、こちらのシャンデリアは創建当時のもので、シャンデリアの金具部分には縦の条線が付きますが、この柄は家具などの調度品、壁などにも採用されています

ホール部分のシャンデリア

Ⅱ:2階貴賓室
1階客間の上部に位置する部屋で、主客のい方をもてなすための室内になっています。
天井周りには出組組物、放流に屈輪(くり)の浮彫を描くなど、日本の寺院建築の様式を取り入れています。
また、、壁紙に関しては今日非常に珍しくなった絹の布団張りになり床の周囲には寄木細工を見る事ができます
現在、壁紙など傷みが激しく、入室はできませんが、一般公開に向けての修繕が計画されています

2階 貴賓室

天井部分は石川家の家紋を刻んだ照明以外にも、金泥・銀泥で雲を描いた絹布が貼られ、その周囲に組入天井を巡らせています。

2階貴賓室の照明

Ⅲ:2階バス/トイレ部分
この部屋に関しては、かつての姿は判明していないものの、GHQ接収時にトイレ/バスルームに改造されました。
ただ、平面図を見ると貴賓室の隣に位置し、貴賓室と一体的に使用されたと考えられます。

トイレ/バスルーム

また、老朽化により、天井が破損…
これを機に現在は、この部分から本館の屋構造をみえるようにしていますが、小屋組みに関しては、束を三角に組むトラス構造の洋組になり、外壁内部に柱が埋め込まれています。
その一方で、建物内には小屋組みを支える柱を立てていません。

2階 トイレ/バスから見る事ができる屋根構造

Ⅳ:2階 東和室
2階には2つ間の和室が備えていますが、こちらは東和室になり、終戦後、3世帯の将校の邸宅として使用されましたが、その際に、こちらは板敷の洋間に改造され、この時に床の間はクロゼットに改悪。
接収完了後に石川家の手に戻った際に、和室に戻されたものの、クローゼットはそのまま残ります。

2階 東和室

また、欄間部分に関しては、川越の彫刻師・野本義明(1892~1928)により、江戸時代の絵師・酒井抱一(さかい-ほういつ)の流水文を映して彫られたもの、
野本義明氏のスキルは高く、立体的な透かし彫りの作品を多く残していますが、この欄間に関しては、絵を映したもので平面的なものになっています。

東和室から欄間を臨む

Ⅴ:2階 西和室
この部分も、東和室同様にGHQから改悪を受けた部屋にあたり、床の間部分にはクローゼットが置かれ、ホールに出るための新しい扉が設けられます。
のち、石川家の手で左室に戻されたものの、床の間の柱には、クローゼットに改造された跡が残ります。

西和室

西和室に掲げられている山水画は上野白映氏のもの。
絶え間ない水の流れが、澱みや厄災を洗い流して、常に家に新鮮で正常な空気を流し込むとして厄除けとして制作されたもの。
 ・川:幸福
 ・家:財産
 ・老人:長寿
を表しています。

西和室の掛軸

Ⅵ:2階大広間
この邸宅で一番大きい部屋になり、天井部分は周囲を織り上げた格天井。
床面は、周囲を雷電紋を組子細工で描き、絨毯で隠れた部分はコルクが敷き詰められています。
また、右手のドアを開けると竣工当時はバルコニーになっていましたが、GHQによりキッチンに改造されました。(現在非公開)

2階大広間

また、奥側のステンドグラスに関しては、中国の塔洋画とされる「四君子(欄・竹・菊・梅)」を題材としたもので、全国的に見ても3例しか発見されていない物。
なお、右端に関しては、入間市の特産の一つである狭山茶から「茶の花と実」をイメージしたもの。
デザインは三崎彌三郎氏、製作は別府ステインド硝子と推測されています。
三崎氏は京都市立工芸学校(現・京都市立芸術大学)卒業後、家具類の装飾設計に携わり、代表作には国立科学大学中央階段のグラスモザイク、国会議事堂議員会談のステンドグラスなどがあります。

大広間のステインド硝子

なお、カーテンボックスに関しても竣工当時のものを使用車いています。

大広間のカーテンボックス

≪編集後記≫
この邸宅に関しては、入間市の顔となっていますが、経年によるダメージ、接収時の改変により、竣工当時と替えられた部分もあるため、修理が待たれますが、今後とも末永く、地域のランドマークとして輝いてほしいものです

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