わが心の近代建築Vol.93 旧須藤邸/群馬県桐生市
みなさん、こんにちわ。
今回は、かつては”東の西陣”と謳われた桐生にある、旧須藤邸について記載します。
こちらの建物は、金善織物会社の事務所兼住居として建てられたのち、数々の方の手に渡ったのち、現在は民間企業が取得し、各種イベント、ロケ地、結婚式場などに使用され、月1回に、一般公開されています。
≪旧須藤邸の歴史≫
❏金善織物会社について
金善織物会社について記載すると、施主 金居善太郎氏により操業され、1902年に金善織物工場に社名変更されました。1903年には織機12台/職工15人程度で、電力化を導入し、1915年には職工145人になり、1918年委は力織機200代を擁する、桐生で最大規模の織屋にまで成長しました。
製品は輸出がメインで、金居家は織業以外にも投資なども積極的に行い、1921年には桐生駅から徒歩8分の所に自社ビルを建築しました。

1941年には資本金5万円で金善織物有限会社となり、輸出製品を中心にして事業拡大を果たしたものの、1943年の戦争増強企業整備令を受けて、織物も含まれていたため1944年に解散し、邸宅/本社社屋他、一連の工場施設を手放すこととなりました。
❏須藤邸へ
戦後は、沖電気の西尾剛氏が邸宅を所有しますが、1955年に須藤寿作氏が購入します。
須藤氏が邸宅を購入した際には、邸宅は荒廃していましたが、何度も手を入れて修繕し、自身の趣味を加え現在の姿になります。
邸宅としては、アールデコ様式に近代和風建築、ロココ風洋式…
様々な芳樹を取り入れた状況で、ステンドグラスなど、非常に手の込んだ造りとなり、見る者の目を飽きさせない造りとなっています。
❏施主 須藤寿作氏について
須藤寿作氏については、1922年に群馬県沼田市で生まれ、中学卒業と同時、東京都足立区千住にある「名倉堂」に勤務。
1922年には、元宿浄水場を設計した清水三五郎氏の息女・須藤禮子氏と結婚ののち、桐生に「名倉堂」を開業。
1955年に、この邸宅を購入ののち、慈恵医大に進学し群馬大学で学位を取得。伊香保で診療所を開設するほか、様々な病院を経営し1993年に亡くなります。
≪建物メモ≫
旧須藤邸
●竣工年:明治期より幾多の修繕あり
●設計者:不詳
●文化財指定:登録有形文化財
●入館料:¥500(2026年1月より¥800)
●写真撮影:可
●交通アクセス:上毛鉄道「丸山下」駅徒歩8分
●留意点:
・毎週第一週土曜日に一般公開日あり(詳細はHP参照)
≪平面図≫
須藤邸は、明治前期にサロン部分の原型が作成されたのち、計5度にわたり増改築がなされ、原形をとどめてはいませんが、各時代ごとに、それぞれの見所があります。
最初期はサロン部分が作成されたのち、明治後期に居間部分が造られました。
大正期に玄関部分とサロン部分の改造と、玄関部分が造られました。なお、荒廃した建物を須藤氏がアレンジし、数々の装飾品を置きました。ちなみに、現在、奥座敷部分に関しては非公開個所となります。

≪外観について≫
全体写真をみると、玄関を中心に、右側は切妻の工場として建築されたもので、左側は、金井善太郎氏一家の居室として増築され、1階部分は居室、2階部分には来客用個室が設けられました。
工場施設が整い、大規模な織もの会社へ発展していくさなか、白を基調とした近代的な建物に変貌を遂げました。

玄関部分は大正10年頃に増築された箇所になります。
建物の特徴として白を基調とし、正面部分には4本の円柱のモニュメントが建ち、3つの丸窓が大きな特徴になっています。
また、玄関ポーチ上部には庇が設けられています。

なお、居室に接続した一番左端にある土蔵部分は、建築年代は記簿などを参考にすると明治後期に造られたものと思われます。
詳細に関しての資料は乏しく、床下調査の痕跡などから、曳家された可能性があります。

内蔵の扉を邸内から見ると、2つの家紋が付けられていますが、こちらは須藤邸時代に改造されたもので、夫人の生家の清水家と須藤家の家紋が付けられています

≪1階内部について≫
❏玄関部分
玄関部分を2階部分から見ると、1階部分~2階部分まで大きな西洋風の上げ下げ窓が用いられるほか、右側の出入り口部分にはステンドグラスが付けられていますが、こちらに関しては、須藤氏が後に付けたものと言われています

❏ホール部分
白を基調としており、腰板までつながる壁紙や室内の骨とう品などに関しては、須藤寿作氏が購入したものとなります。
天井部分は白漆喰塗となり、太い梁状の装飾がなされ、奥側には6連アーチが付けられています。

なお、ホール天井の照明の傘には、須藤家の家紋が残されています。このような点にも須藤氏の深いこだわりを感じることができます。

なお、ホール裏側の廊下は、サロン部分と居間部分を繋ぐ個所となります。
窓枠に関しては、竣工当時のもので、Vの字を基調にしたもので、中央部分は、大きいガラス部分は摺りガラスを使用しているのに対し、小さい部分にはクリアなガラスを使用しています。
また、洗面台に関しては、須藤氏が取得した際に付けられました。

❏サロン部分
もともとは、明治前期に造られた工場部分で、当初は紙張り天井でしたが、大正期にサロンとして変更されました。
2階部分には桟敷が回り、家具類も須藤家から寄贈されたものとなり、正面に見える時計などは、須藤寿郎氏が集めた骨とう品で、SEIKOUSHAの文字(現在のSEIKO)の文字が刻まれます。
現在は各種コンサートなどのイベントホールなどに使用されます。

サロン入口のガラス欄間には梅が描かれており、窓ガラスのステンドグラスも植物が描かれるなど非常に手が込んだものとなります。
これらに関しては、大正後期のものと言われてはいますが、作者に関しては不詳になっています。

サロンと廊下部分とサロンを繋ぐ個所は、かつての出入り口部分で、ステンドグラスも大正時期のものとなります。
なお、サロン廊下に関しては、モザイクタイルが仕切る目られた意匠となります。

❏応接室
サロンと廊下に接続して造られた部屋は、金居家時代には応接室として使用。
こちらも玄関と同時期に造られた部屋で、天井部分は白漆喰塗でモールディングが回る一方、窓枠などは当時流行したアールデコ風の意匠が盛り込まれています。

❏浴室
浴室は須藤邸時代に改造されたものとなりますが、廊下などのステンドッグラスは竣工当時のものとなります。
特に通路側のステンドグラスは、透明部分は摺りガラスと結霜ガラスを使用し、青色部分は櫻の花が描かれています。

脱衣室部分は、矢羽根上のステンドグラスを使用し、天井部分はモールディングが走り、洗面台部分はタイルを使用しています。
こちらのステンドグラスにも青い部分には桜を描いています。

浴室は、須藤邸時代に改変されたものとなりますが、ステンドグラスにおいては、明治後期のものを使用しています。
基本的に気を使用した浴室になりますが、腰壁はタイルを使用し、床面はモザイクタイルを使用しています。

❏居間
現在は白漆喰塗の天井に、暖炉が置かれ、天井部分は白漆喰で梁が描かれ、モールディングが走る室内になります。
もともとは金居家の居間として使用しており、竣工当時は3つの和室から構成されていましたが、須藤氏が改造し、現在は結婚式などの各種イベントに使用しています。

大理石風の暖炉は、須藤氏が設けたもので、大理石を使用したものではなく、デザインとして設けました。
かつては暖炉を持つことがステータスでしたが、その流れを汲んでいます。
なお、右側にはアヤメと思わしきステンドグラスが設けられています。

ステンドグラスの奥には和室が設けられ、天井は網代が組んでいます。また、天袋と地袋の間には、ガラス状の書院が設けられ、デザイン的には、幾何学的な模様となります。
窓部分も結霜ガラスと摺りガラスが使用されています。

≪2階部分について≫
❏吹き抜け上和室
吹き抜け上の部屋は、天井部分は竿縁天井となり、右側には2カ所、出入り口が備えてあり、床柱は絞り丸太となり,
平床を採用し、崩した意匠になります。
ます。左側からは吹き抜けを見る事ができるようになります。
また、床框などに関しては、材質こそ不明ではあるものの、敢えて虫食いがしてある古木を使用したものになります。

❏居室上6畳和室
1階の居室上の6畳和室は、衣裳部屋として使用されたもので、桐箪笥などは、須藤邸時代に使用されたものが寄贈されました。
天井部分は隣の和室同様、竿縁天井となります。

❏居間上8畳和室
室内を見ると天井部分は杉の源平柾を採用しています。源平柾中心部の濃い赤身と、その周りの淡い白太が混在している値大変珍しい木材を使用しています。こちらは、金居邸時代は迎賓用の部屋として使用されました。
なお、室内には蟻壁を使用しています。

室内の左側襖絵には、松竹梅の「竹」が描かれており、奥側には書院付きの室内になります。

なお、釘隠しは、夫人の実家の清水家の家紋が描かれていることから、須藤邸時代には、夫人室として使用されたことが推測されます。

❏居間上10畳和室
天井部分は8畳和室と同様、竿縁天井に杉の源平柾を使用しています。こちらの部屋には、天袋と地袋、床柱に床の間を備えた意匠になります。床柱に関しては、角柱ではなく、変僕を使用するなど、崩した意匠となります。

床の間の反対側には、8畳和室と対になる形で、鶴と松が描かれているほか、こちら御釘隠しには、須藤家の家紋を使用していることから、主人の居室として使用していたことが推測されます。

❏2階廊下部分
居室側と吹き抜け側の廊下の天井を見ると、それぞれ材木が違っており、須藤邸時代に手が入ったことが判ります。
なお、左側手前の洗面台については須藤邸時代に設けられたものとなります。

洗面台のガラス窓は加工されており、摺りガラスに草花を描いた意匠になります。こちらに関しては、大正末期~昭和初期のものとなります。

❏サロン回廊
2階回廊部分は、天井は白漆喰塗となり、窓枠は西洋風の上げ下げ窓となります。床面に関しては畳敷きとなり、回廊の鉄枠部分は幾何学的模様が配されています。
こちらは、もともとは工場だったものを改造した箇所となります。

北側回廊を見ると、奥側が釣り床の意匠がなされるなど、様々な意匠が入ったものとなります。なお、こちらのシェードは昭和初期のものが採用されています。

❏サロン上和室
サロン上の和室は、天井部分が白漆喰塗の西洋風となり、火だr床を採用し、平床で、床柱部分も自然木を使用した数寄屋的な意匠となります。

また、こちらには地袋が造られ花の絵が描かれています。
奥側には小さいながら平書院風のデザインがなされており、富士山風になっていますが、非常に細かい意匠となります。

奥側には、手前部分が網代式天井になっており、奥側には網代天井のほか、2重の竿縁が設けられる意匠になります。


≪編集後記≫
旧須藤邸は、かつて桐生が東の西陣とよばれていましたが、その中でも須藤邸は、かつての謳歌をいろっ濃く残した邸宅であり、改変個所は多いものの、その時代を色濃く残す隠れた名所のひとつとなります。これからもこの邸宅が大切に使用されていくことを願ってやみません。
